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夕刻の書き散らし【2024年4月25日】

「言語偏差値」なる言葉がこの世に存在するかどうかは知らない。
ただ、自分の考えや思いを言語化して他者へ伝える能力を言語偏差値と定義するなら、恐らく私はその偏差値が低いに違いない。
小説や映画、ドラマなんかの感想を求められた時、咄嗟に口を突いて出る言葉は「なんか凄い」とか「滅茶苦茶面白い」とか短絡的な感想。
「この作品はこういうところがこうで、あの部分がどうだからこういう解釈ができる」などと論理立てて答えることが得意ではないのだ。

今凄く、仕事のことでモヤモヤしている。
恐らくは私が悪いわけでもないし、担当者さんが悪いわけでも描き手さんが悪いわけでもない。
上手くかみ合いきれなかった歯車をどちらかが歯を削って補正するしかない中で、今回は私の歯を削ってくれと言われているだけ。
そう頭の中では分かっているのだけれど、そのことに対してどうしてモヤモヤしているのか。自分の中にあるモヤモヤという感情を上手く言語化する術がなくて、先ほどから一時間ほどぼーっとしながら過ごしている。
このnoteはそんな私が頭の中を整理したくて、ただ漫然と時間が過ぎていくのは勿体なくて書き起こしている、独り言に過ぎない。

話は飛ぶが、先ほど最近巷を騒がせているデート商法に近い形で詐欺を行った女性のXの投稿が目に付いた。
身柄勾留中にしたためた日記を代理人が公開しているというそのポストは、拙いながらも己の内面を客観的に俯瞰し見事に言語化しているという点において、私には言語偏差値が高い文章として見受けられる。
ああいう文章が書けるようになりたい。素直に彼女の才能に嫉妬した。

もしこのモヤモヤを、悪口になることも恐れずに言語化するのだとすれば。
――と、この先を書き進めてみたところ、思いのほかただの悪口だったのでやっぱり消した。
一応、言語化することには成功したけれど、図らずも誰かを責める文章になってしまう以上これは悪口になる。公開していいものではない。
人を傷つけず、悪者にせずに己の思いを吐露することの難しさを思う、春の日の午後。
世の中は生き辛いなぁ……。

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