つまらない高校生活、昭和への憧れ

高校生のころ、テスト期間なんかで昼に帰れると、わたしは嬉々としてテレビを観ていた。同級生たちがおそらく笑っていいとも!を観ている時間帯に、わたしが観ていたのは小津安二郎の映画。なぜだかそのころ、真っ昼間のBSでひたすら小津安二郎をやっていた。
ただ、どの作品を観たかと聞かれても、作品名は覚えていない。あらすじも覚えていない。というのも、わたしが観ていたのは、昭和の暮らしだったのだ。(偉大な映画監督の作品に対して失礼な話だ。)
経済的には今の時代のほうが豊かなはずだけれど、わたしには昭和のそれらがとても良く見えた。
同じころ、『黒髪と化粧の昭和史』(岩波書店,廣澤榮,1993)という本をよく図書館で読んでいた。昭和の女性の髪型やファッションの変遷から、時代や文化を読み解いた本である。わたしはこの本のモガの写真を気の済むまで眺めていた。村ではじきものにされても、己のファッションを貫いた女性のエピソードを繰り返し読んだ。

わたしにとって、高校はとてもつまらない場所だった。人の価値とは数字でしか表されない。勉強は人に勝つためのもの。地位と賞賛こそ人生。そんな高校で、まったくなじめなかった。なにかに飲み込まれそうで、飲み込まれたくなくて、でもその''なにか"の正体はわからなかった。わたしはわたしの豊かさを追い求めていた。でもそれがどこにあるのか、なんなのかは、やっぱりわからなかった。
けれど、わたしが虜になったこれらの作品には、そのなにかがある気がした。
丁寧に生きること。時代に手懐けられまいとする人々の気概。それらがかっこよかったのだ。

こんなことを考えて立ち止まっている人間は馬鹿にされる。流されれば楽に進めるのに、わざわざもがいて泳ぐ。

その抗いをはじめたころの、青い憧れの話だ。

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