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交通渋滞における最適速度モデル

「ゆるコンピュータ科学ラジオ」というYouTubeチャンネルが数理モデルに関するお話をしています:

全4回の予定であり、本記事執筆時点で第2回まで放送されています。

この動画で「渋滞学」に関する研究に言及がありました。交通渋滞の数理モデルを用いて理論的・実験的に渋滞を研究する分野かと思います。そして渋滞学において「最適速度モデル」と呼ばれるモデルがあることに触れていました。これは坂東昌子先生(愛知大学名誉教授)を含むグループにより提唱されたモデルです。元々(そして現在も)素粒子物理学の研究者であり、有名な仕事として「隠れた局所対称性」の研究があります。素粒子の理論構築に用いられる非線形表現には隠れた局所対称性が存在するという事実に基づく研究です。日本物理学会会長も務められました。

話を渋滞学に戻します。このグループにより提唱された最適速度モデルの論文のひとつ"Dynamical model of traffic congestion and numerical simulation"はPhysical Review Eという高名な雑誌のMilestonesに選ばれおり、引用数も2000を超えています:

このモデルに興味があったので、以下の2つの論文を眺めてみました:

  1. M.Bando, K.Hasebe, A.Nakayama, A.Shibata and Y.Sugiyama, "Structure stability of congestion in traffic dynamics," Japan J. Indust. Appl. Math. 11 (1994), 203-223.

  2. M.Bando, K.Hasebe, A.Nakayama, A.Shibata and Y.Sugiyama, "Dynamical model of traffic congestion and numerical simulation", Phys. Rev. E51, 1035 (1995).

せっかく眺めたので、論文で提唱されている「最適速度モデル」の構成法にちょっとだけ触れます。そして数理モデルの威力の一旦を垣間見ることにします。

最適速度モデルの構成

状況の単純化のため1つのレーンしかない状況を考えます。十分に長い長さ$${L}$$の円形の道を、十分に多い車の台数$${N}$$が走っているものとします。走っている車を$${n\ (=1,2,\ldots,N)}$$でラベルし、その位置を$${x_n}$$で表します。$${x_{N+1}=x_1}$$とします。

自動車のドライバーは、運転中の視覚情報・刺激に従い安全に運転しようと思うものです。それは車を動かす有効的な"力"$${F}$$(=運転の仕方)になり、車の加速度$${\ddot x}$$として現れます。これを運動方程式$${F=ma}$$になぞらえましょう。有効力$${F}$$は以下のように書けると仮定します:

$$
\ddot x_n=F(\dot x_n,\Delta x_n,\Delta \dot x_n), \ \ \ \Delta x_n:=x_{n+1}-x_n\\
{}\\
(\text{ドットは時間微分})
$$

つまり車$${n}$$のドライバーは、自身の車の速度$${\dot x_n}$$、前の車との車間距離$${\Delta x_n}$$、そして車間距離の時間変化$${\Delta\dot x_n}$$に依存して車を運転するものとします。

ここでドライバーは、車間距離に依存した最適速度$${V}$$になるように車間距離を調整しながら運転することを仮定します。最適速度モデルと呼ばれる所以です。$${V(\Delta x)}$$は

  • $${\Delta x}$$の単調増加関数

  • $${|V(\Delta x)|}$$は上限をもつ:$${V^{\rm max}:=V(\Delta x\to \infty)}$$

とします。これらを満たす単純で線形な"運動方程式"は

$$
\begin{align}
\ddot x_n=a\{V(\Delta x_n)-\dot x_n\}
\end{align}
$$

です。$${a}$$は適合速度への反応の大きさを表しており、大きければ大きいほど自身の車をすぐに適合速度に調整します。

本記事では特に必要ありませんが、これらの論文では以下のような具体的な$${V(\Delta x)}$$を提示しています:

$$
V(\Delta x)=\tanh (\Delta x -2)+\tanh 2
$$

この関数は単調であり、また$${\Delta x\to \infty}$$で$${1+\tanh 2}$$および$${\Delta x=0}$$でゼロになります。このとき車間距離は常に正になり、前の車を追い越すことはありません。

数理モデルの威力:自発的な渋滞形成の解析

このような微分方程式を作って何が嬉しいのでしょうか。そのご利益のひとつが、ゆるコンピュータ科学ラジオでも触れていた「何もないところでの渋滞形成」の発生が数学的にわかることです。渋滞がジャンクションや料金所などの明らかな原因により起こるなら、対策は比較的簡単です。ところが実際には渋滞はそのような障害物がなくても起こります。なぜそのようなことが起こるのでしょうか。このような自然発生的渋滞を以下「自発的な渋滞形成」と呼ぶことにします。実は前章の運動方程式は、そのような自発的な渋滞形成が起こるモデルです。以下これを示します。

まずは車の定常流の解を求めておきます。それは以下で表されます:

$$
x_n^{(0)}=bn+ct, \ \ \ \ b=L/N, c=V(b)
$$

これはどの車も一定の速度$${c}$$を保ち、そして一定の距離$${b}$$を保って走る車の流れです。これが方程式の解になることは物理的に明らかかと思います。一様に車が流れつづける、渋滞のない解です。

これに摂動$${y_n}$$を加えます。すなわち解を

$$
x_n=x_n^{(0)}+y_n
$$

とし、$${y_n}$$は小さいとして$${y_n}$$の一次の方程式を求めます。すると

$$
\ddot y_n=a\{f\cdot \Delta y_n-\dot y_n\}, \ \ \ f:=V'(b)\tag{2}
$$

を得ます。ここで$${V'(b)}$$とは$${V(\Delta x)}$$の$${\Delta x}$$微分の$${\Delta x=b}$$における値です。

$${y(n,t)}$$を$${n,t}$$に関して以下のようにフーリエ展開します(前掲した2.の論文より):

$$
\displaystyle y_k(n,t)=\exp\{i\alpha_k n +z t\}, \ \ \ \alpha_k=\frac{2\pi}{N}k\ \ (k=0,1,2,\ldots,N-1)\\
{}\\
z=u+iv,\ \ \ \ u,v\in{\mathbb R}
$$

Eq.(1)の解が不安定になるのは、摂動$${y}$$が時間に関して$${\exp}$$で増加するときです。これは$${u>0}$$の場合です。逆に$${u<0}$$なら系は安定です($${u=0}$$はmargianl)。

上の$${y_k}$$をEq.(2)に代入し$${z}$$が満たすべき条件を求めると以下のようになります:

$$
z^2+az-af(e^{i\alpha_k}-1)=0
$$

これを$${u,v}$$で書き表せば、実部と虚部がゼロになる条件は以下になります:

$$
\begin{align*}
&\text{実部:}\ u^2-v^2+au-af(\cos\alpha_k-1)=0\\
&\text{虚部:}\ 2uv+av-af\sin\alpha_k=0
\end{align*}
$$

この式から$${v}$$を消去し$${u}$$のみの方程式にすると$${u}$$の4次方程式になりますが、$${u,u^2,u^3,u^4}$$の係数は全て正であることがわかります。よってこの方程式に$${u\ge 0}$$の解が存在しないための必要十分条件は、定数項が正であることです。定数項は

$$
-a^2f^2\sin^2\alpha_k-a^3f(\cos\alpha_k-1)
$$

なので、$${u\ge 0}$$の解が存在しない条件は

$$
\displaystyle
-a^2f^2\sin^2\alpha_k-a^3f(\cos\alpha_k-1)>0
\leftrightarrow f<\frac{a}{2\cos^2(\alpha_k/2)}
$$

になります。

$${\alpha_k}$$のうちひとつでも不安定なモードがあれば系は不安定であるため、安定性はすべての$${\alpha_k}$$に対して$${u\ge0}$$の解が存在しないとき実現します。右辺が最も小さくなるのは$${\cos^2(\alpha/2)=1}$$のときなので、結局安定性条件は

$$
\displaystyle 
f<\frac{a}{2}
$$

となります。逆に$${f>a/2}$$ならば前記した定常流は不安定であり、ちょっとした摂動に対して定常流は壊れます。ほんのちょっとしたきっかけで渋滞してしまうのは「自発的な渋滞形成」を意味します。

$${a}$$が小さいとき、すなわち車間距離に対するドライバーの反応が遅い時に渋滞が起きやすいのは直感でもわかります。しかし渋滞形成が自発的に起こり、それにしきい値が存在すること、またその値が$${V}$$の具体的な関数形を与えられたらわかることは、数理モデルの威力かと思います。

このような解析はあくまで定常流の周りのみに適用されることなので、定常流から大きく離れた状況の解析には数値計算が必要です。論文では様々な状況における数値計算を行っています。また前掲1.の論文では、散逸系のダイナミクスに見られるリミットサイクルと呼ばれる現象がこのモデルでも現れることを示しており、興味深いです。

おしまい。$${{}_\blacksquare}$$

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