見出し画像

千葉県習志野市実籾散歩:実籾城址〜屋敷近隣公園〜天津神社

実籾本郷公園を後にして
公園入口にある大宮神社
入口でお辞儀をして先へ歩きます

住所表示は実籾本郷ですが
電信柱の「武石」を見て
南方面には武石千葉氏の武石城や
馬加康胤の馬加城があります

道の脇に佇む小さな祠

実籾城址を目指して歩き進むと
道はだんだん細くなり
谷津田が現れました

実籾城址
こんもり林が実籾城址
鉄塔が建ってるので入口が何処かに
ありそうですが激薮なので無理せず
中へ入らず遠目からの眺めです
パークゴルフ場は昔は谷津田か
沼地だったのでしょうね
砦的な規模だったのでは?という
記載ありますけれど
周囲を歩いてみると川や
沼地に囲まれて城としての
立地条件は良かったのでは?
と勝手な想像です

妙見神社
個人宅敷地内にあるようなので
遠目から撮りました
実籾本郷は千葉氏家臣達が
土着して村を作ったという
伝承あるそうです

屋敷近隣公園
かつて治水対策としての調整池
(屋敷遊水池)でしたが
千葉市の下水道整備が進み
近隣公園として造成されたそうです
気になる地名の「屋敷」の由来は
馬加康胤の屋敷または千葉氏家臣達の屋敷があったという伝承から

広場や植樹があり
心地よい散策路です

屋敷近隣公園を過ぎると
一面のにんじん畑🥕

天津神社近くにきました
お城の匂いプンプンする道です

天津神社
石段を上がった高台に
本殿と拝殿があります
鳥居の脇にある如意輪観音様🙏

石段上がる途中
自然の崖面か?切岸にも見えます

本殿
小ぶりですけれど立派な本殿です

月星の紋
千葉氏繋がりの神社ですね

天津神社の由来記
馬加城築城中、この地に馬加(千葉)
康胤が屋敷を構えたと伝わります

鎌倉時代初期、父千葉常胤から
継いだ武石郷を胤盛と胤信兄弟は
仲良く分け合ったと伝わります
胤信は大須賀保を与えられ移住
大須賀氏となりました

のちの時代、大掾満幹の養子に入った
千葉満胤の庶長子康胤でしたが
何故か大掾家から戻り馬加村の地を
与えられて馬加康胤と名乗りました
いつしかこの地域を支配する様に
なったようです
武石千葉氏はその配下となったか
または別の主の下へ去っていった
のかなと勝手な想像です

天津神社の境内
富士塚もあります

土塁の名残では?
勝手な想像です

高台にあり周囲を見渡し
馬加城方向も見えます
城または見張り砦などを
築くには良い立地と思います

境内の脇に咲き始めていた
紫陽花でした🌿

#屋敷近隣公園
#実籾城址
#天津神社

いいなと思ったら応援しよう!