失踪したことがある①

春だ。新しいことを始めるのにいい季節だ。先週あった三次市長選挙も終わり、連休を前に一息ついた感じ。「最後かもしれないだろ?だから ぜんぶ話しておきたいんだ(byティーダ)」という気持ちで徒然を綴る。

親しい人は知っているだろうが、2017年2月、僕は失踪した。翌日早朝、隣の県の海岸沿いのガソリンスタンドで愛車の軽バンに乗っているところを警察に確保された。当時死ぬほど思い詰めた末の逃走劇はあっけなく終わった。

なんでこんなことになったのか。失踪の原因はさておき、スピード確保の原因は間違いなく嫁さんである。僕が音信不通になってから数時間のうちに、嫁さんは隣家のOさんに助けを求めた。Oさんは素早い。消防団の仲間に連絡し、普段からお世話になっているS先生に助けを求め、嫁さんと共に警察署に乗り込んだ。僕が失踪する際にシミュレートした最悪のパターンである。

最初はよくある失踪事件として処理されようとしていた僕の逃避行は、警察署で待たされていた嫁さんたちにS先生が合流したことでアッという間に追い詰められていた。日本警察のシステムはすごい。後で聞いたところだが、失踪当日の夜に隣の県にたどり着いていた僕は、その日の内に警察に補足されていたらしい。

そんなこととはつゆ知らず、失踪初日を乗り切ったと錯覚していた僕は、とあるPAで独り祝杯をあげていた。酒は午前中に地元のコンビニで買った濁り酒である。

季節は2月、中国地方はまだ寒い。夜の空は晴れて、放射冷却でグングン冷えていく中、僕はPAのトイレの個室で洗顔ペーパータオルを使い、体の汚れを拭った。僕は途中で立ち寄った大型スーパーで買った、こたつ敷き布団(二千円)にくるまって車中泊をした。

明日海を見に行こうと思った。

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