ずっと楽しいことしたいわー。卒業間近に親友がFIFAをしながら口癖のように呟いていた話。

僕は卒業が近くなってきた時期、親友と夕方くらいから僕の家に来て朝まで話しながらそのつまみにゲームをするという日々を過ごしました。

2人とも酒が好きなわけではなかったし、オシャレなカフェで写真を撮る趣味もなかったので、基本的には家集合で一生話をしていました。

僕達は時に険悪になるくらい負けず嫌いで、負けたら必ず再戦。実力はいつまで経っても五分で、ひどいときは14時間近く連戦していたこともあります。
それくらいの負けず嫌いです。


そして僕達は卒業を控えていたので、社会に出てからこういったことが出来なくなることを嘆いていました。

ずっと楽しいことしたいわー

親友が4年間口癖のように言っていたセリフです。
親友は4年間常に楽しいことを追い求めていました。サークルでもとにかく楽しさ重視で、自分だけでなく周りも楽しませることまでも考えながら楽しく自由にしていました。
これは、僕には出来ないことなので単純に羨ましい、すごいと思っていました。


と、前置きはこの辺にして。

社会に出てからは生きていくためにお金を稼がないといけないので、何かしないといけません。
ゲームばっかりしたり、サッカーばっかりやっても(趣味程度での)お金は稼げません。

どうしたら楽しいことを続けられるのか。

これは最近僕の中で答えっぽいものが見つかったので、今回はそれを書いて終わります。

僕の中での考えは、楽しいことはなにも遊びだけではないということです。

周りの人からしたら、しんどいな、きついなって思うことでも自分の中ではそんなことない。むしろそれが普通なこと。

こういう感情になる行動は自分の中での楽しいという感情に近いものがあると思います。

例えばですが、僕は毎日ジムに行っていました。周りにはストイックとか言われていましたが、その時の自分はストイックに生きているとか微塵も思っていませんでした。身体を作っていくのが楽しかったからジムに行っていました。
あと、ストイックと言われて気分が良くなっていた時期もあります。
ちなみに今はジムに行ってません。だらけきってます。全然ストイックではないです。

もうひとつ例をあげると、休まずに仕事を毎日している人。他の人からしたら考えられない、休まないとやっていけないと思っているはずですが、当の本人からしたら、仕事をしていることが楽しいから苦だと思っていないということです。


友達と遊ぶことはめちゃくちゃ楽しいけど、仕事はそういう遊びの時のような楽しさとはまた違います。
ただ、遊んでいる時に近い感情の高鳴りは仕事にもあると思っています。

なので、周りが苦だと思っていても自分が苦だと思わないものを選択することができればお金を稼くという面でも楽しいと思えるのではないかと思ったわけです。


親友は今岡山で、もがきながらも楽しさを見出しています。

自分の近くに頑張ってるやつがいると負けていられないと常々感じます。

僕は負けず嫌いなので。

親友へ。またいつか俺ん家でFIFAしよう。

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