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反戦歌「脱走兵(Le deserteur)」

 先日聴きに行った「島本弘子シャンソンリサイタル」、サブタイトルは「人生を、愛を、自由を」
その中で歌われた「脱走兵」
島本さんは現在のウクライナへのロシアの進行を憂いて大統領に早く辞めてほしい、戦いを止めて欲しいと語ってから歌い始めました。
今日の記事はその「脱走兵」のご紹介です。


作曲年と作者

 「脱走兵」が発表されたのは1954年。
作詞はボリス・ヴィアン(boris Vian)、作曲はボリス・ヴィアン(boris Vian)とアロルド・ ベルナール・バーグ(Harold Bernard Berg) の合作

ボリス・ヴィアンは作家、詩人、翻訳家、トランぺッターそして歌手という多彩な人物でした。


歌詞の内容

 歌詞は、 召集令状を受け取った若者が、大統領にあてて書いた手紙文になっています。
若者は「明日、自分は逃げ出す」事を伝え、戦争によってもたらされた家族の悲劇を綴り、戦争を拒否せよ、と訴えかけます。


まずはこちらの高石友也さんの訳の、沢田研二さんの歌をご紹介。
かなり原詩に近い歌詞で内容がよくわかると思います。


こちらが作者、ボリス・ヴィアンの歌う「脱走兵」



この曲の時代背景

 この曲が発表された1954年はフランスにとって二つの意味で重要な年でした。
一つはインドシナ戦争での敗北。そしてもう一つはアルジェリア戦争の始まり。
 長い間フランスの統治下にあったアルジェリアが、ベトナムを含むインドシナ4国の独立に力づけられ独立運動が活発化 。そして1954年11月に独立に向けて一斉蜂起を始めます。

 そんな中で発表されたこの「脱走兵」は、コンサートで歌われると「反愛国主義的である」という理由で、妨害行為にあいます。
そして1958年に、この曲のラジオ放送と販売がフランス全土で禁止。
この措置はアルジェリア戦争が終わる1962年まで続きました。

こうして一時的には忘れられた存在となったこの歌は、1965年にアメリカでの反戦運動の際に歌われ、蘇ります。

その後この歌は世界各国で色々な歌い手によって歌われてきました。
日本では1960年代後半にフォークソングファンの間に広まったようです。
前述の沢田研二さんをはじめたくさんの方に歌われています。


平和への願い


世界のあちらこちらで起こる戦い。
世界中で反戦歌を歌う必要がなくなる日が、一日も早く訪れますように!