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植物園にて

涼しくなり過ごしやすくなったので、散歩も兼ねて植物園へ行って来ました。久々にカメラの出番です。と、言っても、以前使っていたものではなく、ミラーレスのデジタルカメラですが…。最近は、もっぱらスマホで撮っていたこともあり、その気軽さに慣れていたせいか、小型とはいえ、カメラの重量とシャッター音が胸に響きました。

デジタルカメラなので、ファインダー越しではなく、液晶画面を見ながらの撮影ですが、一度気になるものを見つけると、同じ構図にも関わらず何枚も撮ってしまうクセは健在です(笑)

写真の学校に通っていた頃も花の写真を撮っていました。その学校は、技術的なものを習得する授業ではなく、撮ってきたものを皆んなに見せて討論するスタイルでした。恥ずかしながら、そこで初めて知ったのですが、【花を撮る】というのは、色々撮り尽くして最後にたどり着く題材で、例えば、人生を達観したような人が、ようやく手掛けるぐらい難しいテーマなのだそうです。

写真評論家の方にも写真を見てもらいましたが、私の写真は、全く相手にされませんでした。他にもたくさんの生徒が、作品を披露し、中にはプロじゃないか?と思うぐらい素晴らしいものもありましたが、「どれもこれも見てきたものばかりで目新しさがない。作品にはストーリーがなければいけない。社会的に訴えかけるものがなければいけない」そんなことをおっしゃってたような気がします。その方を嫌だなぁと思ったことはありません。でも…、自分には、そんな力がない…と、当時は、ずいぶん落ち込みました。

写真で何かを成し遂げようとしたから、悩んでしまったのだと思います。自分の気持ちにもっと素直になるべきでした。あれから長い月日が経ち、今日再びカメラを持って感じたのは、写真を撮る事そのものにストーリーなんてなくてもいい、社会的なメッセージなどなくてもいい。レンズを通すと面白いから、キレイだから、好きだから…そんな気持ちがあれば、それだけでいいのだと思いました。

カメラの面白いところは、今、実際に見ているものが、レンズを通して光を調整することで、全く違うものに変わることです。もちろん見たまま忠実に写すこともできますが、明るさを変えるだけで雰囲気はガラッと変わります。そして、カメラの怖いところは、撮った人の内面そのものが写ってしまうことです。何をどう見ているのか、被写体を選んだ時点で、それは徐々に明らかになっていくものです。自分の心の内を知られるのは、ちょっと恥ずかしいですよね。それでも止められないのは、きっとどこかで同じものに感動できる仲間を求めているからだろうなぁと思います。心の中に描く風景が一緒だと素敵だから。

植物園の中でコスモスを見つけました。まだ満開には程遠く、数本だけでしたが、でも、この時期に見つけたコスモスは、つぼみを開いた直後で、本当に美しかったです。そして、真っ先に開いた花びらには、凛とした強さを感じさせるものがありました。

いつか、満開になった花の丘で、あなたと一緒に写真を撮りたいなぁと思います。帰りに大きなドングリを拾いました。トトロみたいだな!と嬉しくなりました。

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