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演技と驚き◇Wonder of Acting #6
人が、なまの体と声で表現する<演技>。一つとして同じもののないこの表現に魅入られてしまった人のための一つの場所。(June/2020)
01.今月の演技をめぐる言葉
いきなり知らない人だけのZoom飲み会に放り込まれる。でもその世界では自分は2人と知り合いで、なにかあったらしい。
— 林 雄司 (@yaginome) June 6, 2020
会話から自分の素性を探っていく動画。スリリングです。
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他人の人生ごっこ https://t.co/0v2lVn50BG pic.twitter.com/yXx38ev7Vt
馬と自転車に乗ってもホームズを演じるジェレミー・ブレットよ。でもエドワード・ハードウィックもワトスンぽい乗り方だ、役者はすごいぜ pic.twitter.com/LkJLhQgE3V
— 最中餡子 (@monakanko) June 6, 2020
『淪落の人』5億点
— こやま (@ryko48_eiga) June 7, 2020
半身不随の中年男性と彼を介護する出稼ぎの家政婦、夢を諦めた二人の物語
お互いの夢を応援する二人の優しさが渦のように連なり合う、前向きで幸せな作品😭
具体的に何がとかではなく言葉にも出来ないけど、主演コンビの演技が終始圧倒的な迫力だった
原題Still Humanの意味もヤバい pic.twitter.com/4iQigmdTWr
以前も同じことを呟いたけど,人間を徹底的に自然現象として捉えることは,何も人間的経験の豊かさや深さを減じることである必要はなく,むしろ自然が,私たちが普段認識しているよりも遥かに豊かで深いものだということを示そうとする試みであってもいいはず.私は後者の方向で自然主義を考えたい.
— 阿蘇の史(さかん) (@asonosakan) June 10, 2020
「アマデウス」ではマントを着たヨボヨボの老人サリエーリが、マントを投げ捨てた途端に背筋の伸びた若々しい声の壮年サリエーリにパッと変わるのが見どころで、そこは幸四郎の歌舞伎役者としての経験が生きた。「位取り」の力みたいなものだろうか。
— 千葉望 (@cnozomi) June 14, 2020
『若草物語』で三女ベスを演じたエリザ・スカンレン。彼女の『シャープ・オブジェクツ』での演技はと に か く強烈で素晴らしいので、是非見てほしい……魂吸い取られたよ……。全8話!Amazonプライムで配信されてます。https://t.co/diMcGQS9GP pic.twitter.com/F6w4XtYNbK
— フィレ尾 (@filet_o_san) June 14, 2020
個人的にグッときたのは『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』って感情がすごく伝わるというか、キャラクター達が走りたい時に走って踊りたい時に踊って動けない時にはその場で座り込むっていう当たり前の事をちゃんとやってるのが良い。映像を見れば感情に関しては伝わる作りだこの映画 pic.twitter.com/QwFZRURxep
— 地獄@7月4日(土)エデン神田にて『ネトフリとかアマプラを語るバー』開催 (@TiBlc) June 20, 2020
演技も凄いし映像技術も凄い、全てが凄い pic.twitter.com/qqFAJoHdLZ
— 最多情報局 (@tyomateee) June 20, 2020
嘘を嘘だと知りながら、その嘘を本当のこととして楽しみ、演技する。ある意味、騙されておきながらマゾヒズム的にその嘘を受容して演技を楽しむ。多分、これは高度な技術と言語ゲーム、演技力、寛大さ、逆説的な誠実さ、等々、それらがなければできないことなのだと思う。僕は過去それを思い知った。
— 橋本浩 (@hiroshin_hsmt) June 21, 2020
台本のセリフに「悲しい」と書いてあれば悲しそうな演技をする。「おはよう」と書いてあれば、挨拶の演技をする。
— 西田シャトナー伯【ジャイ マヒシュマティ】 (@Nshatner) June 21, 2020
そんなふうに、目の前の単語とか短いセンテンスから感情を拾っていると、物語の解釈をしくじります。
わかってはいるけど、いざ演じる立場になると、これをやってしまうもんなんです。
松たか子さんは綺麗だし花があるのだけど、ごく普通の人感を自然に出しキラキラした印象をすっかり消していることがよくあり、すっかり騙されて見ていたらやっぱり普通ではないじゃんと思わせるのはちょっと魔法を見ているような印象もある。
— 荻野竜也 (@amnesictatsu) June 23, 2020
「いき」の身体的発表はおのずから舞踊へ移って行く。その推移には何らの作為も無理もない。舞踊となったときに初めて芸術と名付けて、身振と舞踊との間に境界を立てることにかえって作為と無理とがある。(「いき」の構造4)
— 九鬼周造 (@kukisyuuzoubot) June 25, 2020
内側から燃えているようなMikael Nyqvistの演技、いつものことながら凄かった。
— ハトウ (@hatoubanri) June 26, 2020
#本田翼誕生祭
— 銀色のファクシミリ (@Iin5cjYdKrAm26D) June 27, 2020
『#天気の子』で声優力を見せた本田翼さんですが、個人的に俳優力を見せられたなあ、と思ったのは『#起終点ターミナル』。主人公・弁護士鷲田を頼る、孤独な女性・椎名敦子役。無邪気さの中に覗かせる過去の影と傷。佐藤浩市相手のヒロインでよくぞここまで、でした。映画自体も好き。 pic.twitter.com/IHO7Oiussm
引用させていただいた皆さん、ありがとうございました。
02.【隔月連載】演技を散歩 第二回「映画をはじめる演技」 ~pulpo ficcion
今、三浦友和をめあてに映画・ドラマをみる人がどれくらいいるだろう?
60歳代後半の男優はたくさんいる。一人で作品を背負える草刈正雄や水谷豊が稀有な存在なのだ。それに知名度ということでいえば、同年代の俳優陣の中で三浦友和はきっと上位に食い込むだろう。
が、それはそれとして、私は、これまで、この俳優の何を見てきたのだろう。『台風クラブ』の主人公、中学生たちの側に、私はすでに立ってはいないことを、尾美としのりよりもはっきり・きっぱりと教えてくれた三浦友和の、何を私は見てきたのだろう。
風の電話(paravi) 、 風の電話(クランクイン!ビデオ)
『風の電話』は危うい作品だった。追い込みがモトーラ世理奈を損ねるんじゃないか、開始20分ほど、そう感じてハラハラしていた。
これはいつか別の稿で触れるべき大きな主題なのだが、演技が身体と感情をメディアとする限り、俳優の身体そのもの・感情そのものと、<演技されたもの>を分離することは、時に非常に困難となる。また、その困難さこそ演技の特異性・特権性なのだという主張や演出も成立しうる。今は深入りはしないとして、被災し家族をうしなった(上に叔母まで倒れてしまった)主人公のハルに、あまりにモトーラ世理奈を寄せに行っていないか、この演出は。そんな危惧をいだいたのだ。
そこに現れたのが、三浦友和(演じる公平)だ。監督や三浦本人のインタビューによると、彼に対してもセリフを指定しない、俳優の生理を優先する演出がなされていたようだ。そして、三浦友和は守った。映画の現実の中でハルを、映画の製作の中でモトーラ世理奈を。
公平はぶっきらぼうで、乱暴だ。立ち入り禁止の飯場のような場所で倒れていたハルを見つけた公平は彼女を自宅につれていく。言動は田舎おやじのそれだ。体をつかみ移動させる、洗い方がなっちゃいないと手をつかんで手洗いさせる。「あかんぼかよ」「おいどっから来た」。終始命令口調の公平が、けれど、少したたきつけるような声をかけたその後の、間(ま)。その表情。
三浦友和はここで、待っている。相手の言葉を、リアクションをただ、待っている。真ん丸な、打算や悪意のない真っ黒なまなこで。返答への期待を押し付けることもせず。ただ待つことだけをしている。そして、驚くべきことに待ちすぎない。少し待つとがっかりもせず、自然に次の動作に移っていく。
三浦友和は、何かを表現しようとしない。ひたすらハルに「食え」「生きてんなら食え」「食って食って」そう伝え、結果少しでも食べさせることができ、彼女を送った夜の駅、軽トラックの中で「死ぬなよ」「はい」。そのやりとりさえ引き出せれば、それで良かったと。それだけで物語に公平が登場し、この座組に自分が参加した意味があると、そう信じているのだ。
『羊と鋼の森』で三浦友和が演じるのは、プロのコンサートチューナー(演奏会用の調律師)だ。彼と出会い調律師を目指す青年(山﨑賢人)が物語の主軸だ(上白石姉妹の愛らしさはここではぐっとこらえて触れない)。
中盤開始付近、おちこんだ山﨑が三浦にアドバイスを求めるシーンがある。ここでも、三浦は山﨑に声を届かせることだけを行っている。だから、彼の口調やそぶりは、やや説明的になる。厚塗り的になる。けれどそれは、観客に対する説明(わかりやすさ)の厚塗りではないのだ。対話する相手役、そして対面する俳優への、伝えたさ故の言い回しなのだ。その口調が、どの映画でも少し似ていることなど何だというのだ。いや、実際、三浦友和節とでもいう相手に言い聞かせるような独り言ちているような(つまりこれが三浦の姿勢だ)言い回しが厳としてあり、もしかすると、それは『台風クラブ』以来のことではと想像もするが、それもわきに置いておこう。
もし、彼が大根役者に思えるのなら、彼が他の役にどれだけ興味を持ち、声を届け、相手の声を聴きたいと思っているか、そのことに気付かない残念な鑑賞なのだ。と言い切ってしまいたい。それが証拠に『羊と鋼の森』で調律の理想として語られる原民喜の言葉を、こんな風に棒で読める俳優がどこにいるだろう。
明るく静かに澄んで懐しい文体、少しは甘えてゐるやうでありながら、きびしく深いものを湛へてゐる文体、夢のやうに美しいが現実のやうにたしかな文体
逆説ではない。言葉自体に力のある文章を、力のない俳優は、自分がそこから得たものを再現しようと「表現」してしまう。悪しき厚塗りである。相手俳優を、座組を、観客を信じている俳優は、ただ読むのだ。ひとがそれぞれの思いを乗せられるように。自分の声が届くことだけに注力して。
(うん。書いてて三浦友和のことがどんどん好きになってきた。何となく気になる俳優だったのが、裏<柄本明>みたいな存在に感じられてきた。)
『アウトレイジ ビヨンド』引退後の会長がパチンコに通う普段着のしょぼくれた姿。『DESTINY 鎌倉ものがたり』息子に「想像力という武器」を渡すときの芝居芝居した演技。三浦の演技は、いずれも映画の中で伝えることをまっすぐ目指している。まわりの全てへの信頼と好奇心と配慮がまず、だから何よりも先に立つ。
『風の電話』に戻ろう。三浦友和(公平)は、物語という現実の中で演者として、素朴でヒューマンな交流をハルと持ち、そのことでハルを救った。おそらく、のみならず、モトーラ世理奈をも救った。剥き出しの厳しい現実を<素>で生きかねなかった俳優に演技というインターフェースのまとい方を伝えたのだ。
私たち観客は、ここで一度、公平とともに舞台を去る。ハルの旅に付き合えない自分を、とどまって「食って出して」生きていかねばならない自分を自覚するから。そして、フィクションとしての映画はここから始まり、私たちは再び観客として、この映画を享受する。
『風の電話』における三浦友和は、この作品を<はじめた>のだ。作品を背負える俳優は、それこそ稀有な存在であろう。けれど、いったい、俳優が作品をはじめるシーンに一生のうちどれほど出会えるというのか。
最後はだから『羊と鋼の森』、店主が若き調律師の出発を、やや芝居がかった口調で勇気づけた一言で締めくくりたい。
きっと、ここからはじまるんですよ。お祝いしてもいいでしょう。
(そして私はAI崩壊を三浦友和目当てで観るのだ。なんという楽しみ!) ■
03.今月の編集人のチョイス
すみません。Wonder ではありません。一「押し」でもありません。けれど考えるべき問題だと感じたので、掲載します。問題の深刻さを性急な結論に結び付けないように、双方の当事者を脊髄反射的に批判しないように、どこからが構造的でどこからが属人的なのか丁寧に考え分けるように、そして私をどこか特権的な場所においてわかったふりをすることのないように。
04.こういう基準で言葉を選んでいます。その他
対象は、舞台、アニメーション、映画、ドラマ、etc、人が<演技>を感じるもの全てです。私が観ている/観ていない、共感できる/共感できないは関係なく、熱い・鋭い・意義深い・好きすぎる、そんなチャームのある言葉を探しています。皆さんからのご紹介、投稿もお待ちしています。投稿フォームも作成しました(まだ投稿数0です。アドレスが敷居高いかしら) → 投稿フォーム
第7号は7月28日発行。マチさんの連載「俳優が描くカタチ」の第二回も掲載予定です。ご期待くださいね。
連絡はコメント欄のほか、以下もお使いください。
Twitter: @m_homma 、@WonderofA (このマガジン専用)
Mail: pulpoficcion.jp@gmail.com
【引用の許諾について】
事前使用許諾はいただいておりません。公開後「引用したが問題あれば連絡ください」旨リプライしています。
最後に、マガジン、および、記事タイトルの画像は、乏しい私の画像フォルダから選んでいますが、画像(撮影・作成問わず)をご提供いただけますとありがたいです。公表して良いお名前(アカウント名)もお知らせいただけますと、明記いたします(それくらいしかお礼できませんが)。
なお、編集者の経歴が気になる方は第1号末尾をご参照下さい。→
05.編集後記
編集日が日曜になったので、今回は楽!と考えておったわけですが、時間があったらあったで、自分の原稿を推敲しすぎていいのか悪いのかわからなくなるし、今月のチョイスは載せたものかどうか何回も消したり書いたりするしと苦労しました。いずれにしろ自分の言葉が多いとどうしても「これでいいのか?」感が漂ってしまいます。ぜひ言葉をお寄せください。本当に。でないとこちらから原稿依頼に行きますよ。僕粘着系ですよ(笑)。それでは、皆さん、よい夏を!
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