田中泰延処女作「読みたいことを、書けばいい。」の読書感想文。

田中泰延処女作「読みたいことを、書けばいい。」
「処女作」っていう呼び名はなんて官能的でエロいのだ。
しかし彼は男性である、「童貞作」が正しい様な気がしないでもないが童貞作って聞いた事が無い。「筆下ろし」という言葉があるぐらいであるから童貞作があってもおかしくはないと思うが今だと「DT作」と表現されるのが新しくて今風で正しいのかもしれない。
まぁ出だしからどうでもいいことを書いているがこの本の読書感想文を書くのである。
そう言えば小学生や中学生時代に読書感想文なんか書いたことが無かった。
なぜなら読書をまともにした事が無かったからだ。
読書をしたことがない人間に読書感想文なんか書けるわけがないのを
教師は課題を出す前に学んだ方がいい。
私が読書に出会ったのは高校生になってからとういう滅茶苦茶遅い出会いである。
本に突然恋した援助交際みたいなものだ。
幼少期にまともに本を読んでこなかった人間の読書感想文はこんなものである。

この本を読んで思ったのが今までたまに長々と誰も読まないブログを書いていた
私の文筆行為は間違っていなかったのだと改めて思った励ましの文章との出会いである。
はげましは決して剥げ増しという
髪の毛の薄い編集者が作った本の事でもなければ
世間のおっさんに対しての悪意のある言葉でもない。
もちろんおっさんの自分に対して自害を込めているわけでもない。
私の髪の毛は白髪は増えたがふさふさである事だけは間違いがないようにお伝えしておきたい。
福山雅治さんだってもう50歳である。
イケメンおじさんは世の中には存在するのである。
私はどちらかと言えば見た目はイケメンおじさんの部類である。

さていきなり「あなたはゴリラですか」とゴリラの話から始まるこの本。
ゴリラでも文章が書ける深い意味でもあるのかと思いつつも
まず最初に頭によぎったのは「ゴリラが溢れたらあふれゴリラ」
この明言は誰も知らないし普通のアイドルファンでも知らないであろう
ソーシャルネットワークアイドルnotallの田崎礼奈さんの名言が真っ先に頭をよぎった。
田崎礼奈さんという方は新元号が「令和」と発表になって礼奈と令和が似ているので
エープリルフールのネタでTwitterのプロフィールを「田崎令和」と表記して
ファンはみんな笑っていたのであるが、何も知らない調べない新聞社から取材させてくださいと連絡があり、やんわりとお断りし謝罪したた逸話の持ち主です。
ゴリラというネーミングの破壊力はやはり凄まじい。
面白い人はゴリラにシンパシーを感じるものなのであろう。
ゴジラじゃないのは権利関係がややこしいからと勝手に推測する。
このタイトルの本の書き出しのオープニングがゴリラから始まるなんて
誰が予想できたであろうか。
関西人がお好み焼きをおかずに白米を食べるのが衝撃的な他府県の人たちの衝撃や
南海キャンディーズの山里さんが蒼井優さんと結婚したというニュースに勝るとも劣らない
衝撃的な書き出しである。ゴリラの出だしのこの1行でこの本は完全勝利である。
この出だしを読んだだけでこの本を購入した事が間違いではなかったと確信した。
なんと素晴らしい書き出しであろう。
読み初めの1行だけで心が揺さぶられ涙が出ちゃう女の子だもん。
違うおっさんだった。

しかしこの読書感想文、出だしのゴリラだけでこの文書量である。
そりゃ誰も読みやしない、これが他人の文章ならたぶん自分も読まないであろう。
おそらく著者にリンクを送ったとしても最後まで読まれないと思う。
まぁそんな事はどうでもいいんだよとこの本は教えてくれる。
続きを読みたければこちらから100円で続きが読めますとnoteの様なリンクの仕様になっていても
誰もそこをクリックすることはないのは間違いない。
ちなみにnoteはお金の匂いがするクリエーターの集まる場である。
ド素人は決して近づいてはいけない。
文章を書くことでお金や対価に目がくらんではいけなとこの本も言っている。
ネットの文章は検索できてひっそりと長々と書ける場であればどこだっていい。
過去にブログ人が無くなった時にバックアップを取り忘れたので
50本近くのブログの文章が消えたのには流石に殺意を覚えたが
選ぶならサービスが終わらない場所が安全ではある。

ここまで長々と書いてもどうせ読まれないのだからお気楽なものである。
別に読まれない事に拗ねているわけではない
どれだけ書いても読まれない事を私は軽く経験しているので
読まれないし賛同もされないけれど書くのである。
自分の文章を後で読んで感心したりクスッと笑う為の場があればどこでもいい。
10人しか読まれないのは可哀そうではなく、10人も読んでくれたスゲェである。
賛同者が1人でもいれば書いたかいがあるものである。
何十人、何百人に伝われなんか恐れ多くて
あんたが女優と付き合えるのかぐらいの恐れ多さである。

自分が書いた文章を後で読むとどうしようもないぐらい粗だらけではあるがなんだか少し楽しい。
それは苦しんで生み出したものだから、自分自身を褒めてもやりたい。
書いている時は苦しさもあるが楽しさもある。文を書くのはマラソンみたいなものかもしれない。
誰も褒めてくれないのだからせめて自分自身で納得したい。
書くのは苦しいし辛いのであるが長々と書いてしまうのである。
自分が楽しむ文章はどうしても長くなる。だって読者を想定していないのだから。
読者を想定した文書ならば読みやすく簡潔に伝える文章になるであろう。
そんな文章は世の中に上手い書き手が何人もいてそれを読んでいりゃ十分である。
私がそれを書く必要はない。同じ事がこの本にも書いてある。
文章が長い人は文章を書くのが大好きとか文章を書きたい人なんだと
よく思われがちであるがそれは全くの誤解である。
実はアホほど時間を使って細かく調べてああでもないこうでえもないと
唸りながら書いているのである。
ほんとに何でこんなことを時間を使って書いているのだと何度も自問自答する。
当然書き終えない文章がいくつも散在している。
売れっ子の作家みたいだと勝手に思うのは自由だ。
全ての文章は最後まで書ききる事は大変である。
本当にプロのライターがどれだけ凄いか、
文章を書いて金銭を得ている人たちがどれだけ凄いか
出版社は現行のギャラをもっと上げるべきだと声を大にして言っておきたい。
私にはまったく関係のない世界の話であるが原稿料の相場を聞いたら耳を疑った。
文筆業だけなんかでは食っていけないと・・
良かった私はインフラ野郎だ。

偉そうだと思われるかもしれないがこの本には自分が思っていた事や
考えていた事のオンパレードである。
そうなのか?という感想よりも、そうだよね!の感想が溢れている。
そうなのね?と教わる本もあるが、そうだよね!と
自分の思いを再確認できる本に出合うと心が弾む。
ライブで一緒にジャンプするのと同じで同調性があるのはやはり嬉しい。
読んでいてウキウキする本に久しぶりに出会った気がする。
このウキウキ加減が最初のゴリラに通じるのである。

とにかく「ゴリラ」の文字が衝撃的な本だったというのが一番の感想である。
「ゴリラが溢れたらあふれゴリラ」

最後に著者に是非とも聞いてみたいことが
一つあるのであるがそれが何かはここでは書かないでおこう。
将来もしお会いできた時に直接聞いてみたい。
それはセカンドバージン作「読みたいことを、書けばいい。寅次郎サラダ記念日」
出版記念サイン会にでも並ぶ事にする。

「読みたいことを、書けばいい。」本のタイトル通り
私はこんな感想がが読みたかったので書いた。

もしもここまで読んで頂いた人がいれば本当にありがとうございます。

アンコールとしてこれをTumblerに上げるかShortNoteに上げるか悩ましい葛藤がある。

「そんなのどっちでもええやろ!」

おわり

2019年06月19日公開:2022年4月24日ShortNote閉鎖につき転載。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?