アンデルセン『絵のない絵本』

アンデルセン。人魚姫やマッチ売りの少女を代表作にもつ、デンマークの作家である。誰もがアンデルセンの作品のいくつかについてあらすじを知っているだろう。童話作家として、いまも人気が高い。
有名な作品がいくつもあるにも関わらず、わたしが一番好きなのはそれらではなく、『絵のない絵本』。
絵のない絵本って、なぞなぞみたいな不思議なタイトルだ。わたしが手に取ったのも、絵のない絵本ってどういうことなのか、知りたかったから。
内容はこうだ。とある町の部屋にひとり貧しい絵描きが住んでいる。その部屋にさしこむ月の光。月は絵描きに、自らが世界をわたる間に見てきた風景を語りかける。毎夜語られる短いその話のひとつひとつが、美しく豊かな言葉でつづられている掌編集である。
語られるその風景の美しいこと。イメージすれば、その光景が目の前に立ち上がる。まさしく、絵のない絵本だった。
これはアンデルセンの描写、美しい言葉選びによりなされるものである。知名度は低いけれど、これはアンデルセンの魅力をぐっと濃縮した作品なのである。
絵のない絵本のなかにみられるアンデルセンの心象風景は、わたしのそれと共通している。もともとから持ち合わせていた部分もあり、これに陶酔するあまり、染められていった部分もある。アンデルセンの物語が、読む者がわがものであると思わせるような能力を持ち合わせているとも言える。
アンデルセンの生涯がどのようなものであったか、詳しくは割愛するが、彼の心持ちは、世界の童話作家という肩書きの輝かしさとは違った。作品には、そのかげりが見え隠れする。それとひとつなぎのふたごのように、自己の精神世界の豊かさへの確信も存在する。この揺れ動きには結論がつけられることがなく、懸命に生き抜こうとする人間のそれそのものだ。その点もまた、わたしがアンデルセンに惹かれてやまない理由である。
『絵のない絵本』は、あらゆる出版社からあらゆる版、訳で出ているが、わたしは新潮文庫の矢崎源九郎訳をすすめる。

ちなみにこの作品は、一話一話を第一夜、第二夜と数える。わたしが一番好きな夜は、秘密だ。

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