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魔境

ガンプラに限らず、モノづくりアルアルネタとして「やり過ぎてしまう」というのがある。ある程度以上「技巧」が発達するとある程度自在に創作物を弄れてしまうので、可能な限り「原形から外れる」とか、独自の視点を強調したい気持ちがムクムクと立ち上がって来るんだよ。作業自体が楽しいからね、仕方ないね。これは創作者の業とも言うべき所だ。(つーか、心の中に「違う、そうじゃない!」と言い出す厄介な人格抱えてない奴は創作とかしないだろ。そうじゃなく「こう」だ!とか言い出すから何らかの表現活動する訳で……)
ガンプラ界隈だとこの厄介な心の動きによりしこたまデカール貼ったり筋彫り追加したりしてしまう。ドライブラシで銀のハゲチョロとかすると全身擦り傷だらけにするし、ウェザリングすると太陽の牙かな?ぐらい汚してしまう。

中からヤマトでも飛び出しそうな寂れ具合

仏教(禅宗)の修行中に、なんか万能感を感じて「悟ったよーな気になる」ものがあるそーな。

Wikipediaの「魔境」より

まぁ、創作活動そのものがエゴの発露的な側面があるので……作業中にウッヒョーイとなるのはある意味仕方ない。構造的に我々は魔境に入りたがるものであり、それを克服できたら悟りが開けてしまう(苦笑

んでだ。
ウッヒョーイモードから覚めて1週間とか23年が過ぎるとウッヒョーイだったものが色褪せてみえるのね。思えばやりすぎだったかなとか、もうちょっとその……

言うてる本人が時至れば以下の様になる
作業中の図に乗ったワイらはこんなもんだ

エゴが肥大するのは仕方ない。そう言う行為をしてる時にそれを抑制したら創作意欲が減衰してしまう。しかし、エゴが肥大化してるな、ヤベェな赤色巨星ぐらいになってんぞ……と自覚してエゴの暴走を防ぐのもまた、創作には必要な心持ちかもしれない。

グフR35とかはかなりエゴを暴走させたデザインだと思うンゴ……

心をコントロールしないといかんのではあるまいか。いやまぁエゴの暴走を止めずに解放して傑作になることもあるから難しいのだが、熟達の域に程遠い状態でエゴが爆発するとデザインとしてはとっ散らかるのよ。毎度同じ例えで申し訳ないが、スーパーのチラシみたいになるの。要素を詰め込み、更に詰めてそして盛る!

線を足すのがタノッスィーと、ハッピートリガーかましてやがんなと言う感がある。
とりあえず落ち着け。

いわゆる「厨二」と言うのはズバリ魔境であるかと思う。自我の肥大を止められ無くて衝動のままにエターナルフォースブリザードを解き放ってしまうのだ。

この問題に対処するべく、私は最近「改造してるけど改造してない風に見せかける」作風を続けている。可能な限り最小の加工でバランス調整をして、キット素組と思わせながらキット素組とは異なるテイストを与える……本日見事上記写真は素組と勘違いされてガッツポーズを取るなどした。それだけ加工部が加工してない様に見えた……つまり工業的な量産品と同じグレードに見えたのであろう。

脚部バランスに注意して見比べてみよう!

秘技()なので詳細解説はしないが、実は「形によるイメージ」操作を取り入れている。細長く見せるのに「実際細長くする」必要はなく、そこにある形の「取り方」を変えると「人の目はそれを細長いものと錯覚する」実際に1mm程度しか弄らなくても、「それ以上の調整」した様にも、無加工の様に見せることもできる。立体物の妙味ですな。多くの人の目は3Dスキャナー機能付いてないので、写真にするとガンプラを平面的に見てしまう。その「捨てられたディメンション(次元)」の狭間に要らんもん捨てたり出来るのだ。(特にバンダイの完成品写真撮影してる人がこの作業メチャクチャ上手い。稀代の詐欺師や!)

尚、Amazonから引っ張った上記写真……

黒背景の切り抜きミスがあるのに気が付いた子は居るかな? 同時に「白ペーパー敷いて撮影したら影の出方がこんな風にはならねー」と思えたなら中々鋭い目かと思う。

切り抜き元の写真見て、どう言うライティングで「どこに影を出したかったか」まで理解できると、この作例が実際にはどんな感じで、撮影者が何を写そうとしたか分かるダス(セミグロスなんやろなぁ)
で、作例故に改造は出来ないけど改造と取られない範囲内でかなり苦心してますな。

方針変えて、noteでの収益は我が家の愛犬「ジンくんさん」の牛乳代やオヤツ代にする事にしました! ジンくんさんが太り過ぎない様に節度あるドネートをお願いしたいっ!