ぼちぼちな仕事始め

年明けの仕事始めもボチボチな頃合いです
震災のような、解決しない/自分に何もできない事を考えるのは、なかなかナルシシズム的な気持ち悪さと同時に、忘れてしまうことの申し訳なさで常に数%脳みそが稼働しているような疲労感を感じます(〇〇感を感じる、という使い方は合っているのでしょうか…?)

―神様なんていねえよ
定年を越えた同僚の言葉は思うより刺さります

私の業種は家庭支援なども入るので、
様々な事情を抱えた家庭の情報が入ってきます

〇〇さんのお兄さんは年末××した
年が明けてから△△のお母さんが◆◆した
私が学生の頃までは出会うことのなかったような事情を抱えた方々です

―あぁ、ようやく自分が力になれる話だ

ある種の安心感すらあります
「俺たちは人の不幸で飯を食ってる、それを自覚しなければならない」学生の頃から散々言われてきたことです

それでも
―仕事があってよかった
なんて思うのです
自分の力が誰かの助けになれるような分野で働けてよかった

―やるべきことをやらなくては
事故や災害や病気で突然大切な人がいなくなってしまうようなことは、年齢を重ねるほど増えてくるのでしょう

今回は身内に被害はあれど誰も死ななくてホントによかった
そこだけは噛み締めて一歩ずつできることをやっていきたいと思います

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