頑張ること、努力することが好きでは、ないワケ
あくまでこれは例えの話だが
ゴミが、道端に落ちていた、、だから拾った。
それを見ていた人たちは「あのひとえらいね」「しっかりしているね」とほめた。
だけど、うれしくなかった。
すごいことをしたわけでもないのに、ほめられても。ごみが、落ちていたら拾うのはあたりまえでは、ないのだろうか。これが、あたりまえでなかったら、外にあふれたゴミは風でとばされ、海に流され、どこかで溜まっていくのだろう。ひとつ拾うだけで、少しは変わると思えば、拾うのは当たり前だと思う。
それなのに、なぜ、普通に生きていて当然のことをしただけで、ほめられるのだろうか。やっていることは、基本にすぎない。応用でも発展でも新しいことでもない。息をしていることと同じ程度なのだ。
だから、こんなことでほめられてしまうと、
その先を目指す理由がなくなってしまうじゃないか。
だって、そうだろ?頑張らなくても褒められてしまうんだ。
だったら、頑張らなくてもいいじゃないか。
できることを頑張るのは、違うはずだ。普通にやれることなんだから。
頑張る程のことなんて、そもそもめったにないんだって気づいてしまったから。
やれば、やったことになる。ただそれだけ。
いいたいことは、そんなことで、
ほめるな。ばかにしているのか。ってことだけ
だから、頑張る、努力するっていいたくもないし、したくもない。
べつに、頑張っていない、努力している気もない
あたりまえをただ生きると当然にしているだけなんだ。
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