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夫婦で移住&起業の決意と実行のリアル

今しか本音で言えないこともあるだろうから書いてみることにする。

目的:幸せに楽しく自分たちらしく生きていく
目的や自分の価値(大事にしたいこと)からぶれる行動をすると不安や恐怖などのマイナスエネルギーが沸きやすい
★★★★★

ちえ辞典

正直な今の気持ちを話します。

きっとこれから、ご夫婦で移住や起業を決意される方が増えると思うので、そんな方達のお役に立てると嬉しいです。

私(妻)・・・44歳
夫   ・・・53歳
ワンコ ・・・14歳
    ・・・6歳

私は41歳で行政関係職をバーンアウトし、自分らしい生き方を模索し続けていました。

夫は、とんでもなく良い会社に勤めています。
右往左往仕事に迷いながら、ようやく掴んだ安定したお給料安定した仕事、人間関係の摩擦も少なく、配慮された会社。

そんな暮らしを辞めて、私たちは敢えてイバラの道とも見えるような移住と起業を決意し、実行しています。

正直な今の私の気持ち。

「怖い70%」「楽しみ30%」

リアルですね。

実際に物件を購入した。

までは、まだ浮かれていました。

別荘みたいに使いながら、少しずつ自分たちでDIYしていけばいいやー。
ゆっくりゆっくり~。

と呑気に構えていたし、美味しい野菜やお水、海や山の自然の景色などを堪能していました。

そこから、夫の退職が決まり、移住者として区長さん面談やリフォームの話しが進み出し、実際に数日間寝泊まりしながらDIYを始めだした途端。

え?待って、田舎の暮らしって忙しいぞ。
病院もスーパーも遠い。
動物(鹿)は家の近くにいるし、熊もいるらしい。
虫もでかい。

区長さん面談では、熊の話しや救急車がなかなか来ないよとか、村の決まり事などの話しを聞いて、どんどん胸の圧感が強くなった。

と反対に、ご近所さんの本当に自然にできる「人のために」の心や購入させていただいた売主さんの優しさ(私たちに不都合ならないようにたくさんの配慮をしてくださり、またご近所の付き合いを作るためにお時間くださったり、つなげてくださったり・・・)、「うわぁいい人が来てくれて良かったよー」と、何を聞いても自然に寄り添うように話しを聞いてくださる区長さん。

スーパーに行くと、お客さんが店員さんを応援しているし、店員さんはその想いを組んでお客さんに親切にしてくれる。

大阪の町でも小さな町では同じように人に親切なことが当たり前な地域もあるけれど、やっぱり自分たちに必死で人のことは見えていない人達はとても多い。

市内に行くと、転倒している高齢の方が隣にいても、素通りしていく人達の姿を見て、とんでもなくがざわついていた。

私自身、父が身体障がいがあったこともありますが、人に親切にする、困っている人がいたら助けるということが当たり前の世界に生きてきました。

なので、市内でのその様子を見た時に、高齢の方に声をかけ手を添えながらも心の中で泣いて、1人になった途端に涙が溢れて止まらなくなりました。

移住先で「困ったらお互い様やからなぁ」と笑う区長さんの顔を見て、とんでもなく安心しました。

そして実際に、見返りも求めずに優しい感情を注いでくれる町の皆さんに(公園で中学生くらいの子がたくさん集まっていたんですが、🐶🐶を見て、めちゃくちゃかわいい!やばい!やばい!とワクワクしながらみんなで話しをしていました。あんなに幸せそうな顔で声で素直に話すお子さんを見て、とても幸せで心が温かくなりました)(他にもたくさんあります。みんな動物に優しい。私たち夫婦も動物や生命体が大好きで愛しくてリスペクトしています。この町の皆さんはコウノトリのことをこうちゃんと呼んだり、猫がいたら声をかけて、ツバメが家に巣を作ったら歓迎して、フクロウがいた話しをすると、幸福のふくろうだよ!と喜んでくれたり、幸せになります)

私も夫も、心が充電されて満たされてポカポカする気持ちになります。

きっと、本当に私は人も動物も生命全てが大好きでリスペクトしていて、みんなで共存して幸せに生きたいという想いがあるのだと思います。

私は一時期岡山県に住んでいました。

高梁市という町に住んでいた時(本当に何もない所ででした)キレイな星や蛍に癒やされて穏やかに過ごしていた時期がありました。

引っ越した回数でいうと、8回くらい(もっとあるかな?)はしています。

大阪府内でも4地域で働きました。

やっぱり住んでいる町(環境)で、人間性は異なります。

人って環境で出来上がるということを実感しています。

移住してこれまでにないような近隣付き合い(村の付き合い的な)ものは、想像以上にあると思います。

ただ、その付き合いは必要不可欠な相互扶助的なものだということを感じます。

みんなで支え合う、みんなで町を作る、みんなで豊かになる。
できる人がやる、できることをやる。
その本来の相互扶助。

そして、自然の中にいて自然と遊び(サーフィン)自然に癒やされている私たち夫婦にとって、その環境に身をおけることは自分たちらしく居られるこの上ない環境。

なのに!

何が「怖い」んだ!?

多分、ですが、自分自身と対話をしてみると

「今の安定を一旦手放す」

ということへの「怖さ」が70%

つまり、私は夫に甘えていたし、今不都合なことに目をつむれば、そこそこの暮らしをすることができる。

そこそこ。

そう、ここなんだと思う。

私の望む生活、と、夫の望む生活。

を実現させようとすると、「そこそこ」で満足するものではない

起業を決意したのも、自分たちが理想とする働き方を実現するために行う。

よく移住を、セカンドライフ的に、リタイアした方が求める暮らし、みたいに言われるけれど、私たちの考え方は少し違う。

移住により、理想とする環境に身を置き、理想とする仕事に就き、そこそこではない、自分たちらしさを追求した先の自己実現を叶え、理想とする全てを手に入れること。

そして、その先に、「やりきった!!」と言い切れる人生を生ききること。

そこそこ

で生きたいならば、この「怖い」という感覚に従ってこのままここに居続ければいい。

けれど、そこそこではこの先の人生を「生ききった!」と言い切れないから、私たちは新たな生き方を決意し、実行している。

そう、まさに今がコンフォートゾーン(安心した空間から脱出するときの恐怖感)を抜ける時。

起業、なんてやり方なんて分からない。

ただ、すごい偶然に、私の母が先日30年続けた自営業の店を閉めたのだけど、母が店を始めたのは、今の私と同じ44歳だった。

しかも、母が一番苦手とする「料理」の世界に、自分と戦いながら一歩踏み出した年齢。そして、30年続けた第一歩の年齢。

偶然にしては、出来すぎじゃないかな。

この母のことを思い出したら、ずっと生きずらさを抱えながら生きてきた母が、お店を始めて京大の学生達に囲まれながら、楽しそうに仕事していて、6月末に店を閉めるときも、惜しまれながら閉めたことを思い出すと、なんだか。

「とにかくさ。やってみよう!やれるよ!」って気持ちが沸いてきた。

おかん、ありがとう。

そして、夫、ありがとう。

私たちの幸せに、大きな決意をしてくれて。

幸せになろう。今よりもっと。

自分たちらしさを取り戻して、笑って笑顔で過ごせる毎日を。


あとがき的感想

本来なら自己実現に向かう時、マズローの欲求段階説でいくと、安心、安全が保たれた状態を維持しつつ向かうのが良いのだと思う。

こんな風に、貯金もそこそこの中で、2人で0から始めるなんて、かなりのチャレンジャーだと思う。

だからこそ、今の「怖い」は大きいのだとも思う。

だけど。

貯金っていくらあっても不安って無くならないなって私は想っていて、私たちの結婚当初は1円も貯金がなく、私の少ない貯金まで使って暮らしていた。

そこから10万くらい貯金できたら「わー安心」って思って、次は50万できたら「わー安心」って思って、100万できたら「安心」ってなって、そこからは、100万切ると、不安になりだして、50万なんてなったら不安で不安でたまらなくて、でも良く考えたら最初は10万で安心って思っていたんよね。

人間の脳って不思議なもので、手にいれれば手にいれるほど「不安」って増していく。

減るのも怖いし、増えすぎるのも怖くなる。

いつまでたっても安心できない生き物。

それなら、貯金ができたら~なんて言っている間に人生過ぎてしまうんやから、こうやって良い流れに完全に乗ってキレイに流れていくのが一番、エネルギーに逆らわずにうまくいく秘訣だと思う。

やから。

すごく私たちにとって、「正解」の道を歩んでいることは間違いない。

「笑顔は世界を救う」

この世界が笑顔で満タンの世界になれば、今の移住先のように「人のために」が自然とできて、素直に感情を表現できる人達で増えれば、温かい気持で幸せに生きる人が増えるんじゃないかな。

そのためにも私たちはこの「怖い」を突破する。

私たちが体現することで、幸せの波紋を拡げるんや。





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