地下アイドルの歴史~グラビアアイドルのオフ会がルーツだった!?

『現代地下アイドルのルーツは、90年代グラビアアイドルのオフ会である!』ていう仮説をもとに一稿書こうと思った矢先に、そもそも90年代アイドルグラビア自体、80年代アイドル、特に『おニャン子クラブ』の影響が濃厚であるということに気づき、そっから書かにゃと思うと気が遠くなる。

そもそも80年代後半、人々がアイドルに飽きが来ていたころである。本田美奈子なんか、「自分はアイドルというより、アーティストと呼ばれたい」なんて言っていたり(その言葉が、現代、歌手のことを『アーティスト』と呼ぶようになったきっかけです。私、リアタイでテレビ見てました)

そのころ、アイドルの炎を燃え上がらせるだけ燃え上がらせ、ぱっと消して次の時代を切り開こうとした人物がいた。そう、秋元康である。アイドルの素人感を極限まで追い求め、その裏で工藤静香などの本格シンガーを用意し、アイドルからガールズポップの時代へと変貌させたのであった。

時は下って90年代初頭、ブルセラブームの到来。パンツ売りの少女や援助交際が社会問題になりましたね。エロ雑誌においては、『素人現役JK』によるお下劣なグラビア・投稿写真によって占められていた(ただしホンモノという保証はどこにもなく、年齢サバ読みの企画モデルだった可能性大)

そんな中、同じ『ブルセラ的現役JKグラビア』の中でも、比較的穏健路線で、エロ要素は最小限にとどめ、写真の絵面の美しさを売りにする雑誌も登場してきた。『クラスメイトジュニア』『ベッピンスクール』そして、今も続いている『クリーム』である。

これらの『上品なJKグラビア』には、芸名のつけ方にも特徴がある。前述の『下品なJKグラビア』の場合、芸名はあっても下の名前だけ。それに対して、フルネームの芸名をつけ、無名ではあるが曲がりなりにも『芸能人』『アイドル』という立ち位置にした(当時はモデルと言うことが多かった)

芸名のつけ方も、いわゆるキラキラネームではなく、一般的日本人女子、それもやや古風な名前を付けられることが多かった。『中西由美』『小林有子』『桜井美代子』みたいな。ちなみにこれは、おニャン子クラブの芸名のつけ方を踏襲している(ここで話がつながるのね)

エロさを控えめに抑え、親しみやすさも込めた結果、メジャーのアイドルでもなければエロスのオナネタでもない、『身近な女の子像』が出来上がった。今の用語でいうと『萌え』というやつね。

また、『クリーム』においては、編集者(中の人)が紙面に登場することを特徴としており、編集長の特設コラムにおいて、「僕たちは、『かわいい女の子を見たいんだ~!』という根本的欲求をもとに誌面を作っている」という発言が。

そのころ、読者からの批評文を大々的に募集し、よかったものは誌面で採用!とあったので、私が立て続けに批評文を投稿したところ、なんと採用!後日、編集長にも合わせてもらいました。私の提案として、モデルの女の子の情報コーナーが欲しいと要望したところ、そちらも採用してもらって。

『クリーム』って、当時の版元が、エロ出版社であるところの『ミリオン出版』それもあって、モデル事務所に営業かけても門前払いだったことも多かったそうな。でもそれ以来、ちゃんとした読者がついているということで、事務所のほうから、ぜひうちの子を使ってくださいと宣材が送り付けられるように

『クリーム』が人気を博したことにより、ほかの出版社から、『ラッキークレープ』『ワッフル』と、お菓子の名前を付けた雑誌が雨後のタケノコのようにぞろぞろと。それにより、このジャンルの雑誌が『お菓子系』と呼ばれるようになり、出演するアイドルは『お菓子系アイドル』と呼ばれるように。


もっとも、お菓子系アイドルって、水着グラビア卒業後にヌードグラビア・さらにはAVに行ったり、最初から新人AV女優のプロモーションとして水着グラビア出演させることも多く、『犯し系』と揶揄されることも。

ちょうどそのころ、すなわち90年代後半ごろ、雑誌に出演しているアイドルを実際に自分の手で撮影できる『アイドル撮影会』が起こったり、グラビアアイドル同士が企画ライブを打ったりと、現代の地下アイドルにつながるムーブメントが起こる。

それと同時に、『ネットアイドル』という言葉も流行したな。無名の一般人がやってることもあるし、元または現役グラビアアイドルがやってたこともある。普段はネットで交流しつつ時折オフ会やったり。また、有志のファンが独自にアイドルのファンサイトを立ち上げ、アイドル本人も出入りしてたりした。

世間的には無名なアングラ系のグラビアアイドルや、全くの無名人が撮影会・ライブ・オフ会によって直接ファンと交流しているのに対して、ついにメジャーが動いた!秋元康である。AKB48である。『会いに行けるアイドル』というコンセプトが無名のアイドルたちを参考にしたのは想像に難くないだろう

ちょうどそのころ、YOUTUBE・ニコニコ動画といった動画サイトのサービスが開始され、アマチュアでも比較的簡単に動画を上げられるようになった。また、ヴォーカロイド『初音ミク』がリリースされ、アマチュアによるオリジナル曲が多数上げられるようになった。

期を同じくして、アニメでバンドのシーンが取り上げられたり、エンディングで主人公たちが踊るシーンが取り上げられた。


アニメの楽曲をコピーして歌ったり踊ったり、ヴォーカロイドの曲に自身で振付をして踊ったりして動画にしてUPすることが流行した。『歌ってみた・踊ってみた』の誕生である。また、楽器演奏をする『演奏してみた』も、同様に人気を博すこととなる。

動画サイトではなく、音楽ライブ業界としては、アニメソング・ゲームソング・ヴォーカロイド曲のコピーバンドが流行するようになる。(彼らは自虐を込めて、『ダメ系バンド』と呼んでいたが、今ではほとんど使われていない用語である。)

同時に、生演奏ではなくカラオケ音源において、アニメソングやメジャーのアイドル曲のカバーを主としたライブも多くなってきた。女性シンガーが多く、第二次地下アイドルブームといえる。

さらに技術の改革は進み、ニコニコ生放送などの生配信サービスもスタートした。現在では、SHOWROOMや17ライブを中心に、多数のサービスが誕生し、隆盛を極めている。配信者(今でいう『ライバー』)の中には、かなりの人気を博する人も多い。

ライブ中心に活動するアイドルとは別に、動画サイトや配信サービスを中心に活動するアイドルも多く、そういった人を中心とする、オフ会的なライブも多くみられる。以前でいうところの『ネットアイドル』の感覚に近いかな。

アニソン系の地下アイドルライブブームは2010代前半でいったん落ち着き、現在では、オリジナル曲中心の、第3次地下アイドルブームが到来している。ソロよりも、大人数ユニットが多いことを特徴とする。また、メジャーのアイドルユニットや、アイドルを題材とするアニメのダンスカバーユニットも多い。

コロナ問題により、ライブ活動を縮小せざるを得ない現状、かつてのグラビアアイドルやネットアイドル、歌ってみた・踊ってみた・生配信を中心とするアイドルの手法、大いに参考にするところはあるはずである。

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