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ある夜に想うこと

ゴロン。
ごつごつしたウッドデッキに寝そべる。
耳に心地よく響く、さわさわ、というささやかな川のせせらぎ。
時折、ぷーんと耳元を徘徊する小さな吸血鬼の羽音。

人里の奥深くにあるこの場所は、私のお気に入りのスポットだ。
時折頬をなぜるように優しく吹く風は、涼しさを通り越して少し肌寒くすらある。

雨の季節は早々に過ぎ行き、記録並みの猛暑が続いている7月の東京。
昼間は熱風にさらされ、夜は夜でじわりと汗が噴き出る熱帯夜が続く。
留守番をしている息子と2匹の猫たちは、ガンガンにクーラーをかけた部屋で、やっと眠りに落ちた頃だろうか。

今、私がいる山と木々に囲まれたこの場所は、同じ都内とは思えない別世界が、広がっている。

木の枝と校舎の間に見える多角形に切り取られた夜空。
暗闇に目が慣れてくると、一つ、また一つと、宇宙に散りばめられた星たちの瞬きが目に飛び込んでくる。

蚊取り線香の煙が、私を守るバリアのように、顔から足元へゆったりと流れる。

目をつむり、全ての感覚を研ぎ澄ませる。

何か大きなものに抱かれているような心地よい安心感。
そして、それと同時に感じるのは、言いようのない恐怖感。

何一つ、身を守る術を持っていない自分が、大自然の中に晒されている、という心細さ。

自然は優しく、そして恐ろしい。

太古の人たちが常に感じていた「死」に対する恐怖心は、こんな感覚だったのかもしれない。

そして、一年前、この場所を訪れた時のことを思い出す。
その時の私と、今の私。

一年前の私は、自分のやりたいことが見えずに、ただ目の前のことにがむしゃらに取り組んでいた。
それが何かにつながると信じて。

そして一年後。
私はまた同じ場所に辿り着いた。
あの時はゆっくりと星を見る余裕なんてなかったけれど、今は気の済むまで夜空を見つめ、自由に想いを馳せる。

この一年で学んだのは、人との心地よい距離感だったのかもしれない。
何かというと、すぐ相手に共感してしまう体質の私は、今は、まず「自分ありき」であると、感じている。

手を差し伸べる前に、一呼吸置く。
その問題は、「私」の問題なのか、「あなた」の問題なのか、意識を向ける。

そうしてお節介を焼こうしている自分に気づき、そっと見守る体制に切り替える。

もちろん、相手に求められれば、惜しみなくサポートしたい、とも思う。
でも、相手が求めてもいないのに、こちらから口を出すことはただのおせっかいではないだろうか。

なぜなら、たいていのことは、人は自分で気づき、解決できるから。
裏を返せば、自分で気づかなければ、変わることはできない。

見守ることは、時に苦痛を伴い、歯痒さもある。
自分の意見を押し付けたい衝動に駆られ、我慢できずに口に出してしまうこともある。

エゴとの戦いを制するのは至難の業で、うまくいかない時もたくさんある。

そんな葛藤を繰り返しながら、私は今、ここにいる。

私の書いた人生のシナリオは、この先、どう続いていくのか。

常に感じるのは、ワクワクだけではない。
そこには先行きが見えないことに対する不安もある。

でもね。

「明日死んでも後悔しないように生きたい」

ずっと、そんな生き方をしたいと思っていた自分の想いを、今は大切にしたい。

そんなことを想いながら、数百年前の瞬きを放つ星たちを見上げる。







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