脳みその使い方


私は人生で2回ほど、「頭良すぎて何言ってるかわかんない」と言われたことがあり、
軽く傷ついたりもしたのですが、
私は「頭がいい」わけではなくて、
厳密に言うと、
「脳みその使い方が上手い」だけだと思うのです。

申し添えておくと、
私は辞書を引くのが好き…というか、苦にならないので、
小学生の…母親の国語辞典をもらった…時から毎日欠かさず引いていました。
何故なら、宿題に日記があったからです。
習っていない必要な漢字を辞書で引いていました。
だから、お受験をするクラスメイトに、「なんでそんな漢字知ってるの⁉︎」と言われたので、
「辞書を引いたからだよ」と種明かしをすると、「なぁんだ」と返ってきました。
種明かしをされて安心したのでしょう。
でも、私の真似をしようとはしていなかったと思います。
中学受験に必要な漢字は、塾で習うから、自ら辞書を引く必要はなかったのでしょう。

うちの母親の方針で、小学生の間は塾には行かせない、となっていました。

私は、お受験をする友達が、塾で聴いてくるお得情報がちょっと羨ましかったけれど、でも、母親の方針には納得していたので、他人は他人(ひとはひと)と思っていました。

中学校へ入り、1年生の夏休みに、東京の小金井市から鳥取市へ引っ越ししました。

そこで待ち受けていたのは、
「君が代・日の丸が当たり前の世界」でした。
小金井市では、卒業式でそれをやることの是非を巡り、母親を含め親たちが反対署名を集めたりしていました。

そういった前提があったので、
運動会でまで「日の丸・君が代」をやるということに違和感を抱きました。

さらに、鳥取では、「同和教育」というものがあり、
そこでは「人はみな平等だ」と習いました。

そこで、「人はみな平等ならば、運動会でまで君が代を流すのはおかしいのじゃないか」と思いました。

「『君が代』は、天皇の世が1000年も8000年も続くように」という内容なので、どうして運動会の主人公は私たち生徒なのに、天皇を崇める歌を歌うのか、と純粋にそう思ったのです。
崇めるというのは、そこに上下関係が生じます。

ところが、クラスメイトたちは、そんなことは知らなかったらしく、
弁論大会での発表者を決めるために、
全員が自分の考えを作文用紙にまとめて発表する場面で、私の発表を聞くと驚いていました。

その当時、私は、大した思想があるわけでもなく、ただただおかしいと思ったからそう言っただけなのに、何故か、クラスの代表に選ばれてしまいました。

学年で集まって、クラスの代表者が発言する場面があり、私はその旨発表しましたが、学年主任の先生からは良い反応は得られず、「新聞をよく読んでいるんですね」の一言で済まされてしまいました。
私は新聞を読む習慣はなかったので、
的外れだな、と思いました。

もちろん、学年の代表に選ばれることはありませんでした。

その集会があった後、唐突に担任の先生(肉体は男)に、「君が代の君は、天皇のことじゃないかもしれんぞ」と言われました。
私は、「はァ!?何言ってんの!?子どもだと思って舐めてんのかよ」と心の中で思いました。
もちろん、声にも表情にも出していません。
ひっそり思っただけです。

君が代の君が天皇であるからこそ、学校側は歌わせたいのであり、
親を含め私は、それはおかしいと思っているのです。
その前提を崩しにかかるとは、舐められたものだなと、つい最近まで思っていました。

ただ、今にして思うと、その人は、馬鹿なフリして、私を護ろうとしてくれたのかもしれません。
何から?
学年主任から。

思えばもう一つ、その先生にはイラつかされた思い出があります。
それは、私が敢えて「素適」という漢字を宛てたのに対して、「素敵」と訂正を入れてきた時のことです。
私だって、伊達に辞書を引いていないので、それは、敢えてやったことでした。
理由は、「すてき」という内容を表すのに、「敵」という字を用いることに違和感があったからです。
まあ、教師として普通のことといえば普通のことですが、その先生は、「素敵」という言葉の本当の意味を知っていたのかもしれません。しらんけど。

学年主任の英語の先生(肉体は女性)は、英語の時間に、クラス全員に向けてしゃべるふりをしながら、私に向けて、「文藝春秋を読んでいる」ということをアピールしたように感じました。
そういう内容のセリフを吐きました。

私は、文藝春秋という名前くらいは聞いたことがあったかもしれないけれど、それは大人の読み物だと認識していたし、中学生の自分には関係の無いものとしてスルーしていました。
ちなみに、私の愛読書は『りぼん』でした。
床屋さんをやっていたおじいちゃんが、待合室に置いていたものを、孫たち(厳密には私と妹。弟は見向きもしなかった)が喜ぶからと、わざわざ姫路から送ってくれていたものです。
余計なことかもしれませんが、私たちがあまりに喜ぶので、おじいちゃんはわざわざ『りぼん』を2冊買い、新しい状態でうちに送ってくれるという、わけのわからないことになっていました。
1冊は、お店の待合室に置いておくためです。
送料のことを考えると、なんとコスパのわるいことでしょう。
でも、子どもの私たちにはそこまで考えが及ばず、ただただ、喜んで受け留めていました。

そんなおじいちゃんが、「パーキンソン病」でそろりそろりとしか歩けない状態になって、お母さんのきょうだいの中で盥回し(たらいまわし)にされる形でうちに来たのは確か、私が中学2年生の時。
こんなことがありました。

おじいちゃんがトイレに入った後に私が入ると、便座におじいちゃんのものと思われる便がついていました。
私は咄嗟にイラッとしてしまいました。
あれだけ大好きだったおじいちゃんに対して、です。
これは、トイレの個室において、口にも表情にも出てはいないはずだけれども、確かに紛れもなく思ったことです。

併せて記述すると、妹は…私と年子の妹は、幼稚園生の頃、よその子にも歯医者さんにも文字通り噛みついたりしていて、母親は手を焼いていました。
私は、子どもの頃には噛みつかれたことはなかったけれど、髪の毛を毟り(むしり)取られたり、激しく叩かれたりはしていて、この生活はいつまで続くのだろうかと遠い目をしていたのを覚えています。
しかし、一度もやり返したりしないので、幼馴染のお母さんは、「やられたらやり返しなさい!」と大人らしからぬアドバイスを私にしてくれたものですが、私はそれには従いませんでした。
何でかはわかりません。

そんな妹は、当時小学6年生だったでしょうか、おじいちゃんにとても優しくしていました。
一瞬イラついた私なんかとは大違いです。

妹は、鳥取へ転校してきた時は小学5年生で、その当時はまだ、不登校児でした。
ただ、担任の(肉体は女性の)先生がとても良かったので、徐々に学校に通えるようになっていきました。

妹の容姿はとても良く、夕鶴の劇で主役の座を射止めるほどでした。
そのことで自信をつけたというところも大きかったように思います。

私が何故、そんな妹に嫉妬をしなかったかというと、4歳くらいの頃、写真館で妹と2ショットで写真を撮ってもらったものを見て、妹が明らかに輝いて見えたので、幼心(おさなごころ)に悟ったからでした。

言語化はしていませんでしたが、「私は容姿で勝負するのをやめよう」ということです。

私の容姿は母にそっくりで、
母はというと、
家族みんなから不細工(ぶさいく)だと言われて育ち、
クラスメイトには、「おまえの母ちゃん、お前より美人だな」というようなことを言われるほどでした。
それは、母親から聴いた話です。

ですから、本当によく私は、「お母さんにそっくりだね」と言われるのですが、
その度に私は、
「不細工だね」と悪口を受けていることになるのです。

心から苦笑いするしかありません。

その悪口にも慣れました。

母は、はっきり言ってすごく太っており、
最近の私はというと、コレステロールを下げるために10kg痩せてみたところ、下がらず、リバウンドなのか25kgも増えてしまい、自分史上最大に太ってしまい、
自分史上最大に、見た目が母親に似ていると思います。

でも今は無理して痩せようとは思っておらず、何故ならば、ルッキズム(外見重視主義)から抜け出せるチャンスかもしれないと思っているからです。

それに、渡辺直美さんがそうであるように、「太っている=不細工は成り立たない」のです。

話を戻すと、私は、あんなに優しいおじいちゃんに対して、酷いことを思ってしまったのです。

おそらくそのせいでしょう、
おじいちゃんが次の盥回し先に行く時、
妹と弟の名前は言えたのに、私の名前だけどうしても言えなかったのです。

それが、愛するおじいちゃんとの今生の別れでした。

もう一つ話を戻すと…『文藝春秋』って、「右寄りな雑誌」ということで合ってますよね?
そういうアピールを学年主任から受けたという話です。


…さて、テーマに照らし合わせて、ここまでの文章で何が言いたかったかというと、こんな風に私の記憶は、映像で保存されているので、謎が謎のまま存在できているのだということです。
だから、私と同じように、映像保存(おそらく右脳を使う、もしくは無意識の領域にアクセスできるようにする)をすれば、誰だって神がかった能力を発揮できるのです。
黒柳徹子さんと同じことです。

しかし、今回の話はあくまで、私個人の経験談でしかないので、私の経験を手がかりに、ご自分の場合どうすればよいのか微調整が必要で、そのヒントとして、重ねてになりますが、「右脳と無意識の活用が肝要」と述べておきます。
ナポレオンは睡眠時間4時間だったといいますが、脳の活用が上手かったのではないでしょうか。

そして、この文章を綴りながら、私は長年の謎が解けて時折り大号泣して腰を抜かしそうになっているのですが、それが、多数派の人の目には躁状態のように映るであろうことぐらいは認識しており、しかしながら、何事もないかのように隣の部屋で熟睡できるくらいに、うちの夫はタフというか、鈍感力があるのです。

だからこそ、私にだけは、初めて会った時から、夫が輝いて見えたのです。
それは、紛れもなく、私にとってのBEST HALFだという『愛の証』でしょう。
この解釈であっていますよね?

だがしかし、今の私は、鈍感に見せかけて、狸(たぬき)である可能性も視野に入れるくらいの敏感力は持ち合わせているのです。

最近、目醒めるまでは、ずっとどこか鈍いところがある人間だったのに。

(この文章には、まだ回収しきれていない部分があります。
それについては、またの機会に。
つまり、続きがあるということです。)


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