原動力



今の自分の人格、性格を作ってるのは昔の最悪な経験、あんな風にはなりたくないという人たちが目の前にちゃんと現れてくれたから。

当時はその人の文句言ったりしていたけど、今ではめちゃくちゃ感謝している。
ちゃんと、目の前に現れてくれたおかげで今の自分は少しはまともな人間になってる。気がする。多分。


18の春、田舎から関西に出てきた何も知らない自分に、ミナミのバーで一生タダ働きと嘔吐物の処理、酔った勢いでの暴言、インセンティブの未払いで見事に大人の世界の厳しさを見せてくれた年上店長くん。


ぬるりぬるりと気づけば隣にいる、本人がいない所では大きい人なのに本人を目の前にすると急に小物になるエモい風な不義理まみれの雰囲気パイセンくん。


言った内容、態度を自分の都合のいいように解釈して人に伝える、勝手に翻訳機くん。

他にもいたかもしれないけど、こんな人達がいいタイミングで目の前に現れてくれた。


人間生きていく上でルールに縛られる必要はないと思ってる。今の時代はSNSで活躍してる人もいるし、実業で稼ぐ人もいるし、ボランティアをしていて人を幸せにしている人もいる。海外に出て日本の素晴らしさを伝えたり、日本に新しい物を持ってきてくれる人もいる。
スポーツで観る人々を熱狂させたり、歌やお芝居で人々を感動させたりする人もいる。

生き方は自由だと思う。何にも囚われなくていい。

でも対人の場合は違う。ルールというか一定の常識はあっていいはずだと思う。

それは小さいことにでも感謝の気持ちを持つことだったり、何かミスをしたら素直に謝れることでもあると思うし、人を傷つける嘘をつかないこととか、そんな感じの普通と言われたらそうだけど、意外と忘れてしまいがちなこと。

古臭いかもしれないけど、義理人情とかその辺りは本当に大切な事だと思ってる。
仕事をする上でも、プライベートで遊ぶ時でも。

当たり前のことなんて、気づけば当たり前じゃ無くなってることもある。気づいた時には人間関係が終わってる。そんなことも少なくない。

だから自分の中でこれはさすがに違うなと思った時、自分がそれをされて、さすがにこれはされたら嫌だと思う時、それを平気でするような人にはなりたくないと思った。


こうなりたくないから自分はこうする。こうなりたい。それが東京に出てきてからの自分を突き動かす原動力になった。


ここで1つ言っておきたいのが、別にこの人たちの生き方とかを否定するつもりはなくて、その人がそれでいいと言うのならそれでいいと思っている。
否定して、ああしろこうしろと言うことはナンセンスすぎる。
それこそ価値観の押し付けだったり、価値観の否定に繋がってしまう。
だから自分からその人たちに何か言うことなんて何も無い。
言える立場でもないと思う。


でも人間はそればっかりで生きていくのはしんどすぎる。なりたくない自分にならないためにだけ生きていると、自分が何になりたいのか、どうなりたいかが分からなくなる時がある。

ただ、生きていると段々そればっかりじゃなくなってくることがある。
負の感情が生み出す原動力が突き動かす先には気づけば自分が理想とする人が現れることがある。こればっかりは不思議でしょうがないと思う。ほんとに面白いなと思う。


お金よりも大切なものを教えてくれる兄貴みたいな人。

自分の商圏を作り出すことのできる求心力がとんでもない先輩経営者。

小さい頃から1つの目標のために自分の全てを持って、人生をかけて業を成す、自分が働く会社の代表。

そして最近気づいた親父の偉大さ。


あんな風には絶対になりたくないから始まった東京での生活も、今は自分もこうなりたいに変わってきている。

人間を動かす1歩目は負の感情によるものが大きいと思う。
ただ、エンジンがかかったあと、それだけだといつか失速する。疲れる。
自分の存在意義を考えて鬱になってしまうかもしれない。

理想を追い求めに行くためには正の感情も必要なんじゃないかと思った。いや、むしろ正の感情がないと無理だと思う。

って電車で隣の中学生が話してた夢を見ました。

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