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一人称と性

  「私」「僕」「俺」「うち」「わし」「拙者」

       日本語にはさまざまな一人称がある。英語では「I」のみが自分を表す唯一の言葉である。そのほかの言語も大概一人称を表す言葉は一つか二つ(男性形・女性型)である。これは世界的にみて大変珍しい文化なのではないだろうか。

  もちろん日本人でも多くのひとは男性なら「僕、俺」女性なら「私」を使うと思うが、なにを使っていい使ってはいけないという決まりは実は存在してないのである。ただ普通はそうするという習慣があるから多くの人がそれに従っているだけなのである。

 私自身は生物学的に女性であり、性自認も女性、社会的にも女性、恋愛対象を男性として生きているが、その時の気分によって一人称を変えている。もちろん公の場や然るべきときは「私」を使っている。しかしくだけた場では気分や発する言葉によって「俺」「僕」「ワイ」など使っている。出てくる言葉たちをより自分らしく表現するために使い分けている。

 LGBTQという概念は認知されはじめているものの、その本質や理解はまだまだ遅れているのが日本の現状である。女性らしさ、男性らしさを無意識のうちに押し付けて社会を成り立たせているからである。だから女なら私、男性なら僕・俺。じゃあどれにも当てはまらない人は?と聞かれて答えられる人はいるのだろうか。私なら好きなように呼んでくださいと言うと思う。それだったら男とか女とか関係なく誰がどの一人称を使おうと関係ないのではないだろうか。本当に大事なのは女性らしさでも男性らしさでもなく、その人らしさではなかろうか。

「男と女」じゃなくて、「あなたとわたし」で全ての人と接する事が当たり前のようになるのはいつになるのだろう。少なくとも僕は物心ついた時からそうしているのだけど。LGBTQを謳うのなら性別に対する固定観念も同時に変えていく必要があるのではなかろうか。

 

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