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絵で承認欲求を満たせるのか

 「まさいぬさん」は絵描きである。いや絵描きなのか?絵描きを名乗っていいのか?インターネット落書きマンくらいがちょうどいいレベルのなんじゃないのか?16歳のときクラスの友達と絵を描き始め20歳のときペンタブを買ってかれこれ20年以上絵を描いてることになるんだけれども大してうまくならない。いやまぁそりゃ16歳のときよりは明らかにうまいんだけど、20年続けてるって言うと笑われるレベルなんじゃないのかっておもうんよね。なんか趣味として誇るには中途半端だし、だからといって変に私下手なんですっていって変に謙遜しまくるのもなんかみっともない気がするし。

 20歳くらいのときにインターネット上に共有されているホワイトボードにみんなで絵を描く形式の絵チャットを初めた。そこは数分で画面がリセットするので、軽い絵をガンガン描けるのがお気に入りだった。そこで絵描きの顔も知らないお友達がたくさん増えた。だがそれから20年後自分より絵が上手いはずの人が絵を描かなくなってしまったり、プロを目指していたのに仕事にすることを諦めるどころか、絵描きを名乗るのをすらやめてしまった人も見てきた。逆にプロになったがゆえ連絡が付きづらくなったひともいる。また同級生の友達もほとんど絵を描かなくなってしまった。年をとるに連れて中途半端に趣味を続けている人間がどんどん減っていってる気がする。みんな上に行くか下に行くかしてしまってる気がする。

 最近絵を描くAIが巷で話題となっているが、AIの絵作成にドはまりしたおたく友達が「AIが出てきてAIの絵で傷ついてる人は承認欲求で絵を描いていたような奴らだ!」みたいなことを言っていた。とんでもない。承認欲求を満たす手段として絵って非効率なんじゃないの?っておもってしまう。数時間かけて丁寧に描いて、それでも納得行くで気にならなくてそれでももったいないから投稿して、数時間かけて描いた絵はタイムラインにすっと流れて3秒でも眺めてくれればもう大成功ってくらいの世界である。割に合わない気がする。いや描きたい絵があって、せっかく出来上がったからついでに承認欲求も満たしておくかみたいなついでじゃないととてもやってられない。

 私の場合だったら博物館写真のほうがいいね稼ぎやすいし、noteで凝った文章を書いたり、twitterでへんてこなこと言ったほうがいいねもらえる度合いが大きいし。この文章だっておそらくは自分が描く落書きよりも見応え読み応えが抜群な気がしている。それよりさらにおしゃれカフェのケーキとかソフトリクームの画像のほうがいいねはつきやすいっていうか、費用対効果的思想でいいねを稼ぐならおしゃれカフェのほうがコスパいい気がするし。

 私の絵の実力を考える。私はいわゆるゲイでケモナーというやつなのだが、少なく見積もっても私より絵のうまいホモケモナーは1万人いるだろう。いや30万くらいいるかもしれない。単純に素敵なオスケモ絵を見たいならその1万人以上の絵を眺めてそれでも余裕のある人が私の絵を見てくれればいいって感じだ。それでも私の絵にいいねを付けたりコメントくれたりする人は、私の絵を通して私の表現を見たい、頭の中を見たいと思ってる人がいる……のだと思う。この文章だって、ここまで読んでくれた人なら私の考えに興味があるということになるのだろうし。

 そもそも絵の表現を文字で語ってる時点でかっこわるいというか、絵に関する考えは絵で表現できたらかっこよかったんだろうけど。でもどうせ記号みたいな絵しか描けないし、はんこ絵って散々言われまくってきたし……それでも自分のアイコンを自分で描いて年1回変えて、noteの見出し画像が自分の絵である間は恥さらしでも自分のことを「絵描き」ということにしていこうと思う。


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