失踪したことがある⑫

令和二年だ。前回の投稿から半年近く経ってしまった。話のネタはたくさんあったが、ありすぎてむしろ投稿から遠のいてしまった。

中でも一番大きな出来事は父が死にかけたことだった。昨秋に風邪だと言って伏せっていた父だったが、ある早朝に僕の母がいきなり「お父さんが死ぬぅッ!救急車を呼べ!」的なことを叫びながら部屋に入ってきた。

僕は朝に弱い。毎夜大量の精神安定剤やら睡眠導入剤やら飲んでいるから、早朝は本当にクルクルパーである。しかし母の様子がただ事ではなく、クルクルパーの状態ながらすわ何事かと着替えて下の事務所まで降りてみると父がぐったりしている。

数日前から父が風邪気味だと聞いていた僕は大げさだな、と思いながら救急車を呼ぶ家族の様子を見ていた。僕の住む甲奴町のカーター通り(田舎町のメインストリート)の人々は救急車に敏感だ。搬送される父の姿を見ながら、町内の人たちに後であれこれ聞かれそうだな。そう思いながら救急車の後を車でついて行った。

病院へ到着してしばらく、まだ薬が抜けきってなくて、待合室でウトウトしているうちに父の最初の検査が終わり、家族で先生から説明を受けた。

「おそらくマダニの感染症です。かなり状態が悪い。重症化すれば三割で死にます。」

「マジで!?」心で叫んだ。三割を甘く見てはいけない。プロ野球選手でも三割打者は一流だし、シミュレーションゲーム好きな僕は命中率三割がどれだけ当たりやすいかを知っている。

この時点で初めて父が危篤だと理解して、眠気でボーっとしていた頭が稼働し始めた。えっと…、どうしよう?とりあえず入院が決まり、母たちが入院の手続きをしている間に帰宅した。父が危篤でも仕事は溜まっている。

その日から一週間ほどは危ない状態が続いていたので、母たちは毎日見舞いに行っていたが、僕は普段通りの生活を送っていた。夜に急変する可能性があるとのことだったので、夜中に電話がかかってこないことを祈っていた。もしもの時には喪主になるだろうから、挨拶を考えたりもしていた。父が死んだら廃業しようかな。そんなことも考えた。

父の病名は日本紅斑熱だった。マダニが媒介する病気でイノシシや鹿が出る地域ならどこでも感染する恐れがあるらしい。ニュースでマダニの媒介する病気の死者を見ることはあったが、身内でこんな体験することになるとは思いもしなかった。

大まかに日本でマダニが媒介する病気は三種類あり、父の場合は最近よく効く薬が出回ってきたらしく、投薬が始まって一週間ほどしたらみるみる状態が良くなっていった。

幸い父は回復し、今はまた仕事にも復帰したが、基本的にうちの事務所は午前中にしか開けないことになった。午後の父は書類作成したり、休んだり。僕は午後からは溜まっていた測量に出ることが多くなっているからだ。

仕事のスタイルは変わったが、有り難いことに仕事の件数はむしろ増えている。何故なのかは僕には分からない。

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「迎えのご家族がお見えになりました。」

眼鏡さんが応接室に伝えに来てくれた。いよいよこの時が来た。さあ、どの面下げて家族に面会しよう。失踪者にしか分からない気持ちが胸の内でうねうねと広がっていく。

廊下に出る。目を上げると今一番合わせる顔がない家族がいた。

「ヒロくん!なんでこんなことしたん!?」

詰め寄る嫁さん。その胸には抱っこヒモに入ってこちらを見つめてくる一歳になるかならないかの息子。息子よ、そんな澄んだ目で僕を見てはいけない。僕は駄目な父だ。

父母たちは何も言ってこない。逆にその胸の内が伝わってくる。この世にはなんと雄弁な無言のあることか。

「ヒロくん!Oさんたちが一緒に迎えに来てくれよるんよ!」

嫁さんが言う。

「ファッ!?」

完全に想定外である。ちなみにこの日はド平日。みんな大事な仕事を休んで隣の県までこんな僕を迎えに来てくれている…。

ああ…穴が、大きな穴が欲しい…。こんな駄目な巨漢が入れるくらいの大きな穴が。

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