なんか言うよ。

狂った大人の吹きだまり、愛すべきプラットフォームのTwitter。昨今はイーロン・マスクが買収し、大規模なレイオフ(首切り解雇)だの有料化になるだの話題が持ちきりであるがまぁそれはどうでもいい。有料化になると使えなくなる人が続出でTwitterのプラットフォーム自体が変わってしまってこの先Twitterはどうなるのかすら予想だにはできないので、実はどうでもよくはないがここではその話ではない。

Twitterには一応お作法があり、リツイートだの「RT」と呼ばれる
引用ツイートだの返信やDMダイレクトメールまである。
Twitterの初期には「QT」などという非公式リツイートとういうものも
存在していた。今じゃ「QT」なんか誰も使ってはいないし忘れられている。「RT」と一緒になったのかな、詳しくはよく知らない。
そこで厄介なのがTwitterには何故だか個人個人のマイルールが存在している。
なんか言うなら返信じゃなくて引用リツイートで話しかけろと言う人がいたり、引用リツイートなんかしてくるな、いちいち返事が飛んでくるのはウザい、リツイートだけしろという人もいる。気にくわなきゃ即ブロもある。
「いいね」を稼ぎたい人もいれば「いいね」すら勝手に押すなと怒る人もいる。クソリプがウザいから返事もコメントも閉じてる人もいればOPENな人もいるDMだって勿論そうである。Twitterは相手のマイルールを見極めなくてはいけない。とにかく気を使いさせすぎだろTwitter。というかこのユーザー個人に委ねられたマイルールの多さよ。
そもそも独り言の呟きがメインなのでリアクションは要らないのも判らなくはないが、予期もせぬ誰かと繋がったり軽いやり取りが出来たりして面白いのがTwitterの醍醐味である。そこには誤解やボタンの掛け違いも頻繁に起こるのであるがそれも含めてTwitterである。
Twitterは楽しいが戦場でもある。
一つ一つのツイートには緊張感が必要だ。

そこでずっと思っていたのはリツイートの仕方をどうするかに人柄が出る。
別のnoteや記事などを拡散する場合、誰かにお知らせしたいな、紹介したいな、これ読みましたよの行動であるが大体は書いた本人のリツイートがメインになるのであるが、自分のタイムラインに残す為にリンクをコピーして紹介みたいなのもある。

これには3種類に分別される。

1)リンクをコピー、記事のタイトルと書いた人の名前とアカウントとハッシュタグだけを送るパターン。
参考1)


2)1)の条文に記事の内容を切り出して送るパターン
参考2)


3)1)の条文に自分の感想やコメントを添えて送るパターン
参考3)


1)をする人は本当に紹介だけである。そこには感想もコメントも何もない。書いてある中身を読め、読んでおくれ、を込めている。
この気持ちもよくわかる。私ごときがこの立派な記事の内容に対して感想を述べたりコメントするなんておこがましい。言いたい事は記事に書いてあるからそれぞれが察知してくれ、読んだ人が思いをよぎらしてくれとの思いで敢えて何も言わない。よーく判る。奥ゆかしい日本人の心である。でも純粋な紹介だけはしておこう。自分の呟きには残しておこう。

2)はもうちょっとだけ掘り下げてこの記事の内容にはこんな素晴らしい一文がある、これで少しは興味出たかな、気になる内容だよね。読みたくなったでしょう、と宣伝にも優しさが詰まっている。

3)は自分の感想やコメントを載せて送るパターンである。
これを読んで私はこう思った。こんなコメントで紹介するよ。
感想やコメントを敢えて載せるのは作者に届くのも、みんなに読まれるのも恥ずかしい、トンチンカンな解釈してたらかっこ悪い、私の拙い文章やコメントでこの立派な記事を汚す訳にはいかない、沈黙は金だって思わなくもない。コメントを入れるか入れないかのジレンマにも落ちがちである。
こんなに悩むのなら1)にしとこうの気持ちもよくわかる。
1)2)3)のリツイートにどれを選ぶのかも人柄である。
それぞれの立場上3)みたいにコメントできない人もいるだろう。

でも、私はリツイートするなら基本は3)である。記事を読んだ感想やコメントを入れることにしている。自分のツイートに足跡残すのであれば記事を読んだ感想やコメントは入れたい。拡散して貰えるのは記事を書いた人は有り難いことだと書いた皆さん思うのは当たり前である。何か書いた事のある人なら皆さん思っている事であろう。拡散だけなら紹介のツイートをリツイートしてくれれば事足りる。そうではなくてせっかく紹介してくれるのであればなんかコメント貰うほうがめちゃくちゃ嬉しい。それは感想や褒め言葉じゃなくても罵倒でもなんでもいい。せっかく時間割いて読んでくれたのならどう思ったのかリアクションが一番嬉しいからだ。読んでくれたんだもん、クソリプだってコメントだ。罵倒に心折れるかもしれないが罵倒だって解釈である。解釈の違いはあって当たり前である。趣向の違いや合う合わないはあるであろう。そこから始まるエトセトラ。

私は20年以上前にに3ヶ月間毎日全く読まれないブログを更新していたことがある。読まれないってのはどれぐらいかというと毎日ビューが3〜5人(知り合い2名)今回けっこう読まれたなってのでも10人ぐらいであった。読まれないことが前提であったので本当に好きな事だけ書いていた。更新を止めた後に放置していたらバックアップも取り忘れてそのサイトは消えてなくなってしまったので全部消えて今となっては読めないのであるが。その後Short Noteでちょこちょこ更新していたがそちらもサービス停止してしまった。何かを書いてもリアクションが一切ないのが普通である、今もそう思っている。私の中でバズったなは10名以上が読んでくれた時である。三桁超えたらチビりそうである。
私は自分の書いたのを率先してまで特に読んでくれとはまったく思っていない「読みたいことを、書けば良い。」の精神でひとりで書いてあとで自分でゲラゲラ笑えば満足なのである。
もし気づいて読んでくれたら嬉しいなぐらいである。
ただどんな文章でも読んでくれたら嬉しいし、
コメントくれたらなお嬉しい。
嬉しい事はして貰いたいから私もしたい。

だから私はエイコラ精神で「なんか言うよ。」

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