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心には年齢がないと思ってる、けども。

昨晩、父・72歳が左腕を骨折して入院した。
と言っても、同情するに値しない。

同窓会からの帰り道、ほろ酔いで電動自転車に乗り、角を曲がりきれずに転倒しただけなのだ。

「行けると思ったんだよね〜」


病院に駆けつけて、コロナで面会を阻まれて、電話したら第一声がこれだった。
心配が怒りに転じた私は悪くない。

母も「バカじゃないの?!」とぷりぷりしていた。当然だろう。
だが、私は怒りながらもこっそり父に共感していた。

普段はさ、歳を考えて行動してるんだよね。
でもとっさの時には「かつてと同じ」感覚で、体が動いてしまうんだ…


しかし。
本当は母も人のことは言えない。だって実によく年を忘れるから。

例えば、一緒に買い物に出かけた時のこと。
とある店の服を、じっくり眺めた母がこう言った。

「こんなオバサンっぽい服、私イヤだわ!」


もちろん、なぜ店内でそんなことを言うのか、との問題もある。
それに確かにその店は、「推定60歳以上服」専門店。

派手なバラ柄の『ブラウス』とか、ラインストーンの入った『スラックス』とか、三越だの高島屋、パルコでは見かけない服しか存在していなかった。

だから母の言うことはあながち間違いじゃない。
間違いじゃないが、母はその時72歳。オバサンどころか、

完全におばあさんなのが問題だった。


しかもよく響く彼女の声は店の外まで響いて、同年代と思われる店主さんにじっとり睨まれた。

その目は「鏡を見よ」と言っていた。

私はちょっとあきれつつ、店主さんに頭を下げつつも、同時に「わかる…」と思っていた。

そりゃいつも鏡が目の前にあるなら、こんなことは起きないのだよ。
だけどそうじゃないからさ、つい心の自画像に合わせた発言が飛び出ちゃうんだ。


「魂に年齢はないのです」なんて言葉を聞くけれど、これが真実だと心の底から納得できたのは、ほんとに最近。

自分がアラフィフとなり、体の機能や見た目がアレになってきても、心は別の時間軸で動いていると体感したからだと思う。

別の時間軸というか、時間そのものが、ない。


13歳の頃の、真夜中に好きな歌を聴いている時の気持ち。
親の薄くなった肌に、胸をつかまれる思い。

それが同時に、今、私の中に存在している。
そこには年齢なんてない。時間もない。

だけど、体はしっかりおとろえていくから。
その変化に直面すると、びっくりしてついていけなくなる瞬間があるんだよね。


私には、両親もそこに戸惑いを感じているように見えた。
それは未来の自分の姿でもあるんだろうと思う。

私よりもっと先を体験している両親を見ながら、そのすり合わせを上手にしていくのが、ここからの課題かなあなんて、考えた。

体に引っ張られて、心の自由を失わないように。
でも心だけを見つめて、体に無理をさせないように。














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