罪悪感を背負う

お正月から激しい揺れと恐怖に見舞われた令和6年の元日
何事かと不安な気持ちを煽るように、激しい語気の報道番組が流れ始めました

私自身は長野で過ごし、大した被害もなく少しの焦りと戸惑いを数時間抱えるだけで済んだ出来事でしたが、
出身大学が石川県にあったり、一昨日に忘年会をした院の同級生が実家の富山に正月は帰ると言っていたり、前職の教え子が年に1回のペースで珠洲の田植えボランティアに参加していたり、、、
何かしら心配になることは多くありました

今回の地震でうちの子(3歳)は初めてのJアラートを聞き、テレビから聞こえる鬼気迫る避難指示に怯え、夜泣きになり、それにより我々夫婦は全然眠れなかった、というのが一番の被害でしょうか

今回の地震では色々考えたことがありましたが、そのうちの1つが
・能登出身の同級生の彼はこれで2度目の被災であること
です

大学同期の彼は今回で2度目(多分)の大きな被災になります
1度目は2007年3月の能登半島地震、この時も彼は避難所生活をおくっています(たしか…)
2011年3月の東日本大震災の時、我々は大学1年生でした
この時に彼が話していたことの中で覚えていることに「(2007年の時は)大学生みたいな奴らが大量にボランティアとしてきたが、正直迷惑だと感じた」という話があります
ボランティアの件に関しては、今回の地震でもSNSでやや話題になっていますね
当時はその話を受け「現地の人にしか見えないこともあるんだなあ」などと思った記憶があります

なんにしても、彼は2度目になるわけです
かたや最大で震度4程度の被害くらいしか受けていないまま30歳を過ぎた私と、同い年で既に2度も被災している彼
申し訳ないなと思いました
画面の奥には身近な人たちが大変な思いをしているのに、我々は既に笑い話をしながら娯楽に浸れてしまうような状況にあります

―自分にも家族がいる、家族の生活を支えるのが最優先だ、今行ってもできることは何もない
こんなことを考えれば考えるほど、まるで言い訳のように感じてしまうのです
東日本大震災の時は知り合いもいないのに、奨学金を募金に回すという暴挙までしてしまいました

この罪悪感を払拭するために動こう
動いてしまえば、この罪悪感は消える
なんならヒーローだ
行こう、彼らは待ってる、きっと俺たちの力が必要だ

再生数稼ぎでも、話題作りでもないのだと思います
動機は「罪悪感の払拭」「ついでに再生数まわったら嬉しい」くらいの順番でしょうか
冷静ではないその感情も一定の理解はできます
だから、冷静な人の声に耳を傾ける必要があるのだとも思いました

この件で、人助けにも権利が必要だということを強く感じる次第です
「僕が助けてあげるね」いえ、あなたには助けてほしくないです…
「俺が面倒みてやるよ」いえ、あなたとは縁を切りたくて…
「千羽鶴折ってあげるね」本当にやめて
技術、知識、関係性、エトセトラ
必要なことはたくさんあるでしょう
一方通行では成り立たない事ばかりです

そして今回我々に必要な力は”財力”だと感じる次第です
募金くらいしかできることがなくないですか??
もちろん”祈る”とか”願う”とかそういうことはできるかもしれませんが
具体的に何かできることなんて、我々一般ピープルには募金しかないでしょう!?

こういう時のために財力は必要なんだ
「自分や家族が困らない程度でいいや」と思っていたけど、
少しでも彼らの力になるために、
財力を身に着けておく必要があるんだ
この罪悪感を背負って力にするんだ
そう思いました

今年は会いに行かなきゃなあ
話したいこと、聞きたいこと、たくさんあるのに、本当にいつ何が起こるか分からないんだと強く思った2024年です

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