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うちの雑煮

8年ぶりに雑煮を作った。

父が亡くなってからは、実家へ帰って、墓参りをして雑煮を食べていた。
この年末年始は、連れ合いも私も仕事の手を動かしている。
忙しいのではなく仕事の流れと暦がかみあわないだけで、自由業同士の夫婦の暮らしはいつもこんな風。

大掃除は年度末か一つの家づくりが終わった時にやることにしていて、
年末はいつもなら30日あたりから年賀状を書く。
その数少ない年末行事をさぼったので、ますます暦から遠ざかっている。
少しはお正月らしく、せめて雑煮は作ろう。
どんこと昆布をそれぞれ水につけて新しい年を迎えた。


親元を離れてひとり暮らしを始めた時に、初めて作った料理は肉のカレーだった。
不思議なことに、何の肉だったかは覚えていない。
母は肉を食べない人で、実家のカレーやシチューにはえびが入っていた。
自分が食べないだけで食卓には出してくれたので、
食べたいのに食べられないという思いはしたことがない。
そんなわけで、肉を使った料理を、食べたいというより作ってみたかった。
ひとり暮らしを始めてしばらくは、ハンバーグや餃子を作ることが楽しかった。


で、正月。
雑煮を作ることにして、連れ合いにどんな雑煮を食べたいか聞いてみた。
「鶏肉がはいったやつ。」
大賛成。私も食べてみたい。

実家の雑煮はかつおと昆布のすましに、芝海老、大根、金時人参、たけのこ、しいたけ、あしらいは三つ葉。

そしてなぜかくるくる渦巻のなると。餅は角で煮る。
もとより両親は故郷が違い、子どもたちは東京で生まれ育っているので、
もはやどこのものだかよくわからない「うちの雑煮」だ。
さらに私は煮餅をことわって、ひとり、焼き餅をのせて食べていた。

今年のうちの雑煮は鶏肉に大根、金時人参、たけのこ、しいたけ、
連れ合いの島の実家から届いた紅白のかまぼこ、丸の焼き餅にあしらいはゆずの皮と三つ葉。
芝海老のやさしいうまみもいいけれど、鶏、おいしい。

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ネパールで、ガイドやポーターの友人たちの村に居候したときを思い出す。
トレッキングから村へ戻った日は停電で(ネパールではよくある)、
友人が鶏をしめて羽をむしるのをヘッドライトで照らしながら見ていた。
骨ごとぶつ切りにしてカレーにする。
ネパールの鶏はうまみが濃くてとってもおいしい。
骨を持つ指が黄色くなった気がしてくるけれどお構いなし。
実際、帰ってきてもしばらくは、爪と皮膚のさかいめが黄色くなったままだ。

かわいがっていたニワトリが晩ごはんのおかずになって肉を食べなくなった少女の娘は、まぁまぁけっこう図太く育ち、「あぁ、またあのうまい鶏が食べたい」と思いながら旅のできない日々を過ごしている。

手を変え品を変え餅太る正月。
40代半ばの私にはあの宣伝文句が思い浮かぶ。
そういえば、餅とカレー、一緒に食べたことないなぁ。


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