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大河の一滴

わたしがわたしに生まれた以上は、わたしは自分を満足させるために生きる。自分は何が好きなのか、何をしたいのか。何が嫌いで、何をしたくないのか。どう生きていきたいのか。どういう人が好きなのか。何に心を動かされるか。そんなことはわざわざ言語化しなくてもいいし、意識しなくたっていい。きっと無意識のうちにわたしは自分が行きたい方向に舵を切るのだから、そんなことは知っていても知らなくても、どちらでもいい。わたしはただわたしを満足させるだけ。それだけのために生きる。
わたしという存在は宇宙、いや地球、いやいや日本、もはやこの街の規模で考えてもちっぽけな存在だ。わたしの生活圏内の中にいて、かつわたしのことを大切に想ってくれている人は、わたしの生死だったり幸せでいるかどうかに心を動かしてくれるでしょう。でも、多くの人にとって、わたしの存在はなんてことはない。わたしはこの多くの人が暮らす世界の大河の一滴でしかなく、でもそれだからこそ生きる意味を求めなくたって生きていいのだし、自由なのだ。
そうだそうだ。「大河の一滴」、この言葉を思い出そうとして今、5分くらい、なんだっけ…あの、地球規模で考えたら自分は砂の一粒みたいな意味のあの言葉…と考えていたところ。大河の一滴、なんという表現なのだろう。五木寛之さんが考えた言葉なんでしょうか。
自分は大河の一滴だからこそ世界にとって無意味で、でも、だからこそ自分の意味を自分で決定できる。わたしたちはなんて自由なんだろう。

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