失踪したことがある⑰

どうも、僕です。どうやら今回も鬱期を抜けることが出来たようだ。足掻いて足掻いて、また一つ鬱の暗く深い波を超えることが出来た。

昨夜は嫁さん方の叔父さんが遠路はるばる遊びに来てくれて、心ゆくまで飲んだ。僕の主治医の先生は嫌酒派だから「酒、ダメ、絶対。」なスタイルだけど、気の合う人たちとの酒盛りほど尊いものはない、と愛酒派な僕は思う。それは個人の宗教みたいなものだ。飲みたい人は飲めばいい。飲めない人は飲まなくてもいい。どっちも多分真実だ。

躁の波に乗る僕は、今日は朝から2現場の測量をした。何を言ってるか分からない人も多いだろうけど、一日で境界42点の復元測量は失踪以降の一日の自己ベストかもしれない。躁期の僕はやれば出来る子。

仕事の後は近所のS親分が誘ってくれて三週続けての牡蠣パーティーだった。今年の個人の牡蠣撃墜スコアは三桁行ってるかもしれない。親分ありがとう。牡蠣、最高。あと、酒盛り中の僕たちおっさんズに、先日愛の消防団をやらせてもらったAちゃんが祝い返しを持ってきてくれた。そんな気を遣わんでもええのに…、と言いながらも、その心が嬉しい。ほんまにええ子です。

前回の投稿は最悪だった。読み直してみて自分で分かる。小論文なら赤点だ。やはり鬱期は何をやってもダメみたいだ。時を待つしかない。次の躁の波を掴むための時を。波に乗れたら何でも出来そう。波に沈む時には何にも出来ない。どっちがマシなんだろう。どっちもごめんだ。普通が一番尊い。皆さん、普段の普通の生活を大切に。

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一路、某砂丘を目指して進み始めた僕らの車は順調に目的地に向かっていた。追われる立場の失踪者の時には、遙か彼方イスカンダルにも思えた目的地は、正規の道のりならこんなにも容易く近づいてくる。車内が沈黙しない様に気遣って話しかけてくれるみんなの優しさが痛かった。

道中何事もなく、無事に某砂丘にたどり着いた僕たち。あんなに来たかった場所なのに、自力で来れなかった無念さは魚の骨の様に喉に刺さっていた。

さて、まずは何だ。そうだ。嫁さんとの約束(一方的)があった。一発殴られなきゃいけない。僕たちは駐車場から砂丘へ登り、衆人環視の中、嫁さんから殴られる僕という見世物が始まった。スマホのカメラを構えたOさんのGOサインがかかる。開幕のベルが鳴る。

嫁さんは運動が苦手なタイプだ。頬を差し出して40センチある僕たち夫婦の身長差を埋めるべく、殴りやすい様に身をかがめた僕に助走をつけて殴りかかってきた。足元が砂場とはいえ助走が甘い。踏み切りが甘い。腕の振り方がおかしい。拳の握りが甘い。来るべき衝撃に備えていた僕の頬をそよ風が撫でた。

嫁さんは運動が苦手なタイプだ。隠しきれないみんなの苦笑に包まれた僕たち夫婦は、曇天の砂丘で顔を見合わせて、少し、笑った。

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