ジェネシス_ノーマル

GEEK-3

 セシルの懸念は思ったよりもずっと早く現実のものとなった。

 FBIニューヨーク支部の副私局長でボーダー差別主義者の一人、ゲルト・ツェルナーの命令でアパートの部屋が襲撃されたのは、オレッチが“ソレ“を完成させた直後だった。

 セシルから話を聞いた時は正直半信半疑だったが、どうやらゲルトは本気でオレッチをスケープゴートに決めたらしい。なんという迷惑。
 ただ、不幸中の幸いだったのはオレッチがテレポートの衝撃から身を守る「ギークスーツ」の上から“ソレ“を装着していたということ。
 おかげで踏み込まれる寸前、オレッチは難を逃れることが出来た。テレポートでアパートを抜け出したあとに端末をチェックしてみると、セシルからのメール。

「ゲルトの奴が動き出したわ。コート、今すぐ逃げて」

 どうやら工作に夢中でメールに気付かなかったらしい。
 何かに集中すると他の感覚がオフになってしまう。オレッチの悪いクセだ。

 セシルと連絡を取ろうか迷って止めた。
 切れ者のゲルトのことだ。オレッチとセシルが連絡を取りあう可能性を見逃したりはしないだろう。逆に言えば、オレッチにメールを送ったセシルはヤバい事になってるかもってことだ。

 さて、どうしたもんか。

 FBIニューヨーク支局では、『ギーク』ことコンラッド・マイヤーの予想以上のことが起こっていた。

 コンラッドの幼馴染みにしてFBIの若きエース、セシリア・ローズの所属するゾイド犯罪対策チーム全員が、ゲルト・ツェルナーによって拘束されていたのだ。どころかゲルトはニューヨーク支局長までも拘束するという常軌を逸した行動に出ていた。これは最早クーデターである。

「これは一体どういうことでしょうか。ゲルト副私局長」
 支局の会議室に押し込められた局員を代表する形で、アサルトライフルを持ったテロ対策部隊の隊員に守られるゲルトに、今にも噛み付きそうな表情でセシリアは質問をぶつける。

「セシリア・ローズ。君はFBI局員の身でありながら、この度の連続殺人事件の最重要容疑者に情報を流し逃亡を幇助したな」
 拘束の際、局員たちの武器や通信機器は全て押収されている。
 ゲルトはその中のセシリアの端末を片手に持ちあげ操作すると、セシリアに見せつけるように片眉を上げた。画面にはセシルが送信したメールが表示されている。
「これは国家に対する重大な背信行為だ。よって君の身柄を拘束した」
「“意図的な“冤罪を阻止する事が背信行為ですか? では、私以外の局員を拘束する理由は?」
「君らゾイド犯罪対策チームが共謀しボーダーどもの犯罪行為を隠蔽している可能性があるからだ。さらに支局長殿は親ボーダー派であり、裏で糸を引いている可能性も否定できない。よって疑いが晴れるまでの間、身柄を拘束させて貰ったのだ。
尊敬する支局長殿にこのような仕打ちをせねばならぬのは心が痛むよ」
 セシリアの挑発に対し、ゲルトは薄笑いを浮かべながら返す。

「それは正式な権限と手続きに基づいているのですか? あなたの独断専行なのでは? だとしたら、これは重大な規約違反ですが」
 セシリアも負けてはいない。正式な手続きを踏んでいれば、こんな無茶は通るはずがないのだ。
 しかし、そんなセシリアの反撃も、ゲルトの余裕の表情を崩すには至らなかった。
「今回の連続殺人事件で支局の、いやFBIの信用はガタ落ちだ。我々はなんとしても国民の信用を取り戻さねばならん。ところが、残念な事に私情から容疑者に情報を流し逃亡を手助けする局員まで出てしまった。
 この状況でそんな事実が明るみに出れば、FBIニューヨーク支局の存亡に関わる大問題。したがって本件は内密に、迅速に処理せねばならん。
 規則を破るのは誠に心苦しいが、組織を守るためとあらば致し方ない。まったく苦渋の選択とはこのことだな」

 ゲルトの芝居掛かった演説に、我慢の限界を超え飛びかかろうとするセシリアは上着の裾をクイっと惹かれる感触で自分を取り戻した。
 彼女が振り向くと、ゾイド犯罪対策チーム直属の上司アントニー・シャノンが小さく首を振る。
 寡黙で無表情な彼は、仲間内から“鉄仮面“と呼ばれているが、しかしセシリアにとっては尊敬できる上司だ。
 冷静さを取り戻したセシリアは、その場に腰を下ろした。
「なに、容疑者ギークは今日明日中には捕らえられるだろう。
生死は分からんがな。
君たちの取り調べはその後だ。覚悟しておくといい」
 大人しくなったセシリアを“やり込めた“と思ったゲルトが、満足げに会議室を出ていくのを、セシリアは歯噛みしながら見送った。

「それで私のところに来たわけか」
 ガウン姿のプロフェッサーGは、呆れたようにギークを睨めつける。
 時間は深夜0時を回っていた。あれこれ考えたものの、情報が足りなすぎて考えに行き詰まったギークは、ボーダーでは唯一の知り合いであるプロフェッサーGが住むNY郊外の自宅を訪ねてきたのだ。
「そんな迷惑そうな顔はするなよプロフェッサー、緊急事態だ。それにコイツはオレッチだけの問題じゃない。NYのボーダー全体の問題だろ」
「君は、私がゲルトと繋がってる可能性を考えなかったのかね」
「考えなかったわけじゃないが、それはないと思った」
「なぜ、そう思った」
「勘だよ」
 この度のゲルトの行動は、いくらなんでも強引すぎる。用心深く頭の切れるあの男が、自ら先頭に立って強行な行動に出るからには何か勝算があるはずだ。当然、協力者もいるだろう。
 だが、プロフェッサーは今回の件にはノータッチだと、ギークは確信していた。なんの根拠もないが、自分の勘を信じることにしたのだ。
 無論、他に頼るツテがないという事情もあったが。

 その時、アラームのような音が部屋に鳴り響いた。
 慌てるギークを手で制して、Gはベットサイドテーブルに置かれた小型のスピーカーのようなものを停止させて、ギークを振り返り言った。
「どうやら、君の話は本当らしいな」

 そう言うと、Gは手元のデバイスでどこかに連絡を取り始めた。
「あぁ、遅くにすまないが緊急の依頼だ。現在のFBIニューヨーク支局の中を“聞いて“欲しい。どうやら緊急事態らしい。
ゲルト・ツェルナーは君も知っているな。特に、奴の声を重点的に頼みたい」

 Gは通話を終えるとギークを振り向いて言った。
「私が最も信頼を置く情報屋だ。まずは状況確認から始めよう」

「まったく肝を冷やしたぞ」
 ゲルトが会議室を出たあと、アントニー・シャノンはセシリアに向かってため息混じりにそう言った。
「すいません……」
 会議室には、支局長とチームの局員だけが残されていた。ただし、アサルトライフルを持った隊員が会議室の外に数名残り見張りをしている。中で怪しい動きがあればすぐに踏み込んでくるだろう。
「君の危惧が当たってしまったね。アントニー」
 アントニーが説教モードに入らんとする、その絶妙な瞬間にFBIニューヨーク支局長 ソロモン・クラークが声を掛けた。
 小柄で、好々爺然としたクラーク支局長は、しかし、FBI本部でも“伝説の男“として一目置かれるている。
 彼がどんな伝説を残したのか、セシリアを筆頭に若い局員は知らない。普段は気さくな先輩たちも、クラーク支局長の伝説の話になると急に口が重くなるからだ。

「ええ、こうなってしまっては、やはりゲルツとファイヤー・クラッカーが繋がっていると考えるほかありません」
 アンソニーの言葉に驚いたのはセシリアだった。

「ゲルツとファイヤー・クラッカーが!?」
「声が大きい」
 アンソニーに注意され、セシリアは小声で詫びる。
「それで、ゲルツとファイヤー・クラッカーが繋がっているというのは」
 アンソニーは小さく唸ってから、セシリア以下、ゾイド対策チームに向かって話し始めた。
「ゲルトは元々、入局当時から野心家だったし、捜査方法も非合法で強引な男だった」
 そもそもゲルト・ツェルナーと自分は同期で、奴の汚いやり方は同僚の間でも噂に上っていたと、アンソニーは言った。

 手段を選ばずに結果だけを追い求めるゲルトのやり方は、仲間内からも嫌われ上司からも問題視されていた。しかし、それらの問題行為を上回る結果も出していた事や、政治家や財界人とのパイプを精力的に築くことで、いつの間にか彼が勤務する支局の上司すら迂闊には手が出せない存在になっていのだという。

 そうして、米国各地の支局で“功績“を重ねながら彼は順調にキャリアを積み、ゲルトは2009年にこのNY支局に副支局長として赴任してきたのだ。
 時を同じくして、2002年以降爆発的に増加したゾイド犯罪者が、ここNYでも増え始め、国会でも『ボーダー協会設立』の法案が審議され始めた頃でもあった。

 ボーダー差別主義者であったゲルトは当然これに猛反対し、同じく反対派のNY市議たちを焚きつけ、何とか賛成派の議員の弱みを握ろうと暗躍したのだという。しかし、それらの行動がクラーク支局長の耳に届き、密かに彼の身辺を調査していた局員によって事実が明らかになったその矢先、今回の連続殺人事件が始まったと、アントニーは言った。

「しかし、それなら尚更ゲルトがファイヤー・クラッカーと繋がっているというのはおかしいのではありませんか? ゲルトは異能者を毛嫌いしているのでしょう?」
 セシリアの疑問を代弁してくれたのは、ゾイド犯罪対策チームの後輩 ジェリー・デッカーだった。アントニーは彼女の質問に頷く。
「俺もそう考えていた。異常な程に異能者を嫌うゲルトが、“異能者と手を組む事などありえない“と。だがもしも、ヤツの異能者嫌いが芝居だったとしたら?」
 アントニーの言葉に、セシリアは昨日コンラッドに言った言葉を思い出す。

――周囲にそう思わせておいて、実は裏で繋がってたなんてのはよくある話

「また、こうも考えられる。ゲルトの異能者嫌いは本当で、結果、自分の立場が怪しくなった。一刻も早く邪魔者を消さなければならない。その為なら自分が嫌悪する異能者を利用することも辞さないと。利用済みの異能者はそのあと葬ればいいと。恐らく後者の可能性の方が高いだろう」

 アントニーの言葉に、その場にいた全員が息を呑む。
「例えギークに罪を着せて口を封じ、我々を国家反逆者に仕立て上げたとしても、その後“真犯人“が殺人を続ければ奴のシナリオはあっさり崩れてしまう。にも関わらず、奴がこの茶番を始めたということは、ギークを犯人に仕立てて殺してしまえば、その後は事件が起こらない確信があるからだ。
 今回の事件にファイヤークラッカーが関わっている事に間違いがない以上、奴とファイヤークラッカーの間に何らかの密約があるということだろう」
 そこまで話すと、アントニーはクラーク支局長に向き直る。
「よろしいですか? 支局長」
「うむ、こうなっては仕方ないね」
 短いやり取りの後、アントニーは徐に口に手を入れて、何かを取り出す。
 よく見るとそれは、奥歯だった。
「こいつを外すと、ある男の元に支局の異常事態を知らせる手筈になっている。いわば保険だな」
 アントニーは陰気な表情のまま、呆気にとられた局員たちにそう告げた。

 隊員に警備を任せ、一人支局長室に入ったゲルトはソロモン・クラーク支局長の革張りの椅子にどっかと腰を下ろした。
 職務の傍ら、馬鹿な政治家どもの機嫌をとり、根回しに奔走し、やっとここまで来た――と、ゲルトは思いを馳せる。

 無論、NY支局長如きで留まるつもりはない。やがては本部のトップにまで上り詰める。それが彼の野望であり、その為なら手段は問わない。

 反ボーダー派の旗頭だったクリフ・ファハルド市議が、ジャックハンマーによる銀行強盗事件を境に、ボーダー協会設立賛成派に鞍替えしたのは計算外だったが、今回の連続殺人事件を機に形勢は再び自分に傾いている。
 そう、思ったからゲルトは“奴“の誘いに乗ったのだ。
 計画のためとはいえ、汚らわしい異能者と手を組むなど業腹だが、まずは内部の邪魔者と自警団気取りのボーダーどもを一層したあと、あの汚らしいファイヤー・クラッカーどもを殲滅すればいいのだ。

「どうやら上手くことは運んでいるようだなツェルナー」
  男とも女とも分からない機械的な声にゲルトが顔を上げると、その男は何の前触れもなく、突然ゲルトの目の前に立っていた。

 三つ揃えスーツの上下に身を包み、何の装飾もない漆黒の覆面を被った異様な男。ゾイド犯罪組織『ファイヤークラッカー』のリーダー、BHである。

「BH、突然現れるのはやめてくれ。心臓に悪い」
「しかし、私が正面入口から入ってくるわけにはいくまい?」
「……それより、ギークの始末は順調に進んでいるんだろうな」
 口の減らない異能者め……と、ゲルトは心の中で毒づきながら、一番の懸案事項を確認する。今回の計画成功には、あのおしゃべり男の死体が必要不可欠なのだ。

「心配には及ばんよツェルナー副私局長殿。奴がプロフェッサーGの家に逃げ込んだのは確認済みだ。既に“ジャック・ザ・リッパー“を向かわせている」
「あの、透明人間か」

 ゲルトは一度だけ、“ジャック・ザ・リッパー“に会ったことがある。
 突然変異の異能力者。
 ジャックは米国生まれではない。
 ブラジルのアマゾンの奥深くに住む、ある部族最後の生き残りだとBHは言った。
 その部族は、文明に触れることなく、他の部族との交流もなく、故に誰に発見されることもなく細々とジャングルの中で狩猟を生業に自給自足を送ってきた。
 天敵に囲まれ、野生動物に対し肉体的に劣る彼らが生き残るために身につけた生存進化。
 それが、“擬態能力“だった。

 蛸やカメレオンのように、肉体の色素を変化させて周囲と同化することで、肉食動物などから身を隠し、また、食料となる小型の動物を狩る。
 そんな彼らがジャックを残して絶滅した理由は、付近の都市化による大規模な森林破壊と、グローバル化によって海外から持ち込まれたウィルスだった。

 そして、部族が全滅した中、たった一人の生き残りの赤ん坊を、どういうルートかは知らないがBHが引き取り、ファイヤークラッカーの暗殺者として育てあげた。
 さらに彼のDNAを解析し、彼が擬態するのに合わせて色素が変わる光学迷彩スーツとナイフを作り上げ、透明人間の暗殺者を作り上げたのだという。

 まるで3流コミックのような話だが、事実、ゲルトは目の前で暗殺者が透明になるのを見ている。
 職業柄、多くのボーダーとゾイドの能力を目にしてきたゲルトの目を持ってして、これなら誰にも気づかれる事はないだろうと思わざるを得ないほど、ジャックの擬態は完璧だったのだ。

「ギークと、ついでに君の嫌いなプロフェッサーGはこちらで始末するので安心するといい。なに、礼には及ばん。“親愛なるパートナー“への私からのプレゼントだ」
 それではと、BHは一歩後ろに下がる。いや、下がったとゲルトが認識した瞬間には、彼は支局長室から消えていた。
 世界中でもほとんど報告例のない、時空間に干渉する能力の使い手、テレポーター。そんな希少な異能者が二人もNYにいるという現状に、ゲルトは舌打ちをする。
「まぁいい。まずは一人、ギークさえ始末すれば残るのは奴だけだ」

 一人になった部屋の中で、ゲルトはそう呟いた。

To be continued

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