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正しい選択肢なんて本当はなかったんだと思う

思い返すと、いままでの人生のなかで「なんでそんな選択肢を選んだの?」と言われることがよくあった。わたしとしては、進学先も、就職先も、仲良くする人も、付き合った人も、付き合わなかった人も、自分がそうしたくて選んできた自覚だが、いざそう聞かれてしまうと言葉に詰まる。だってきっと目の前の人がわたしに言いたいのはつまり、言葉通りの「なぜこの選択肢を選んだのか教えて」ではなく「この選択肢を選ぶ気持ちがわからないので、私が納得できるそうに説明して」という意味のような気がするからだ。とまあこうやって勝手に人の気持ちを決めつけているわたしもいるわけですけども、実際のところ、やっぱりそうですか?

人はそれぞれ考えが違い、それはつまり思考パターンも異なるということだ。わたしが誰かを見て、あの人はきっとこういうことがあってこう思って次の行動をとったのかもしれない・・とちまちま考えていることだって、結局のところはいくら想像力を働かせたところで、「わたしが想像した」その人でしかない。想像をふくらませることそのものは悪くない。ただ、完全な100%の理解は難しいし、相互理解を目標にするのもやっぱり難しいと思うのだ。

さて、最初の話に戻るが、なんでそんな選択肢を選んだの?という言葉について、自分自身のことについて考えながら書いていきたい。わたしは十年ほど前の春に晴れて大学一年生となり、地方から上京し、念願の第一志望の大学に入学した。初めての一人暮らし、初めての友達、環境。これからなんでもできると思うとわくわくして、友達も、洋服も、アルバイトも、サークルも、授業も。自分の好きなもので生活を構成できるのだと考えるだけで、心はどこまでも楽しいことを受けいられる状態で、クリアだった。なんとなく気のあったクラスメイト数名の男女グループでつるみ、初めてのアルバイトを始め、バイトをしていなかったこれまでなら買えなかったたくさんの洋服を買い、あるサークルに入った。きっとほとんどの人なら、大学生になってまでそこに入る?と思われるような選択肢だったのだと思う。なんでそこなの?は本当によく聞かれた。ここまで話しておいて身バレが怖いので、詳細は省くが、拘束時間も長く、ハードで、けっして笑ってばかりいられる環境ではないと最初からわかっていた。しかし、わたしはあえてそこで自分の大切な青春の時間を過ごしたいと考えた。そこを選んだ理由はわたしとしては一択で、これまでの自分が成し遂げられなかったこと、自分のここが恥だと思っていること、自分のコンプレックスをここでなら埋められると考えたからだった。結果、すこし埋まった。でも埋めることに必死になりすぎて、自分も周りの人もたくさん蔑ろにして、感情を犠牲にしてきてしまった。我慢をしてでも克服したかったそのコンプレックスの対処法は、もしかしたら埋めることよりも、心に穴が空いててもわたしは大丈夫、と受け入れることだったのかもしれない。十八歳のわたしはそんなことは考えもしなかった。あのときはあのときで、わたしにとって最善の選択だったとも思う。そういう、どうしようもないことを受け入れて納得することを、年齢を重ねてすこしずつ覚えてきた。もっと気楽でそのままのわたしでも別に大丈夫だったのにと思う。ただ、当時だれかにそんなことは気にしなくていいと言ってもらえたとして、その言葉を鵜呑みにしてコンプレックスを埋めることに注力しなかったのなら、それはそれで後悔したのかもしれないし。

過去のことを悔やむのは、自分のある行動が間違っていたかもしれないと感じた後にまた近い状況に遭遇したとして、今度は同じ間違いは犯さないように心がけたいからだろう。同じ思いをしたくない、次は違う行動をとって対処したい。そう思うことがわたしを悔やませる。だから、過去を後悔すること自体は、本当は全然悪いことじゃない。過去の時間に生きて悩み続けるのは、そういう時期もたしかに必要なときがあるんだけど、現実に戻ってきたい気持ちが少しでもあるなら、自分の不完全さをある程度は許容して、でも全部を許そうなんてしなくてよくて、グレーな状態の、気持ち悪い感じの中を生きるのがいいときもあるのかもしれないね。とは簡単に言ってもそうはできないのも人間だから、感情の奴隷になってみたり制御しようとしてみたり、そういう決まりのなさに人間の不完全な美しさを感じることにして、一旦は違和感も全部飲み込んでみようと思う。

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