気のいい奴

友人が死んだ。

大学時代の同級生だった。とんでもない金持ちで高級車に乗って通学する、文字面を追うととんでもなく嫌な奴だがフランクな奴だった。

誰かを責めるところを見たことがない。
誰かの悪口を聞いたことがない。
寛容で、ついでに自分にも甘い、お茶目な奴。
良くも悪くもしたたかさがなくて打算もなくて、
軽口をたたいてひょうきん者だった。

彼が大病を患ったのは出会う前だった。
出会ったころにはすでに杖歩行。車いすで過ごすこともあった。
何年か留年しつつ医者になって、免疫の具合もよくないので感染症をもらって集中治療室で生死をさまようこともあったが医師として身を立てたい想いがあって1年一緒に働いた。

どの世界も身を立てるには自分と向き合い自ら這い上がるしかない。
医の道も同じ。眠れぬ夜を過ごし自己研鑽に励む。頑張ることは大前提。うまくいかなくて誰かに慰められても何の意味もない。自分と対話し登る。滑落もあれば停滞もある。それでも前進し続けようとするかどうか。アートの世界と違うのは学問ではあるので地道にやれば芽がでる。

しかし、それも年単位。やり続けることができる人は少なく、芽が出ていることに気が付かないことがあるし、芽が出ていないことで心折れる人もいる。

彼はどっちだったんだろう。
自分のことを俯瞰でみるのは皆苦手かもしれないな。
いずれにせよ彼は自分とは別の道を歩むことを決め別の病院に就職していった。

生き方が違う。そう感じた。
職業機能を果たすためにできることはすべてやる。ここまではできない。そのせめぎあいは絶えずある。芽がでないあるいは芽が出ていることを感じられないなら『この仕事でここまでのことはできないな』が勝ってしまうだろう。それでも患者のために、そこは耐えようよと当時彼に感じたのだった。

今考えると、大病の後遺症と戦い続けた半生だっただろう。
40代の若さで入退院を繰り返していたことから考えると
彼は彼で全力を尽くして生き抜いたのかもしれない。

生き方が違う。まず職業機能を果たす。社会に貢献する。社会になくてはならない人材になる。身を立てた上で自分の人生に彩りを加える。この順番は自分の中では外せない。能力がたとえ低くてもいいんだ。過去の自分を超えて行け。そうでなければね。苦悩しながら進む同士。そう信じていたけれど大抵は脱落していく。こういう考えで生きるとそりゃあ生きづらくなる。それでも外せないからどんどんと友人とは疎遠になっていった。

バカ話ができて、人の痛みが分かって、懸命に自分の人生を生きてりゃそれはそれでいいのかもしれない。疎遠になった友人が死んでしまった。もう彼と何かを語ることはできない。寂しいな。

ただ、彼がいま、生きていたとしたら。まだ会話できるとしたら。
きっとやっぱり疎遠のままだろう。生き方がちがうのだから、こちらがコントロールできるものでもなくて違う選択をしたのだから。

恋人と別れるとか友人と決別するっていうのは
自分のなかで二度と会わなくなる死と大差ないのかもしれない。惑星の周期のようにいつかまた近づく日がくることがあるのだろうか。

曖昧にしておくことで緩い繋がりをもつことの不得意さを感じている。

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