そこのみにて光輝く(感想)

質問箱に「そこのみにて光輝く」をおすすめいただいたので鑑賞した。

なかなか暗い映画だけど、その中に救いを感じる描写が散りばめられていたので鑑賞後の後味は悪くないな〜と思った。

何か感銘を受けたりとかそういうメッセージ性というのはなく(というか私はメッセージを感じなかった)、一つの小さな共同体の生活をただただ眺める、そういう映画だと思う。


他の人の感想が気になったのでネット検索すると

「なぜ達夫(綾野剛)と千夏(池脇千鶴)が惹かれあったのか描写が甘い」
「千夏はただあの家を出ればいいだけ」
「拓児(菅田将暉)が中島を刺した理由が分からない、そんな姉思いじゃないでしょ」


という意見を目にした。

なるほどなあ。
確かに初めて顔合わせていきなり関係が始まった感はあったから、その描写が甘いというのはあるかもしれない。
でも、そもそも恋愛なんか合理的理由も明確な動機も不明なまま「なんとなく」惹かれあって始まるもんだから、あまり気にならなかった。

「千夏があの家を出ていけばいいだけ」というのは、家庭や故郷に縛られざるをえない人たちへの想像力がないのだなーと感じた。
寝たきりの父、仮釈放中の弟を母親一人に押しつけて、自分だけがそこから逃げ出し、その苦しみから解放される。
簡単にできることではない。
もし街から逃げ出したとしても、家族をあのバラック小屋に置き去りにしたことは永遠の影を落とすことになると思う。
それについてはセリフの中で「私だって、この街から出ようとしたんだよ」という千夏自身のセリフからも読み取れると思う。

次に「拓児ってそんなに姉想いだったの?」ということだが、彼らの「姉弟愛」と中流以上の一般家庭の「姉弟愛」はまったく違うと思う。
なので普通のお家に育った人間にはあの二人の中にある絆めいたものが見えないかもしれない。
確かに拓児から千夏への、分かりやすい労りや優しさの表現はなかったが、拓児が姉の人生を犠牲にしていること、そして姉に幸せになってほしいと思っていること。それは作中の中に存分に出てきたと思う。

たとえば、中島(千夏の不倫相手)と競輪場で会話をするシーン。悪びれもなく千夏の話をする中島に対して、バツの悪そうな顔をしながら愛想笑いをする拓児は、明らかに迷いと葛藤が浮かんでいた。
この中島に頼らなけば千夏も拓児も生きていくことができない、そんな支配関係の中で媚びへつらうことでしか生き延びることができない無力さ。そして千夏がこの中島と縁を切ることができない原因が自分にあること。拓児はしっかり理解していたと思う。
そんな姉に幸せになってもらいたい拓児の思いが、あの定食屋での達夫、千夏、拓児3人の微笑ましいシーンに詰まっていた。
「これからは俺たちで稼ぐから」って最大の愛情表現だったと思うなあ。


それにしても、ただただ池脇千鶴が可哀想だったね。
全ての業を一人で背負ってるかのような人生。

これまた別の方が「色々な性のあり方を幾多ものバージョンで描いてて面白かった」と感想を述べていた。
売春、不倫、恋愛、介護この4つの性行為を千夏は一人でこなしている、という視点。確かに。
そしてそれはあまりに一人の女性として過酷な生活だな、と。
達夫とささやかな幸せを築いてほしい、きっと幸せになれるはず。たとえ「そこのみ」であっても。
そんな気持ちになった。


でも、他の人の感想を読むことで見えてくるものや自分の中の感想がクッキリしてくるから、他人の解釈を聞くのって面白いな〜と思った。

ただ、池脇千鶴の濡場が多すぎるのがちょっと気になったなあ。笑
女性監督なことにビックリ!
まあ2014年の映画だしアレなんだけど…。
綾野剛とあそこまで露骨なシーンなくても十分伝わるのでは?と思ったけど、もしかして綾野剛の濡場を撮ることが目的だった?
オープニングもいきなり綾野剛のやたらセクシーな全身舐め回すようなカメラワークから始まったしね。

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