音を奏でる事 5 目眩く音の体験

家族との関係は暗黒だった私の音大時代だけれど、音楽学生としてはありがたい体験を沢山させてもらった。魅力的な演奏を聴かせてくれる沢山の同級生や先輩がいて、私が知らない深くて広い音楽の世界は、果てしなく目の前に広がっているようだった。学校にいけば沢山の楽器があり、レコードがあり、友達と一緒に演奏する機会もあった。アンサンブルの授業でオルフの打楽器合奏の練習曲に触れた事、合唱の授業で一流の演奏家と共演できたこと、友人達とモーツァルトのオペラを抜粋で上演したこと、そこに居た私は家で家族とうまく行っていないことなどまるで別世界のことのように、音楽を学べることを楽しんだ。ただし、歌手として、ソリストとしての技量を伸ばすことには行き詰まってもいた。入学の時には良い成績だったソロの演奏も徐々に成績がおち、大学で師事した先生には途中からは匙を投げられてしまうほどだったのだ。

それでもオペラの世界に心惹かれていた私は、大学3年生になった時、私に最初に歌うことを教えてくれたオペラプロデューサーを再び訪ね、彼が設立したオペラ研修所で勉強させて欲しいとお願いしに行った。研修生としてモーツァルトの「フィガロの結婚」に始まり、ロッシーニやドニゼッティ、プッチーニのオペラに触れられたその2年間は夢のような時間だった。モーツァルトのオペラのなんとドラマチックなこと、美しくも悪魔的なその音楽の深い不思議な世界を覗くと心が躍った。目眩くプッチーニのオペラアリアには胸がときめき、心を揺さぶられ、何度も涙がこぼれた。イタリアベルカントオペラを歌う歌手達の信じがたい程の声のパワー。この世のものとは思えない美しいその魅惑の声にはどんな人間も抗えないに違いないと思えた。
一方で自分の声の限界を既に感じていた私はソリストとしての研修より、アンサンブルとして演奏する事により喜びを感じてもいた。また舞台に立つことも楽しかったが同じくらい、舞台袖にいてオペラの進行を見守ること、衣装やメイクを整える事にも喜びを感じながら学んだ。本当に沢山の体験をさせてもらい、研修所修了後はオペラの本公演にも合唱として舞台に立たせてもらえた。本公演で日本でトップクラスの歌手達と同じ舞台に、合唱として立つということは目も眩むようなゴージャスな体験だった。

そして、合唱として参加していた5回目の本公演に私の恩師であるオペラプロデューサーがスカウトしてきた若手の歌手との運命の出逢いがやってくる。

オペラ「蝶々夫人」のキャストとしてやってきたバリトンの歌手はなんと私と同じ年の現役芸大大学院生だった。現役の学生がキャスティングされた事はセンセーショナルで皆が注目していたが、その第一声を聴いたときの感動を私は一生忘れられない。
「この人の歌をこの先もずっと聴き続けていたい」と思った。
別に目を見張るほどとの美声だったわけでもなく、ものすごく技巧的な演奏だった訳でもない。ベテラン声楽家達にもひけを取らない達者な舞台さばきではあったけれど、まだまだ荒削りな歌だった。それでも彼の演奏にはえもいわれぬ魅力があった、力を持っていたのだ。これからきっとどんどん輝きを増していく歌手になる、と思った。



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