北海道が寒かった話とか色々




昨日仕事をしながら思いついた。
北海道に日帰りで行こうと思った。
急に温泉に入りたいと思ってしまった。
早速チケット取って北海道に行ってきた。



どこに行くかは完全にノープランだった。
美味しいご飯食べれて温泉に入れたらいいなって思ってた。

美味いものめっちゃ食べれた。温泉にも入れた。ついでに財布も買った。

北海道でのハイライトを話したい。
特に露天風呂がえぐかった。
肌を突き刺すような外気とお湯とのギャップ。
湯気がこれまた幻想的でダルダルボディのおっさんですら神々しく見えてしまう。
この露天風呂を体感する為だけに北海道に来たといっても過言ではなかった。


リフレッシュ目的で行ってきた北海道で改めて感じたことがある。

人は誰かの何かに支えられて生活してるということ。


遅刻寸前でギリギリの時に朝タクシーに乗せてくれたおっちゃん。優しい保安検査場のお兄さん。着陸が上手いパイロットの人。機内の綺麗なCAさん。自分が乗る飛行機を朝早くから点検してくれてた人。
朝飯食う時のレジのバイトの子。綺麗に商品を陳列する人。昼飯作ってくれたキッチンの人も、北海道の良い所とかを話しながら接客してくれたスタッフの人も、身体を整えてくれた整体師さんなんかもそう。


直接関わらなくても、どこかで多くの人達と自分は生活の一部で間接的に関わっている。そして支えられている。


札幌の積もった雪で事故が起きないように、誰かが雪かきをしてくれている。道が汚くならないように、誰かが道を綺麗に掃除してくれている。


なんでもないことのように思えるけど、これは当たり前じゃない。絶対に感謝しないといけない。

これが当たり前って思い出してしまったら人間終わりだと思う。ほんなら全部自分でやれって思う。



人は驕りだしたら途端に周りに人がいなくなる。周りに人がいなくなることほど寂しいことはないんじゃないか。
そんな奴がいたら派手に滑って怪我もして欲しいし、汚い道で靴汚して欲しいとも思う。



こんな小さいこといちいち気にしてたらキリがない。そういう声も確かにあると思う。

だからこそだと思う。小さいことを気にしなくなって、普通だと思い出してしまうことは怖いことだと思う。


当たり前は当たり前じゃない。誰かが何かのためにやっていること事実を忘れたらダメだと思う。


もう1つ、今やってる事は誰かにとって必要なものであるということ。今の仕事に満足できてるできてないの話は置いといて、絶対に誰かのためになってる。だから自分が今やっていることを誇りに思っていいと思う。それで助かる人は大勢いる。詐欺とかは別にして。


このノープラン北海道で改めて感じさせられた。



感謝を忘れて尖ってるやつはほんの少し丸くなろう。
当たり前が当たり前じゃなくなる前に小さいことに感謝しよう。
角を削って少し丸くなれば世界が愛で溢れていることに気付けるはずだと思う。

自分はまだまだ小さい。もっともっと大きくなりたいと思っている。でも、これだけは忘れたくないと思った。


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