音を奏でる事 6 輝く未来

とても注目を集めていたその芸大生は、常に周りを沢山の人が囲んでいて、私はなかなか話しかけることも近づくこともできなかったが、どうやら彼は芸大の仲間達とオペラ制作のグループを作って活動しているらしいということがわかった。そして彼らが次の公演に準備しているのはモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」というオペラらしく、私はその作品を研修課題として勉強中だったし、世にも美しい重唱ナンバーがたくさんあるそのオペラを芸大の学生達の公演で観られるのだったら是非観たい、と思った。ある日の「蝶々夫人」の稽古場の休憩中に彼はその自主公演オペラのチラシを合唱の仲間達に配っていたのだけど、どういうわけか私にはまわってこなかったので、意を決して彼に直接「コジ・ファン・トゥッテのチラシ、私にもくださいますか。」と声をかけた。驚いたような表情になった彼は、でもすぐに相好を崩して「もちろんです、是非!」とチラシをくれて、自分が主宰するそのグループの活動について話をしてくれた。そしてその時私も大好きなこのオペラがどんなに美しいかという話で盛り上がり、彼がとても繊細で温かい情熱をオペラというものに持っているのだ、ということがわかった。それはその時に周りの口さがない人達が噂していたようなキャリア狙いの「野心家」でも、歌手としての出世の為にプロデューサーに取り入ったりする様な狡猾な人物でもない、オペラという芸術に対して真摯な彼の姿で、そんな姿を見られて私はとても嬉しくなった。

それから私は彼の主宰するオペラ団体での公演に、舞台衣装やメイクの手伝いとして参加することになり、さらに合唱として舞台に乗ることにもなり、様々に関わることになった。

知り合ってみると芸大の大学院オペラ科3年課程の3年目に入っていた彼は自主公演をグループで打ちつつ、大学のオペラにも出演し、また私が研修を続けている団体のオペラ公演にも引き続き出演が決まっていて、さらに夏にはヨーロッパでの研修も決まっているという、それまでえっちらおっちらと生きて来た私からみると信じがたいような勢いで活動をしている人だった。

そのころには私は在学中から始めていたピアノ教室の教師としての仕事が軌道に乗り始め、複数の音楽教室を掛け持ちして子供達に音楽を教えながら夜はオペラ研修所に通い続ける日々。また妹も短大を卒業し東京の一流企業に就職したことで家庭の状況は表面上だけとは言え随分落ち着いているようにみえた。少なくとも音大に通い始めた頃に感じていた、このまま経済的に破綻してしまって一家が路頭に迷うのではないだろうか、、というような不安を感じることはもうなかった。一家で「夜逃げ」して東京に出てきてから10年近くが経とうとしていた。

オペラ研修の延長としてヨーロッパ旅行に行けたのもそういう状況の中でのことだった。それはその彼と出会ったオペラ「蝶々夫人」の公演のほぼ1年前のことだ。

オペラ研修の一環としてのヨーロッパ旅行はドイツ、オーストリア、イタリアを回ってオペラを観る、という研修でウィーン国立歌劇場、ミラノスカラ座、ヴェニスのフェニーチェ劇場で次々とオペラ公演を観て回った。とにかく圧倒的なその建物、舞台の迫力、歌手達の声、オーケストラの音に酔いしれ、かつて楽聖たちが生きていた街で彼らの使っていた言語が生で行き交うその様子はエキサイティングで、オペラ観劇の合間を縫っては街をあちこち歩き回って人々の生活を覗きみたり、覚えたてのドイツ語やイタリア語の単語を使って市場やパン屋やカフェでお店の人に話しかけてみたりした。たった10日ちょっとの短い旅だったが、私は「ここに絶対戻ってくる!」と決意してしまうほどヨーロッパの街の様子とそこで今も人々に愛されているオペラ劇場というものにすっかり心を奪われてしまった。いつかヨーロッパでオペラの勉強をしてみたい!という途方もない夢が、音大を受験することを決めて以来ウロウロと迷走していた私が初めて具体的に持った夢だった。だけどその夢は途方もなく遠い夢だ、自分の才能、才覚の無さ、そして我が家の経済的事情を振り返ってみてもあまりに非現実的でその現実とのギャップを思うと自分がとんでもなく小さく無力に思えた。
だがそんな私のちっぽけさが、おかしくなるほどその芸大生の彼は輝かしい未来をしっかりと彼の前に持っていた。彼の仲間の学生達も同じだ、彼らは大学に入学した時から、いやもっと前の音大を受験すると決めた時から自分の進みたい道をはっきり見据えて一心不乱に進んで来たのだろう。そこに到達するには何が必要で何が必要ないかしっかり意識して進んで来た人達なのだ。芸大という関門を突破し、自分の持つ才能を自覚し、はっきりと未来を見据えて学んで来た時間を持っている事はこんなにも大きな差を作ることなんだと愕然とした。びっくりするくらい私はちっぽけだった。

けれど彼も、その仲間達もみな素敵な人達だった。よそ者で、ちっぽけな私をなんの分け隔てもなく受け入れてくれて、一緒にオペラ制作の仲間として活動してくれた。彼らの奏でる音楽は希望に溢れ、輝かしい未来を思わせてくれた。その未来を信じて絶え間なく学び続け、自らを磨き続ける姿勢は心から尊敬出来る美しい姿だ。そういう彼らの演奏をたくさんの人に観てもらい、聴いてもらう場を作る事は私にとって新しい喜びだった。そうして私は気がついて見ると6年前には最初の一歩で閉ざされてしまった「芸大」の門のなかに「裏口」からでもなく、なんというかスルッと人に紛れて入っていたのだ。いざ紛れ込んでみると天下の芸大の門は意外と開かれていて、学生や教授たちによる様々な演奏会や講習会が学外の人に向けても開かれており、興味深い講習会や勉強会にも参加することができた。小さく、ともすると卑屈になりかけていた私の音楽の世界は急に広がり始めた。







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