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心療内科へ行ってきた


何度も行こうと思いながら、人生が思いもよらぬ方向に行ってしまうんじゃないかと想像してずっと行けなかった心療内科へ初めて行けた。

精神科、心療内科、メンタルクリニック。違いはわからないがネットで検索する。時々めぼしい所に電話したけれどどこも予約でいっぱいだった。一方で行けない理由ができて安心したりした。
でももう「普通の人」を装うことが限界だったんだろう。

すぐに最悪の事態を想像してしまうのは私のひとつの症状だ。

例えば作業中に「ん?」と一瞬思うような事があったとする。しかしそれはいつもの考え過ぎだから大丈夫、と思い込むことにする。
でもずーっと「ん?」が気になって作業に集中できない。結局中断して戻る。
のだがここからが異常なのだ。
確認する。大丈夫。あれ?さっきこっちは確認したっけ?確認する。あ、確認中にこれとこれをごちゃ混ぜにしちゃったかもしれない…でもごちゃ混ぜにしてなければなおしてはいけない…
どこまでいっても確認が終わらなくなるのだ。当然周りは不審に思う。
「どうしましたか」
と聞かれても既にとっ散らかった確認の連続を順を追って説明出来ずダメ人間となる。
しかも今度はその説明が正しかったかが気になって説明の訂正や確認がしたくなる。

そういうことが1日中、毎日続く。

自分のせいで→会社が潰れるかもしれない、誰かがケガをしたんじゃないか、死んでしまうかもしれない、火事になるかもしれない、そしていちいち確認をする。念のためもう1度。あれ?今確認したのは昨日の記憶?じゃあもう1回。
確信が持てないので何度も確認を繰り返す。自分はバカなことをしているとわかっているから泣きそうなんだけど、他人に変な人だと思われないように普通の人っぽく細心の注意を払って繰り返す。

初めて訪れたメンタルクリニックで、カウンセリングを受けた。カウンセラーの方は寄り添いもせず呆れた態度もせず、あくまで中立的だった。
しかし、会話の最後で「ずいぶんすり減ってきたでしょう。」
と、言った。その言葉があまりにもドンピシャ過ぎて、すり減り削り取られた部分が塊になって全部見えたような気がした。

私はかなり人に恵まれていたんだと、今更思う。
出てしまう症状に自分で疲弊はしても、周りからその部分をバカにされる事はほとんどなかったように思う。
しっかり者でひょうきん者になり、その強みでバカにされないようにしていた気もする。

が、しかし事務に転職したとたんにかろうじてうまく回っていた歯車はガタガタと音を立て始め、そして止まった。なぜ事務職でこんなにも感情がすり減ったのかはわからないのだけれど、もしも「自分」が会社の同僚にいたら苛つくと思う。そういう態度になるのは当然だよな、と思う。
しかし心がすり減らない理由にはならんのよ。

自分が悪いんだとわかっていてもこのまま定年まで、どうしようもない奴、またか、そんなもんは自分で判断しろよ、という視線を感じ続けながらも何かが起こってからじゃ後悔すると思い込んで、おかしな言動をする事に生物として限界を感じた。

想像ではなく、本当に強迫性障害なら、手帳を申請したい。それで世界が180度変わるとは思わないけれど自分の障害をオープンにして働く事でかなり気持ちに余裕ができると思うのだ。

ドクターからは、手帳の3級は取れると思う、と言われた。それでも手帳を申請するまで半年かかる、それまでの辛さは薬で調整してみましょう、と

これから通院と服薬、障害者手帳取得→雇用、自分の夢、とが同時進行していくのだ。

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