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In The Cave#7はじまりのヨウス

洞穴からこんにちは。

何をどこから書けば良いのか
下書きをいじくりまわして、はや数日。
私の人生で後にも先にも
「師」と呼べる人は、唯一人。
皆様には「師」と呼べる方は
いらっしゃいますか?


私が洞穴の住人なら
師は巣穴の住人でした。

私のライブ通いは、高校に入ってからで
最初はホールクラスでのコンサート
ライブハウス デビューは、二十歳になって
からです。
最初は気の合った友達と2人だけでしたが
いつの間にか、顔見知りが増え
更に、知人が知り合いを増やし
知り合いの知り合いの知り合いの知り合い
みたいな(笑)
気づけば、ややこしい柵の中に居た。

親しくなった人の中には
AVを撮影していたカメラウーマン
20歳で飲み屋を任されたチーママ
ヤ○ザさんの娘
某、女性リポーターの娘
と、まあバラエティに富んだ
キャラ立ちしてる人達がいて
ただ生きてたら聞けないような
面白い話がたくさん聞けた。

私?私はその頃、しがない事務職員(今も)
ライブの時だけ、濃いメイクをし
地元では後ろ指をされそうな服を着て
賑やかな夜を駆け抜けていた。

それがホントの自分だったのか
変装していた自分なのか、今となっては
分からない。

あるライブの日
いつもの様に、並んで開場待ちをしていると
前に並んでた人が声を掛けてきた。
デザインフェスタに作品を出品するとかで
フライヤーを送りたいからと
お互いの住所交換をした。

彼女は写真家で、P-MODELのファンで
特に、キーボード妖怪と称された
ことぶき光 氏の追っかけだった。

キーボードの砦の住人
ことぶき光氏


私もP-MODELが好きだったので、意気投合
彼女が撮った、ことぶき光の写真を
その場で見せてもらった。

ことぶき光がやっていたバンドのライブ写真
その中に当時、気にも止めなかった
私の師となる秋元きつね氏が居た。


CMのキャッチコピーは
プレゼントに最悪

秋元さんと出会うまで、更に数年の時を
必要とした。

次のヨウスへ続く。

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