見出し画像

クラークス メモ

 主人公のダンテは店長からの電話を受け、コンビニでのバイトに向かう。ダンテは店長の代わりに店を開け、閉店まで店にいなければいけない。しかし、バイトが嫌なダンテは隣のレンタルビデオショップで働くランドルと何度かバイトを抜け出そうとする。例えば、友達の結婚式に向かったり、コンビニの屋根の上でホッケーをしたり。
 ただ、これらの行動は全て失敗に終わってしまう。結婚式からは棺を倒してしまい追い出され、ホッケーはボールを遠くに飛ばしてしまいゲームが続行不可能となり、またコンビニに戻ってくる。つまり、ダンテはコンビニに居続ける存在。同じくバイト中のランダルはビデオショップとコンビニを行き来している一方、ダンテはコンビニのレジに居続けランダルや客を出迎え続ける。つまり、コンビニバイトの役割を強制され続ける。
 なので時間は進むが物語は停滞し、『クラークス』は会話が映画の大半を占める。しかし、『帝国の逆襲』と『ジェダイの復讐』のどっちがいいかといったどうでもいい会話ばかりだが。ただ幾多の会話が繰り広げられる中で、サイレント・ボブだけは他と違っている。ケヴィン・スミス監督自身が演じるサイレント・ボブは、コンビニ前に親友ジェイとたむろする。そしてサイレントという名前の通り一言も喋らない。会話劇の中で喋らないサイレント・ボブという存在は『クラークス』の中で特に異質なのだ。
 ただ映画の終盤、一言だけセリフを発する。それは「ハクい女はラザニアなんか作っちゃくれねえよ」というダンテに向かってのセリフである。これは、物語冒頭でダンテと彼女が喧嘩するのだが、それを解消し仲直りへと向かわせるだめのセリフだ。仲直り自体は失敗するのだが、このセリフを発すること自体に意味がある。
 先ほども書いたが、『クラークス』は物語としては停滞している。ただ、物語として話を閉じさせるために効果的なのがラブロマンス。古典的ハリウッドは男女が結ばれることが物語の終わりを告げるということが主だし、一般的な物語でもラブロマンスの成就は物語の終わりの雰囲気を匂わせる。つまり、それまで一言も発さなかったサイレント・ボブのこのセリフは物語を閉じさせようという意志を感じさせる。さらに、これを言うのは監督演じる役であるため、メタ的に見るとなおさらそう見える。
 ただこの目論見はダンテと彼女はまた喧嘩してしまうため失敗に終わる。が、この失敗にこそこの映画の本質が現れているような気がする。ダンテは最後までコンビニに居続け映画はコンビニの閉店時間にダンテが店を閉める場面で終わる。つまり、物語が終わるのではなく時間的にコンビニの営業時間が終わることで映画が終わる。この物語的な映画の終わりでなく状況で映画が終わりを迎えるという新しさが、『クラークス』の魅力であり、アメリカインディーズ映画の代表作として挙げられる要因なのだと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?