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人生終盤戦に入ってもまだ、知りたいこと、学びたいことがいっぱい。いろんな人の知恵と知識…

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人生終盤戦に入ってもまだ、知りたいこと、学びたいことがいっぱい。いろんな人の知恵と知識をのぞき見しつつ、自分の考え方もどんどん変えて行きたいです。

最近の記事

音を奏でる事 6 輝く未来

とても注目を集めていたその芸大生は、常に周りを沢山の人が囲んでいて、私はなかなか話しかけることも近づくこともできなかったが、どうやら彼は芸大の仲間達とオペラ制作のグループを作って活動しているらしいということがわかった。そして彼らが次の公演に準備しているのはモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」というオペラらしく、私はその作品を研修課題として勉強中だったし、世にも美しい重唱ナンバーがたくさんあるそのオペラを芸大の学生達の公演で観られるのだったら是非観たい、と思った。ある日の「

    • 音を奏でる事 5 目眩く音の体験

      家族との関係は暗黒だった私の音大時代だけれど、音楽学生としてはありがたい体験を沢山させてもらった。魅力的な演奏を聴かせてくれる沢山の同級生や先輩がいて、私が知らない深くて広い音楽の世界は、果てしなく目の前に広がっているようだった。学校にいけば沢山の楽器があり、レコードがあり、友達と一緒に演奏する機会もあった。アンサンブルの授業でオルフの打楽器合奏の練習曲に触れた事、合唱の授業で一流の演奏家と共演できたこと、友人達とモーツァルトのオペラを抜粋で上演したこと、そこに居た私は家で家

      • 音を奏でること 4 家族の暗黒の時代

        バブル景気に上手く乗ったとはいえ、私立音大の授業料を払い、家計を支える母の獅子奮迅の活躍は目を見張るものがあった。その一方、40歳過ぎるまでほぼ専業主婦だった母はそれまで家庭の中の事を一人で何から何までこなしていた為、母の仕事の忙しさが増すに連れて家の中は自然と荒れていった。私も妹も目の前のこと、自分のことはなんとかこなしたけれども家事を切り回していくような裁量は残念ながらなく、また自分の仕事が一向に思う様にならない父は、だからと言って家事を手伝うという考えは全くなく、家の中

        • 音を奏でること 3 続きの続き

          高校生になった私は、ちょっとした燃え尽き症候群のような状態になっていた。ブラスバンド部にも合唱部にも入らず軽音楽部といういかにも「芸大受験」とは無縁の部活動を選ぶ。ギターが弾きたかったとか、パンクでロックな高校生活を送りたかったとか、そう言うのでは全然無く、本当にただなんとなく、その時に同じクラスで仲良しだった子に誘われて一緒に入ってみた、というだけだ。 軽音楽部でギターを教えてもらっても、もうあまり心は動かない。だからと言ってもうピアノを弾く事にも情熱を持てなかった。音楽

        音を奏でる事 6 輝く未来

          音を奏でること 2 続き

          転校した中学校でブラスバンド部に入った私は友達と一緒に演奏出来る楽しさを味わい、ピアノの練習から解放され自由になった自分の時間を楽しんだ。映画音楽やその頃、流行っていた曲をサクソフォンやフルートでブラスバンドの仲間と演奏する楽しさはそれまで禁じられてきた事を堂々と出来る楽しさでもあった。そして放課後には好きなバンドのレコードを友達とお小遣いを出し合って買ったり、雑誌の切り抜きを交換したりした。もうピアノに未練はなかったし、むしろ解放されてみるとなぜあんなに下手だったピアノを毎

          音を奏でること 2 続き

          音を奏でること

          私は子供の時、言葉を話すようになる前から歌を歌っていたらしい。 テレビやレコードから流れてくる歌を聴くことが大好きだった。 そして、それに併せてよく一緒に大声で歌っていた。 ピアノを弾くようになったのは、自分の意思ではなく両親の勧めで、3歳の時から習っていたらしい。とても厳しい先生だったので楽しくピアノのレッスンを受けた、という記憶は残念ながらないのだけど、ピアノを弾く事は好きだと思って育った。 厳しい先生のレッスンについていくのは大変で、いつも怒られていたし、上手な子

          音を奏でること