僕はお母さんのようなお父さんになりたい。
最初に言っておくのは、決して父さんのようなお父さんになりたくない訳ではない。
ネガティヴな意味じゃないって事です。

僕には歳の離れた兄貴がいます。
男三人兄弟の末っ子なんです。
ゴリゴリ体育会系の末っ子でして、決して甘やかされて育った訳ではないんです。
次男にはよくシバかれましたね。
もちろんグーパン、ありとあらゆる漫画技、プロレス技かけられ放題でした。
Uは、地元では俗にいう札付きの悪というやつで、中学時代はまともに学校も行かず、行くとしたら昼過ぎてからタバコくわえて自転車でチンタラ登校してた感じです。
窃盗や喧嘩は日常茶飯事で、喧嘩相手を川に蹴り落として病院送りにした事もありました。

そんな素行の悪い次男には一つだけ取り柄がありました。小学2年から始めた柔道です。
小中学の地区大会は総なめ、中学時代は県のみならず地方敵なしと、とにかく柔道が強かった。
ど田舎の地元から、全国大会に出るような人間がでて中学校では横断幕が張られ、高校のスカウトもたくさんきた。
高校進学までは、父とも大喧嘩したり問題行動ばかりだったけどなんやかんやで大学まででた。

長男の兄貴も柔道やってたけど、中3で辞めた。
そっからはバンドマン一直線。高校行ってたけど、廊下を原付で走ったり、893の息子しばいて報復でしばかれたり、担任しばいたりで辞めた。
バンドマンはインディーズで20年以上やってる。
薬中で、強制入院したり大ごとになったけど、
今は結婚して子供もいるんだ。

こんな大暴れの兄貴たちが唯一頭が上がらなかったのがうちの母親だ。
ことあるごとに、学校に、警察署に迎えに行っては家で大激怒。兄貴たちは決まって五厘刈りされてた。

地元では知らない人がいない極悪兄弟で、怖いもの知らずの兄貴たちが正座で話を聞いている。

父親とは取っ組み合いの喧嘩をする兄貴たちだが、母親の前では小さく見えたものだ。

前置きが長くなってしまったが、うちの母親は決して怖い人ではない。

僕が小さい頃、物心ついた頃にはもう牛乳配達や新聞配達をしていた。
早朝の配達から家に戻ると、学校に行く子供たちと父親のお弁当や朝ごはんの準備に取り掛かる。
体育会系の子供はご飯をたくさん食べるんだ。
実際僕も朝からご飯は2〜3合食べていた。
炊事洗濯を済ませ、子供たちを見送って、自分の身支度して、パートに行く。
お昼休憩して、また夕方までパートだ。

買い物をして、晩御飯と洗濯だ。洗い物をしてお風呂に入って少し早めに寝る。

また早朝に起きて配達だ。

僕が小学生まで、月に一回母親が回転寿司に連れて行ってくれていた。給料日だ。
僕は小さいながらも、家にお金があまりない事は知っていた。母親はいつも言っていた。うちは貧乏だからたまにしか連れて行けなくてごめんねと。
大人になった今だからわかるけど、働くのって大変。炊事洗濯も大変。母親の自分の時間て本当に少なかったんだなと。

料理がすごく上手で、お弁当も中学から高校の6年間毎日作ってくれた。(中学給食なし)
友達が家に来たときは、友達の分の飯もでた。めちゃくちゃうまいと評判だったのが嬉しかった。

小学生のとき、やってない事をやったと決めつけられ泣きながら母親に話して信じてくれたのが母。

中学生のとき、県予選直前に骨折したとき、
部活で疲れてるのに、道場行って来なさいと言ってしまった私が悪い。悪い事したね。と謝ってくれたのが母。

大学進学で遠くに行く僕に、あんたがやりたい事をやりなさいと背中を押してくれたのが母。

卒業して、就職して
元気ならそれでいいと言ってくれるのが母。
(父からは連絡はないけど、心配しているらしい)

38歳のときに僕を生んで、今日までたくさんの愛を注いでくださっています。もう溢れています。

僕も子供が生まれたら、同じように子供に愛を注ぎたい。

そういう人に僕はなりたい。

お母さん、お父さんいつもありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?