本物の愛とハリボテの自己肯定感

わたし自他ともに認める自己肯定感の塊だと思ってたけど、違うかもしれない
と、気づいた話。
いや、気づいてて無視してたけど、認められるようになってきた話。



本文の前に(単語解説)

  • 自己肯定感:劣っている部分も含め、ありのままの自分に価値があると思うこと。能力などの根拠なく自分を信じること。

  • 自尊心:「自分は優れている」と思う心。他人の干渉を排除した自信。プライド

  • 自信:自分の能力や価値を信じること。

(わたし調べ、わたしの解釈が含まれる)


本文


知り合いならわかると思うけど、
わたしの考えていることや発信することってほとんどが自分のこと。
「みて!きいて!」と言わんばかりにSNSへ己の全て(ではない)をさらけ出し、
対面での会話に慣れた今も、気を抜いたら自分の話ばかり。
ステージに立っている年数は長いし、カメラロール自分の顔だらけだし、自分が商品になる職業でしかバイトしたことない(性産業ではない)。

こんなのどう見ても自己愛肥大モンスター自分大好きマンである。

これまでの人生も、自分が劣っていることで嫌な目にあったり挫折したりした経験はおそらくない。良い遺伝子をいただいた。
だから、貶されることなく、それなりに目に見えた評価ももらいつつ、少しほめられたりなんかして生きてきた。
スペックゆえの成功体験で自信を培い、自己愛は肥大化した。

大好きな両親にもめちゃくちゃ愛をもらって生きてきた。
もちろん今も。断言できる。
ここは本当に人生で一度も揺らいだことがない。
わたしがどんな人間だったって愛してくれたと思う。
全く疑うことなく、当然に愛を享受している。
ありがとう。

こんな感じだから、長い間自己肯定感高い人間ってことで生きてきた。




でも、どういうわけか自分にはずっと自己否定の感情がまとわりついている。

「自分なんて必要とされるはずない」、「自分は家族以外誰からも愛されない」、「ありのままの自分は嫌われる」(これもう被害妄想だろ)、「自分は醜く不浄である」……

自分でもそんなわけないってわかってるのに、わたしはわたしをこう捉えている。

これ、自己肯定感高いって言えるか……?


「自己肯定感」を調べて気づいた。

わたしがこれまで自己肯定感だと思っていた感情(自分の嫌なところはあるけど、でもこんなに両親に愛されてて良いところもあるんだから、わたしは価値があり大切な存在だ!)は、結局自分の持ち物に根拠をおいてしまっているから、自尊心とか自信に近い。

本物の自己肯定感は、根拠もなにも必要とせず当たり前になんとなくあるものなので、ちゃんと持っている人ほど認識していないような気がする。

わたしの心の中に当たり前になんとなく鎮座しているのは先述の自己否定。
自己肯定感なんてないどころかマイナスじゃん。

こんなんだから、誰にほめられても内心素直に受け取れない。
本当にありがたくて嬉しいのに。
ほめられても、そんなわけないってことにしておいた方が、実際そうでもなかったときに気が楽なのはある。いわゆる心の防衛というか、保身ね。
今もこれ書きながら(いやお前ゆーてなんのスペックもないだろ何を長々書いてるんだ勘違い自分語り乙)って思われてる可能性を頭に浮かべてる。笑

だからこそほめられたい。
自己否定から自分の認識がはじまってるのに、さらに他人からほめられなくなったら、いよいよ本気で自分のこと無価値だと思っちゃう。
わたしはこだわりやさん(全てに根拠が欲しいやさん)なので、見てほしいとこ見てもらえてるってわかるのは相当嬉しいことなのね。
だからわたしの良いところほめてね。

うーん、我ながらめんどくさい奴だな……


話を元に戻すと、
わたしのこの自己否定って保身からくるものではなくて。

自分そのものに価値がないみたいな気持ちが、ずっと源泉掛け流しみたいな感じで心から湧き出てる。

いやほんとにありえないよ。価値ないわけないもん。
その辺にいる人より自分が価値ないなんてこと絶対ない。

しかもわたし「貶されることなく、それなりに目に見えた評価ももらいつつ、少しほめられたりなんかして生きてきた」人間。

自分に価値ないんだったらその辺の人も等しく価値ないよ。全員生み落とされて死ぬだけだもん。
全員価値あるし全員価値ない。切り口による。

たぶんここは「みんな価値ありますよ」の世界なので、もれなく自分にも価値がある。もちろんこれを読んでいるあなたも(読んでる人いるのか?)。

だから、一番根っこの感情は「自分には価値がない」なんだけど、
思想としては「自分には価値がある」になってる。

さらに、わたしは賢かったので、「自分に価値がないと思っている人は損をする」ことにかなり早く気づいていた。

「自分なんて」の人間が、周りから愛され、尊重され、大成することはたぶんあんまりない。
「引き寄せの法則」とか「言霊」とかはスピってて苦手だから言いたくないけど、多少嘘でも自信過剰くらいの方が人生全て上手くいく。←「人生全て上手くいく」が一番スピ

また、わたしは愛する両親の愛する子供であり、
大切な人の大切なものは大事にしなければいけない。使命。
自信がないからと卑下して、他人からもぞんざいに扱われるようなことはあってはならない。
お高くとまってるくらいでちょうどいい。

日々適当に食べてる200円の冷凍パスタも、高級レストランで2,000円で出されたら2,000円の価値だと思って大切に味わって食べるもん。

てか自分のこと大好きでいたいから自分を否定するような感情は極力無視してたい。ハッピーオーラまといたい。

こうして、思想の上に、「愛する両親の大切なわたしを大事にするために、価値を高く設定しておくべき」という使命/信条が乗っかり、
さらに自分の持ち物への自信が相まって、
この自己愛肥大モンスターが生まれたってわけ。


「自分なんて醜くて他者からも求められない」みたいな感情は今もあるし、すぐに消えるとも思わないけど、
そんなわけないってちゃんとわかってるから、認めずに無視して自分大好きでいたいし、
自尊心と自己愛を育てて集めて、「自己肯定感」ってラベル貼って、自分をも騙すように思いこんで振る舞っている。結局他者からしたらそれがわたしの姿だし。他者との輪郭が自分を形づくるし。

決して必死に虚像を作り込んでいるとかではなくて、自分の好きな自分でいるだけなので、これはこれで素なんだと思う。
わたしの根っこの感情だけじゃなくて、思想だって信条だって、ガワのガワだって全部わたし。

本物の愛があるんだから、ハリボテの自己肯定感だってなんだっていいよね。
自分のことやりすぎなくらい大切にできてるもん。



本文では書ききれていないところをつらつらと


本文じゃないからまとまりとか気にせず適当に書く。


謎に湧いてくる自己否定の方がどっちかというと根拠ないんだけど、だからこそ何にも依らない本物の自己否定な気はしている。

原因を探すなら、たぶん 15年以上ずっと人間関係上手くやれなかった(友達がいなかった)から だと思うけど、
別にいじめられたりはしてないし、周りと馴染めず人と深い関係を築けなかっただけで、特段傷つけられることもなく平穏に生きてきたので、
もしかしたらどう生きてても自分の捉え方は変わらなかったかもしれない。
(他人に愛されない…)とかはまだしも、いつ誰がわたしに不浄で醜いって言ったんだよ。示唆されたこともないよ。

話変わるけど、もしわたしが根っからの友達たくさん!タイプだったら怖くないですか。無敵モンスター爆誕(モンスター好きだね)。

あと、今回の話って自己顕示欲とか承認欲求とかも絡んでると思うけど、話ブレていきそうなので割愛。


ところで、相反する感情を同時に抱えている心理状態は「アンビバレンス心理」っていうのね。
つまりわたしが自分を否定しながら認めまくっているのもなんらおかしくないってこと。だって用語があるんだよ?
根拠があるってやっぱり落ち着くわね〜


あとがき


こんな見て見ぬふりして無かったことにしてた感情をインターネット全世界大公開してしまっていいのかわかんないけど、
わたしが認められないありのままのわたしを認めてもらうことができたら、こんなに嬉しいことってないでしょう。
その上で、わたしが振る舞うわたしを見ていてね。


おしまい








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