失踪したことがある⑳
日中はすっかり春の陽気だ。この投稿を始めてからもう一年近くになる。この季節は僕のような食べ物採取が好きな者にとっては天国だ。気の早い流通業界のおかげで今日のお昼はタラの芽の天ぷらを食べた。先日のメバルといい、これで3月はもう口の中に入ってしまったことになる。
仕事終わりにH地区の無人販売所を覗きに行ったら、ふきのとうが寂しそうに待ってくれていた。百円玉と引き換えに一袋持って帰ってふきのとう味噌を作った。酒飲みならこれを舐めながら三合はいける。
素材の持つアクの強さをも美味しさに変換する。昔の人たちの創意工夫は現代人の舌も喜ばす。調理という人間にだけ備わった特殊能力は本当にすごいものだ。これから始まる山菜好きにとっての黄金の季節はまだまだ続く。
仕事中に道を行くとそこかしこに菜の花が咲いている。菜の花も大好物だ。特に辛子和えは手軽に作れて最高だ。数年前までは道端で目に付いた所から採取していたが、ある日近隣住民に勝手に採るな!と叱られてからはよそで採るのを止めた。自分のところで生えてたらいくらでも採れるのに、と思って、道端の菜の花が枯れる時季を見計らって引っこ抜いてきて、休耕中のうちの畑に細かくまいておいた。これで来春から菜の花には困らないはず、と春の訪れを待っていた。
次の春、周りの菜の花が咲き出したのを見てうちの畑のことを思い出し、様子を見に行った。あった!黄色い花が咲いている。移植に成功したと小躍りしながら近くに寄ってみたら、菜の花に似た良く分からない花が待っていた。葉っぱにトゲがあり、固い。とても食べられそうじゃない。誰だ君は。
「フハハハハ…、すり替えておいたのさ!」
どこからかそんな声が聞こえた気がした。あまりのショックにそれから菜の花は店の産直コーナー等で買って食べている。ままならないものだ。
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人が、多い…。店の中は先輩、後輩、同級生、上は五十代から下は二十歳そこそこぐらいの僕の友人たちでごった返していた。想定していた倍くらいの人数が集まってくれていた。
「おかえり!」「よう帰ってきた!」「良かったのう!」
次々に声をかけてくれる。これでも心配をかけた人たちのほんの一部なんだろう。苦しくなる胸の内を見せまいとして、おどけて敬礼しながらこう言った。
「恥ずかしながら、帰ってまいりました!」
小野田少尉である。同級生のOが真面目な顔で言う。
「ちゃんと、せえ。」
アッ、ハイ。「この度は誠にご心配おかけして、申し訳ありませんでした!」
僕の飲み物が来てから、再度帰還のご挨拶をした。みんなグラスが割れんばかりに乾杯してくれた。申し訳無さすぎて、既にカラカラだった喉にビールが沁みた。各テーブルを周りながら、みんなに謝っていく。
「わしゃあ、現実逃避に釣りに行っとるんじゃと思って、ヒロタカの釣り具のチェックをしたんじゃ!」
「何遍も同じ道を行ったり来たりして探したで!」
「僕の消防団での初めての出動は、福品さんの捜索になったんですよ!」
「よう帰った!次はないで!」
「わしも一緒に連れて行ってくれりゃ良かったのに!」
みんな笑顔で探索当時の様子を教えてくれる。謝りながら、素直に嬉しく思った。ああ、僕の帰りを待ってくれている人たちがいる。こんなにも。
ひとしきり飲んだ後、誰かの見送りか何かの拍子に、同級生のOと店の外へ出て二人きりになった。僕とOは保育所時代から三十年以上の付き合いだ。お互いの結婚式で友人代表のスピーチをしている。
「おまえが…生きとって…本当に良かった…」
…泣いている。僕のせいで、泣かせてしまった。こいつだけにはこの場で伝えておこうと思った。
「わし、本当は、自殺しようとしたんじゃ。でも、出来んかった。」
僕も泣いていた。いい歳した二人でしばらく泣いた後、二人でまた店の中に戻っていった。
失踪したことがある。おしまい。
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