内動性と外動性

刀禅同好会のお稽古

動きに、内動性の動きと外動性の動きがあるとしたら
刀禅は ぶっちぎりで内動性に振りきれている。

(外動性の動きは関節性の動きとも言えるかもしれません)

そんな内側の動きで動くお稽古をしていたら
同好会の先生が心配してくださった。

「猫派さんの表現が、玄人好みの領域に行き過ぎてしまいませんか?」


外動性の動きの方が わかりやすいんだ。
派手なアクションみたいなもんよ。
パッと見で凄いなと思わせる。

表現だと、そういうわかりやすいインパクトの強さが求められることもある。
(特に、お客さんの足を止めないといけない大道芸的なパフォーマンスでは)

パンチの効いたラーメン屋のスープみたいな感じ。


内動性の動きは パッと見わかりづらい。
普通に立っているだけに見えるのに、なぜか打ちこむ隙のない 強さを誇示しない強い武術家みたいなもんです。

外は ほとんど動いていない。
でも中が猛烈に動いている。

素材の味を引き出して絶妙なバランスで整えた料理みたいなもの。
繊細な味つけだから、パンチの効いたラーメン屋の
スープに慣れた人は思うんだ。

(なんだこれ? 味しないぞ)


大道芸的な場は、内動性を味わう雰囲気ではない。
(あってダメなわけじゃないけど)
外動性のスパイスをガンガン効かせる必要がある。

まず足を止めてもらわなければ、その先に進めないから。


どっちが偉いとか、どっちが高尚だという問題ではなく
自分がどういう場を主戦場にして、何がしたいのかで選べばいいと思う。


昔、テレビで連獅子(だったかな?)を放映していた。
歌舞伎、能の連獅子を見比べることができる番組だった。

違いが、本当に面白かったんだ。


それぞれ凄いんですよ。一流の方達のパフォーマンスだから。

でも、歌舞伎の連獅子は 内動性2:外動性8くらいの比率に見えたんだ。

格好いい形つくってくるな~って感じ。
外からどう見えるか指先の隅々まで計算しつくしているよねって思った。

能の連獅子は 内動性9:外動性1くらいに見えた。

歌舞伎はね、動きを爆発させているように見える。
でも能は、爆発させないの。爆発寸前の身体で常に
動いている。

爆発寸前の感じが凄みになる。

歌舞伎も凄いんですよ。
でも、「凄い!」って声が出ちゃう凄さ。

能の凄さは、息をのんでしまう。
言葉にならない凄さ。

凄さの質が違う。


私は、内動性の比率が高い表現が好きだ。
そういう気質なんだ。

でも外国の方に受け入れられやすかったり、
多くの人に愛されるのは、外動性の高い表現だと思う。

ファンの質も違ってきそう。
浅く広く愛されたいか、深く狭く愛されたいか
そんな違いになってくるんじゃないかなって
思ったりする。

内動性の高い表現は
水底に沈むものを見せようとしているみたいだ。

私は、一見地味でも、水底に沈むものを見せられるようになりたいんだ。

外動性の高いパフォーマンスは、水面を大きく波立たせているみたいだ。

それはそれで面白いんだけど、水底に沈むものは
見えなくなってしまう。


昔、マイムの先生に言われた言葉を思い出した。


「猫派さん、動き過ぎも動きを殺すのよ」



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