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わたしの最強なママのはなし


わたしのママはとてもつよい。
といっても、ここ数年でかなりつよくなった。
無邪気でよくはしゃぎ、笑う時は大きな口を開ける。けれど繊細で、人の目を気にしては色々なことを考え込む人だ。

ママにはお姉ちゃんがいる。
わたしにとっては叔母にあたるが、この人はとても自由奔放で果てしなく元気なババアだ。
わたしのことを大声で笑いながらバシバシしばくし、車の運転も荒い。
よく分からない美容の酵素ドリンクを狂ったように飲んでいる。
冬場に会った時、どピンクのヒートテックを着てデカいサングラスを掛けていたので「お前中国人か?」と言うとエルメスのバッグでぶん殴られた。

この人の旦那も豪快な人で、自分の子供とわたしたち姉弟を分け隔てなく接してくれた。
うちのパパは仕事で忙しくて、あまり遊んでくれなかった。その分俺が構ってやるよ!と海や川に引きずり出しては釣りに参加させられた。

可愛くない子供だったわたしは、「別に構ってもらわなくて結構なのだが」「インドア派なので放っておいてもらいたいのだが」と屁理屈を言ってはボコられていた。
弟は楽しそうにはしゃいでいた。

だってお前ら、普段はお父さんに遊んでもらえてないんだろ?とおじさんは笑ったが、その気遣いがわたしには苦しかった。

のびのびと遊び、悪いこともやって、適度に叱られて、美味しいものをたべて、幸せに暮らしいている。そんないとこの家族が羨ましくて恨めしかった。

うちのママは、叔母とその旦那とも仲が良かった。県をまたぐのでお盆やお正月くらいしか会えなかったが、おばあちゃんの家に集まっては和気あいあいと家族会議をしていた。
いつもわたしの父だけが不参加だった。

夫婦仲が悪いんか??と叔母やその旦那にママはいつもつつかれていたが、へらへらと笑ってその場を流していた。天然気味であまり世の中を知らないママは、叔母夫婦の言うことが全て正解だと思っていた。

叔母が「うちの子たちは朝ごはんに納豆を食べさせてるのよ!頭が良くなるから!」と言った日から食卓には納豆が必ず並んだし、

「うちの子は専門学校に内定貰ってるのよ〜!」と自慢してきた時は、あなたも専門学校に行きなさい!と唐突に勧めてきた。

「あんたの旦那が家庭を顧みないのは、あんたの性格と態度が問題なのよ!」と指摘された日から、ママは引き攣ったような笑顔で1日を過ごし、夜は仏間で一人泣いていた。

繊細なママを傷つける叔母夫婦が、わたしは嫌いだった。田舎特有の、勝手なルールや常識に振り回されているママが可哀想で仕方がなかった。けれど、わたしもママをよく傷つけていた。

小学生の頃、とても可愛い友人がいた。
その子の家庭はシングルマザー、母親はホステスで美人だった。やはり親が美人だと子供も可愛いのか…と遺伝を羨んだわたしは、ママに「もっと美人に産んでくれてもよかったじゃん!」と理不尽な怒りをぶつけた事がある。
「○○ちゃんのおうちでは、ジュースたくさん飲んでも怒られなかったし!」と付け加えた。

それを聞いたママは、小さい声で
お母さんだって、がんばってるじゃない。
と呟いて、3日間ほど口をきいてくれなくなった。

ママは教育のために、とジュースを禁止したり、テレビの時間を決めたり、冷凍食品は使わないなど、母親として色々と考えてくれていた。それが当時のわたしにとっては、他の家庭と比べては落ち込む要因の1つであった。いとこ家族や○○ちゃんのおうちでは許されるのに、なんでわたしは駄目なんだろう。
ちょっとしたワガママを文句として伝えたつもりだが、今のわたしならママの気持ちがよく分かる。
旦那の稼ぎでブランド物を買い漁る叔母や、男に貢いでもらって生活している○○ちゃんのママの方が評価されていることに途方もない悔しさを覚えたのだろう。
ジュースやテレビの禁止だって、きっとテーブルの上に積まれた教育本を読んで、わたしのことを思って考えついたルールだった。

賢い子供であったわたしは割とすぐに反省して、パートから帰ってきたママの前で土下座をした。
するとママは少し笑って、お母さんもごめんねえ、と言った。

ママは普段、控えめな性格でおとなしく、ふわふわとした雰囲気を纏ったオーガニック風な女性だった。しかしブチ切れると乱暴になり、よくわたしの目の前でグラスを割ったり平皿を手裏剣のように投げていた。
1度、彼女はわたしのシルバニアファミリーの家にバキバキに折った布団叩き棒を突き刺したことがあり、その腕力と豹変ぶりに怯えた。

あるお正月、毎年恒例のおばあちゃんの家で家族会議をしていたところ、またもやママが叔母に家庭不和を指摘されていた。
困ったように笑うママを見ていたら、心臓が苦しくなって、つい「ママは悪くないよ、パパが浮気してるだけだよ」と口走ってしまった。
凍る室内の空気、最悪な年明けの始まりである。

前回の記事で話したが、わたしはパパの浮気に気付いていた。
ママに言うべきか、否か…とても迷っていたが、叔母夫婦に罵られるママを見ていたら、黙っていられなかった。

ママは驚き、ぽかんとしていた。
すると叔母が、「あんた、こんなこと暴露しちゃって…もう取り返しがつかないじゃない…」と頭を抱えた。ママの気持ちも考えてあげなさいよ、可哀想に…とわたしを責めはじめた。
やばいことを言っちゃった、どうしよう、と焦っていると、ママがわたしを抱きしめて、
「辛かったでしょう、教えてくれてありがとうね。」と言った。
そして叔母に、「この子は悪くないでしょう。責めるべきはうちの旦那です。」と、初めて反抗した。
その日から、うちのママは最強になった。

正直に言って頭の弱いママが心配だったのだが、彼女はわたしの想像を遥かに超えて有能だった。

その時まで知らなかったが、ママは高卒なのに死ぬほど資格を持っていた。独身時代にコツコツと勉強をしていたらしい。
「女は大学に行く必要は無い!」と祖父母に反対されて進学は諦めたが、就職してからもこっそりと転職に有利な資格を集めていたのだそうだ。中学生のうちに英検2級も取ったらしい。まさかの才女だったとは…。

父を家から追い出したママは、パートから稼ぎの良い正社員になり、トントン拍子で役職持ちになった。

それから国家資格の勉強をはじめ、わたしの大学受験と弟の高校受験と同時期、家族3人みんな受験生という地獄の1年が爆誕した。
ちなみにママと弟は受かってわたしだけ落ちた。浪人生爆誕。マラソン置いていかれた。

次の年、わたしは念願の大学生になり、家を出た後にがっつりメンタルがやられて病院に通っていた。可哀想。
その時に処方された薬が、実家で見たことがあったので驚いた。向精神薬。
この時はじめて、ママの豹変ぶりが躁鬱の症状だったのだと気が付いた。

ママは薬で精神を保ちながら、わたしを大学まで行かせてくれた。弟も専門学校に通って、今はしっかりと働いている。
あの一件以来、叔母夫婦たちとも上手くやっているようだ。
偉大すぎやしないか、とひれ伏したくなる。

死にたがりのわたしが未だに死にきれず、這いつくばって生きている理由の1つにママの存在がある。
こんなに苦労して育て上げた子供が、自分の目の届かないところでしんでしまうだなんて、親としてこれほど無念なことはないだろう。
強く見えるけど、きっとママは脆い。
もし、わたしの自死が成功したならば、ママの人生も同時期に終わってしまうかもしれない。

単なるワガママだけれど、ママに「こんな最期になるなら、あの子を産むんじゃなかった」と思って欲しくない。それに、ママが奮闘した数年間を、無駄だと思って欲しくないのだ。

ママには会社を辞めたことはバレているようだが、以前LINEで生活費の心配をされた際に「スーパーアルバイターだから大丈夫だよ!」と答えたら「スーパーの店員さんなのね!」と返してきたので、天然度は相変わらずのようだ。

昔、ディスキディアという観葉植物をプレゼントしたが、「デス・キティちゃんは今も元気よ!」と先日写真を送ってきた。どんなサンリオキャラクターだよ。

こんなニートで不甲斐ない娘ではあるが、なんとか都会の波に揉まれながら生きています。
絶対に生涯、お金の無心だけはしないと心に決めています。いつか笑顔で田舎に帰れるよう、誠心誠意努めてまいります…。

以上、最強なママのお話でした。
読んでくれてありがとう。

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