49.温故知新

前原から松田になり現在は高橋仁美で暮らしているが、呼び名が変わっても、わたしの中身はそのままだ。多少は知恵もついたし、要領も良くなったし、人間としてのズルさも、44歳おばちゃんなりの白髪やシミは、あるにせよだ。

今回のこのコラム、インスタで載せてFBに載るようになっている。温かいイイね!コメント、昔の仲間から前原時代を知っている方もいらして、よくここまで来れたなぁと思う。改めてお礼を申し上げたい。引き続き宜しくね!

コラムを書こうと思ったのは言い訳としては頼まれたからなのだが、元々この形式で書くのが得意だった。正しくは得意なようだ。やってみて気づいた。まず、楽しい。浮かぶ言葉をまとめていく作業、どんどん浮かぶ。(今のところ)

大学生のころ、大親友との話を、まだ買ってもらったばかりのPC練習を兼ねて書いて仲間に見せたところ、いいね!っていってもらったことがある。でも、これ、誰がみるんだろ。と思った。

当時から水泳について何か残さないとなと思いつつ、文字は伝わらないし、絵は描けないし、当時はそれで終わっていた。

今高橋になったひとみんは、YouTubeという素晴らしい仕組みに出会った。
これも頼まれがきっかけ。
普段話していること、また聞くなんて、誰がみるんだろって。

プールでの撮影は、撮ってくれる人がいないとわたしの泳ぎについて解説は不可。
これが今月末叶うんですわ…凄いことよ!
楽しみにしててね。

じゃあと、陸上で泳ぎを習った選手に入りたて、毎日プールに行けて嬉しくて仕方のない長崎宏子さんの倍のスピードで泳ぐ7歳の仁美ちゃんに戻ってみようと思ったわけだ。

ビート板を全部並べて前転とかやったなぁ…
補助輪付きのオレンジの自転車、いつもの場所において、こんにちはーってロッカーまで階段ダッシュしたなー。ロッカーは鏡のすぐ横、上から3番目。

人が水に浮いて泳ぐ
昭和の時代も平成も令和も、大きく変わることってあるだろうか?
4種目はそのままで、増えも減りもしていない。
S字ストロークや二軸はあったけど、それも時の流行りで終わらせたら先人に失礼だと思う。

本質的なもの、普遍的なもの、残すに値する話、絶好調(指導のまとまりが)のいまだからこそ、宮沢りえのサンタフェのように、一番いい時を残しておこうと考えた。

ただ、ただ、わたしの頭の整理、独り言。
全員に良い言葉はないから、誰かの心にポッと光が差せばそれでいい。

まだ泳ぐ人カテゴリーからは抜けられていないけれど、指導者もしていると一丁前のプライドも出てくる。あこがれのコーチは?と言われても、私の周りは名コーチしかおらず、この人のようにというより、私のできることでという視点にならざるを得ないし、私なりの最高しか出せない。後進の指導もしたいけれど、こんな独自路線についてくる人いるのかな………。

60歳でも、指導がしたい。
10年後今のパワーで動けるとは思えないけど、
地元でお世話になれるよう
一応目黒区の水泳連盟には幽霊会員登録済み。
習ってくれる人、いるかなー。

60歳になったら、60歳からの水泳教室で
メイン張ってみたいな。
ウォーキングとか初心者水泳お手のものに
しておきたい。
5分で基礎部分を泳げるようにする。

って、今見てる60歳って、若々しいぞ…
70歳にしておくか…

案外楽にいけるかもー!
その時考えればいっか。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?