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嫌でも、いい。

昨日は江戸小紋という、伝統工芸の型彫り体験教室に参加しました。

和紙同士を柿渋で貼り付けた特製の紙。
その上に描かれた「麻紋様」という一番シンプルな模様を、小刀でひたすら彫る、切り抜く作業。
最初はまっすぐに刃が入らず、四苦八苦したものの、だんだんとコツを覚えてくると、刃先が素直に言うことを聞いてくれるようになり、リズムが出てきます。
同じ動作を繰り返しながら集中して指先を動かす時間は、瞑想している時のような感覚に近いかもしれません。
一方で、油断すると、頭の中でぐるぐるといろいろな思考が暴れ出し、脳内は大忙し。

体験教室から帰ってきて、息子に細やかな江戸小紋の写真を見せながら、話をしていた時のこと。
息子がポツリ、とこんなことを言いました。

「・・・これってさぁ、今は機械やAIで、人間がやらなくてももっと正確に、精密にできちゃうんじゃないかって、思うんだけど。なんで人間がやる必要があるわけ?」

一瞬、反論しようとして、言葉を飲み込む私。

確かに、そうだよね。
正確さ、美しさを求めるのなら、人間の手を通さない方が、左右対称の完全な美が、作れるのかもしれない。

なんと答えようかと、考えあぐねていると、息子がこう続けました。

「・・・と言うように考えてしまう自分が、嫌だな、って思う」

吐き捨てるようにそう言って、顔を伏せる息子。

この言葉が、その後しばらく、私の頭の中で、ぐるぐると渦を巻いていました。

そうか、嫌なのか。
君は、そう思ってるんだね。

そして、この言葉を聞いた時、私の中では、ほんわりと、明るい光が差したような気がしたのです。

「伝統工芸なんて意味がわからない」と言うだけでもよかったのに、そこにチラリと見えた本音。
彼の中の葛藤が見え隠れして、それをこの場に吐き出してくれたことに対して、何か安心したのかもしれません。

その時は言わなかったけれど、少し時間が経ち、私の中ではこんな想いが湧き上がってきました。

嫌でも、いい。
自分の中の違和感に気づいてるなんて、すごいね。
さらにそれを言葉にできて、発信するなんて、まじですごい。
ただ、そう感じている自分を、味わえば、それでOKなんだよね。

この言葉は、息子にはかけませんでした。
こんなことを言っても「は?何言ってんの?」と言われるのがオチだと思ったので😅

そして、この言葉は、むしろ私自身に対して発している言葉かもしれないな、と思ったり。

いつも、いい人でいなくても、いい。
綺麗じゃない部分を、出したって、いい。


今週末は久しぶりに八ヶ岳へ。
おそらく、自分自身と向き合う、大切な時間になるのではないかな、と感じています。

それにしても、最近、諸々詰め込み過ぎの感があり😅
波に乗っているつもりでいたのですが、落ちついてnoteを書く時間がとれなくなりつつあるのは、警告サイン。
このタイミングで東京を離れることにも、何か意味があるのかもしれません。

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