国境の街

 笹舟をそのまま大きくしたような、頼りない舟が土色の川を渡る。板に腰かけた目線に水面が近く、ほとんど埋まっている心地だった。船頭の持つ長い櫂が川底を削るたび進んでいく。ほんとうに川底を削っているのかはわからなかったが、がりがりと不思議な音がしていた。おびただしい数の骨が沈んでいれば説明がつくような音だった。
 海外に来たのははじめてだったから、こんなふうに国境を跨ぐのもはじめてで、手続きの仕方がわからず、一度はタイの出国手続きをせずに来てしまい、余計に往復することになってしまった。
 船頭は二回とも同じ、痩せぎすの少年だった。川の色とおなじように褪せた、薄い生地のシャツから細い腕が伸びる。櫂はかれの手のように水中を掻いていた。

 新しい町に着くとたいてい宿の客引きに囲まれたが、今回は、自分の身体と同じくらいのザックを背負った四人組にひとが集まり、ほとんど声をかけられずにすり抜けられた。四人組みは、たぶん英語とフランス語を混じえた大声で何か交渉していた。
 川岸から少し登ると左右に道がひらける。日本なら片側一車線くらいの幅で、道の奥はすぐに緑の山がはじまっていたから、ここがメインストリートで、それ以外の道はほとんどなさそうだった。
 前の街では派手な色合いのトゥクトゥクやバイクタクシーがいびつに目立っていたがここは、地べたに寝そべった野良犬も、建物のならびも、土埃を集めてできたのではないかと思われるような、ぜんたいがくすんだ、しずけさを湛えていた。
 まだタイの紙幣が使えると聞いていたから、両替より先に、ふらつきながら腹ごしらえと宿探しをすることにした。やはりメインストリート以外、旅行者が使う道はなさそうだった。山を少し登ったところに寺があった。船着場と寺をつないだ道が、メインストリートと交叉する、ちいさな十字の街らしい。
 たぶんほとんどの旅行者は一泊するかしないかでもっと大きな街へ行く。だから店も少なかった。看板も出していない家の前に野菜や果物が並んでいて、バゲットも売っていた。赤くて小さい果実が埋まった、固そうなパンを買う。そのままビニールに入れて渡される。
 この国はかつて植民地だった。それを自分は知っているということを思い出した。わずかな時間のあいだに感じた、前の国との微妙な空気のちがいが、もしかしたらそういうところにもあったのかもしれなかった。かつて、と思ったが、ついこのまえ、なのかもしれない。

 結局、船着場近辺にしか宿はなく、一番大きなところはさっきの四人組が出入りするのが見えたので、しずかなほうがいいと思って二軒離れたところに決めた。一階が吹き抜けになっていて、夜は食堂になるらしい。
 部屋に荷物を置くころには日没が近かったから、買ったパンは明日の朝にしようと思い、枕元に置いて一階に降りると、まだ若い、十代と思われる少女が注文を取りに来て、ビールとフライドライスを頼む。一度、焼き魚で腹をくだしてから食の冒険はぜんぜんしていなくて、ずっと焼き飯を頼みつづけている。
 金と緑のラベルの瓶を呷りながら、落ちる直前の濃い西陽を浴びて、黒が黒でなく光る、道端にだらけた犬をずっと見ていると、声をかけられて、船頭の少年だった。
 そっけない木の板に煙草の箱が並んでいて、いらないと手のひらを向けると箱の中を見せてきた。食堂は暗くてよくわからなかったが、たぶん大麻で、今は断った。
 それでも少年は立ち去らないで、テーブルの前にじっと立っているので、すこし困っていると、注文を取りに来た少女がやってきて、日本から来たのかと話しかけてきた。そのたどたどしい英語に安心して、そうだと応えると、少女は向かいに腰かけて、わたしたちはいつか日本に行きたいと思っているといった。きみも? と少年を見ると、たぶん英語での会話も難しいのだ、困ったように少女に目配せをする。
 きょうだいではないというので、少し迷って、恋人かときくと、今度は少女のほうが少年を見上げた。少女の厚い唇の、口角がちいさく上がって、つられるように少年も戸惑ったように笑みをつくった。商売にかかわらないひとの表情をひさしぶりに見た気がした。
 日本人は多いわけではないが、来ると話を聞くらしい。だいたいアニメを紹介してくれたりするのだという。
 わたしはWi-Fiの繋がっていないスマホを出す。画面には日本の日時が表示された。
 うまく話せるかわからない。そう伝えてからわたしは、かれらに一枚ずつ写真を見せながら、逃げるようにここまで来た、わたしの歴史を話すことにする。かれらに見せたい場所や出来事はまちがった英語で、何度も写真に写る、もういないひとのことは正しい日本語で、わたしは話しつづける。陽が暮れて犬は夜にまざり、食堂には灯りがつく。瓶のまわりに羽虫がたかり、何本か空いたところでかれらの好きなメニューを頼む。食べおえてからは、かれらの口数もいくらか増えたおかげで、話は途切れなかった。
 きっとほんとうに大事なところは交わらない言葉のやりとりの中で、かれらの夢とわたしの思い出が重なったり離れたりしながら、わたしの国では二時間先に週末の日を跨ぐ。

(了)

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