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独立特区 「子育区」

 #創作大賞2023  #オールカテゴリ部門



子供不要問題


2030年、いよいよ少子化に歯止めが効かなくなってきた。

それだけではなく、子供や親にさまざまな精神疾患が急増している。

学校現場では不登校者も毎年のように増加し、策は打つものの効果は現れず、どの学校も教室はいつもがらんとしていた。
フリースクールやネットの学校も認可校が増えたことにより一切、学校に通わなくても卒業資格がもらえるようになってきたが、このことにより「義務教育」の意味はなくなりつつあるような状態だった。

成人の方も問題は山積していて、まず、婚姻率の低下、婚姻しても子供を望まないと回答するカップルが7割を超えていた。
その理由としては「金銭面」「責任」「支援が少ない」なども上がったが圧倒的に多かったものは、「自分の時間がなくなる」ということだった。
そのほかにも、共働き率は90%。その中で、育児休暇の取得が当たり前になったことで、夫の育児参加率が上がり母親が一人で育てることを意味する「ワンオペ」は古い言葉になっていた。
働き方の多様化で、好きな場所で生きる選択をできる環境も整ってきていた。

しかし、そんな一見好条件が揃ったような状況にもかかわらず、うつ病発症率の増加、育児放棄、虐待、自殺、親子間殺人など、連日、目を覆うようなニュースは世間を騒がせていた。



あるアンケートで
「子供は欲しいですか?」
「自分の子供は可愛いと思いますか?」
という質問に「YES」が30%を切る結果が出たと大きく報道されていた。

街角でインタビューに答えていた
女子大学生は
「子供は怖い〜。わがままだし、汚いし……周りを見ても子供を産んで幸せそうな人いませんよ。ただただ疲弊して自分の時間削って、苦労するだけでしょ。うちの親でも言ってます。
『子供はお金がかかって仕方ない』って。そんなにお金をかけて育てても、大人になったらもう関係なくなるし……
なんかそんなの意味なくないですか?だから私は要りません。」とはっきり答えていた。

30代の夫婦は
夫「子供ですか?うちは作らないことに決めました。お互いの両親も以前は孫のことをうるさく言っていましたけど、納得してくれたので一安心です。」
妻「理由ですか?共働きだし、平日は遅くまで仕事なので、保育園の時間には帰宅できないですし、趣味の時間を削ってまで自分を犠牲にしたいとは思いませんね。今が楽しいんで、それで十分です。」

50代女性は
「うちは二人子供がいますが、成人するまでに5000万以上教育費がかかりました。子育てが終わった時はホッとしました。
共働きで育てることは本当に大変でしたが、共働きじゃないと教育費は払えなかったと思います。
今は、子育ての支援ががどんどん良くなってきていますが、去年結婚した娘は、子供はいらないと言っています。
近くに住んでいますが、私も仕事をまだ続けますし、孫の面倒を見てと言われてもちょっと難しいですよね。
だから娘が子供を作らないと言ってた時は、反対はしませんでした。どちらかと言うとありがたかったです。」


政府内でも考え得るあらゆる手を尽くしてきた。
助成金も出産費用全額免除に加え、保育園から高校まで教育費・医療費無償化、子育て世代に住宅補助など、ありとあらゆる手を打ち産んでもらおう、育ててもらおうとしてきた。
が、出産率が増えることはなかった。



そんな中、ある小さな町の小さな活動がネットで噂になった。

その町は唯一、出産率が毎年上がっている自治体だった。

ネットの情報によるとその町は、製造業が盛んで24時間稼働する食品や医療品工場な色々な分野の工場が数件集まっていて、働き手が足りないほど活気があるそうだ。
人口もそう多くないその町でそれだけの求人を賄うことは、容易ではないと素人目でも想像がつく。がしかし、その町では労働人口の増加も著しく、なぜか若者から高齢者まで喜んで生き甲斐を持って働く人が、多数を占めているということだった。

この現代の日本において、生き甲斐を持って働く労働人口の増加、その上、出産率も上がっている……

この二つの謎が話題になり、ネットを騒がせていた。



小守町


小守町でも1970年代を境に人口が減り続け、一時は子供が減り、高齢者だらけの過疎の町と化していた。
2000年には町に大小7つあった小学校のうち2つが閉校となり、2つの中学校が一つに統合される話が出た。
それと同時期に、ある食品メーカーの工場建設候補地に小守町の名が上がった。
この町ではこれまで、そのような浮いた話は一度もなかった。

思い当たることがある。

来年度から着工する高速道路が、隣町まで伸びてくることが決まったからだ。
これで陸の孤島だった小守町も便利になると、町長がとても喜んでいたのだ。

このことにより、近隣の市や町に比べ土地の安い小守町に白羽の矢が刺さったのかもしれない。


その食品メーカーは、誰でも知っているような有名どころで、町としては大歓迎で担当者を迎えた。
視察に来た食品メーカーの担当者の感触も、悪くないものだったようだが、工場の規模を悩んでいるようだった。

小守町役場の明日場課長がこの件の担当になった。
町長から『なんとしても小守町に工場を建設してもらうように!』ときつくきつく言い渡されていた。


明日場は小守町で生まれ育った。
幼い頃から賢く、小守町から東京の大学に行った唯一の人物だった。
東京で就職したが、父親が倒れたことで母親の願いを聞き入れ小守町に戻ってきたのだ。
明日場の父親は、この町唯一の産婦人科病院の院長だ。
明日場自身は医学ではなく都市計画の分野に興味を持ち、就職もその分野を活かせる会社に入社していた。
仕事は頑張っていたのだが、同じ小守町出身の妻の勧めもあり、子育てしやすいこの町に戻ることを決めたのだ。

幸い父親は、仕事に復活できるほどに回復し、明日場自身に病院経営を任せようと思っていたが、今のところその必要もなくなっていた。

そこで、都市計画を学んだ明日場は、この過疎化した町をどうにかしたいと、役場勤めをすることになった。


4回目の視察の日が来た。
候補地は小守町のほかに2箇所あるそうだ。

食品メーカーの担当者の丸山さんから「今回は社長が同行します」と前もって話があり、役場は緊張に包まれていた。

丸山さんが運転する車が到着し、食品メーカー社長と町長会談が始まった。
もちろん、丸山さんも明日場自信も同席した。

「小守町は良いところですね。空気が綺麗だ。あの山々のおかげで水がいい。
気温も一年中安定していて、うちの工場を作るには最適な場所ですよ。いやー実にいい。」と食品メーカーの社長が口火を切った。

「そう言ってもらうと嬉しいです。こんな田舎ですが、この町のもんはみんなこの町が好きなんです。
ここにいる明日場くんも東京におりましたが、戻ってきました。
実に頼もしい男です。
一時期は年寄りばかりになっていましたが、この明日場くんのようにUターンしてくれるもんがここは多いんです。
ずいぶん昔は、ここは峠越えをせんといかんような、交通の便の本当に悪いところだったんですが、トンネル工事をしてもろうたり、今度は高速道も近くまで来るもんで、都会に行きやすくなりました。
陸の孤島って呼ばれておりますが、昔は忍者が住んどるんじゃないかって言われてたくらい、他との交流が閉ざされておりました。
だから住人同士助け合って生きてきたんです。そうじゃないと生きて来れなかったんですよ。」町長は嬉しさが迸っていた。

食品メーカー社長も目をキラキラさせ、「そこがいいんですよ、うちの丸山がこの町の人達に惚れ込んだんですよ、なあ、丸山。」

丸山さんも照れながら
「はい、今回で4度目の訪問ですが、この町の皆さんの優しさは今まで味わったことがないくらい深いです。いつも泊まる施設は皆さんに本当によくしてもらって、もう実家のような感覚です。」

「そうですか、そりゃよかった。ここではみんな家族のような気持ちでいますよ。
よそから来てくれた人には、こんな田舎に来てくれて本当にありがとうってみんな歓迎するんです。それが当たり前だと思って育ってきましたから。」
「明日場くんの実家は産婦人科なんですが、赤ちゃんが産まれたら町中でお祝いになるよな。人が好きなんですよ。ここにも『人が財産』と書いているでしょ。」と町長ご自身が掲げた町のスローガンが書いたポスターを指差して自慢げに語った。

こんな朗らかな話が進んでいく中、食品メーカーの社長の表情が突然変わり、
「町長、本音を言えば、今回の工場は小守町にお願いしたいと思っているんです。」と口火を切った。

「おー」と町長と明日場は喜んだ。

「しかしです。」と社長が続けた。
「今回計画している工場の規模は、かなり大きなものを想定しているのです。そのためにうちの工場で働いてくれる求人数が、この小守町の人口では賄いきれないと考えているんです。」

明日場は丸山さんからこの話を先に聞いていたので、町長に相談し対策案を用意していた。町長の合図で、この場で用意していた提案をさせてもらうことになった。

内容は、工場の稼働時期迄に町民増加計画を実行するというもの。

丸山さんによるとこの工場は24時間稼働させるために3交代制になる、工場の作業自体は簡単なもので、女性でも高齢者でもできるもの、学歴はほぼ不当。
やる気があれば、現地の社員採用も大いにあるということ。給料もこの町の所得や近隣同業に比べても遥かに良かった。
工場の規模については、人が集まるかどうかで、段階的に増設していくという案もあるということ。

この話を聞いて、明日場は小守町の人口増加の起爆剤になるっと期待を抱かずにいられなかった。
やっと自分が学んだ都市計画がこの町で生かされると、これまでの道のりに感謝した。

明日場の提案は工場稼働までの2年間で、新たに労働人口を300人増やす、というものだった。
過疎化が進む小さな小さなこの町にとって、この提案は簡単なものではないことは明らかだった。


労働人口


「えー、この度は、この小守町を工場建設地候補に選出していただき、心より感謝申し上げます。我が町としましても、全力でお応えすべく今回このようなご提案をさせていただくこととなりました、どうぞよろしくお願いします。」
緊張した面持ちで明日場が話を始めた。

「この小守町は2000年現在、人口が2万人を切っており、そのうちの労働人口、つまり15歳から65歳までの比率は52%ほど、65歳以上の高齢者が
38%ほどとなっております。世帯数は9000世帯弱というところです。
町の主要産業は農業・林業・木材加工業などです。
これらに従事しているのは殆ど高齢者または女性で、残念ながら多くの家庭では、稼ぎ頭である世帯主は当町では望む収入を得ることができず、いわゆる『出稼ぎ』に出ざる得ないというのが現状でございます。」

「まず着目すべきは、この『出稼ぎ』に出ている稼ぎ頭である世帯主の存在です。
はっきりとした人数を町役場としては把握をできておりませんが、『出稼ぎ』の風習は、この小守町では古くから続いております。
当たり前のように若い男たちは、町の外に出て収入を得て家計を支えてきました。主要産業のなさが、そう言った習慣を作ってきました。」
「これは私の同級生の話ですが、彼は隣の県で自動車部品の工場勤務をしております。今回御社よりいただきましたお話と同じく3交代制で働いています。
住まいは勤めている会社が用意してくれた寮に暮らしており、寮費などの生活費は給料から天引きされているので、もらう給料のほとんどを仕送りしているそうです。金額を聞いたところ15万円から20万円の間を仕送りしているということでした。夜勤の量で給料が変わると言っていました。」
「自宅には両親と奥さんと子供が3人。幸い父親が現役で森林組合で働いているので、なんとか暮らしていけるそうですが、それがなくなると生活不安が大きくなり、今後どうしたら良いかと考えていると話してくれました。」
「この家庭の奥さんと母親は婦人会主催の食品加工の仕事をしていいます。
公民館に集まってよもぎ餅や赤飯などを毎朝作り、隣町の道の駅で売ってもらっています。
売れ残ることはほとんどないほど人気だそうですが、収入は僅かだと言っていました。他に畑と田んぼもやっています。
内職もやっていると言っていました。家を建て替えたローンや車のローンもあり、子供3人の教育費など不安が多いようでした。」
「私個人の印象ですが、この町の人はとても働き者です。
どんな仕事でも『ありがたい』と言って一生懸命に働きます。
先ほどお聞きいただきました隣町で働いています同級生も、家族離れて暮らすのは大変だが、働く場所があることは本当にありがたい、と何度も言っておりました。それ加え、助け合いの精神が根強いことが一番の特性だと思っています。
いつでも子供を預ける場所があるので母親たちも安心して仕事ができるんです。」

「いつでも子供を預ける場所とは?」と食品メーカーの社長が聞いた。

「はい、手前味噌ではありますが、私の実家である産婦人科の隣に丸山さんが宿泊された施設がありますが、そこは『結』という施設でいつでも誰でも使える大きな実家のような位置付けの場所なのです。」

「へー、そうだったんですか?!」と丸山さんは驚いた様に声を上げた。

「そうなんです、昔から出稼ぎの文化が根強いもので、夫不在で子供を産むことはザラにありました。
そこで、最初は出産後のケアを1ヶ月ほど出来る施設としてスタートしたのですが、産まれた子供の世話をしたい人が大勢いて、かわるがわる人が集まるようになったんですよ。
元々『子は宝』という考えが深いもので、地域の誰かがいつもそこにいて困った人のお世話をする、そんな場所になっていったんです。」

「最近はこの町の住人ではないけれど、このシステムに賛同する妊婦さんや、望まない妊娠で困っている妊婦さんや他にも里子に出すことが決まっているような出産など、サポートが必要な妊婦さんも多く集まってきています。
これらは私の父の発案で、すべての妊婦さんや赤ちゃんを守りたい、小守町に住みたいと思う人が増えたら…との思いからもう30年続けている活動です」

パチパチパチ食品メーカーの社長が拍手をくれた。「本当に素晴らしい、こんな場所がまだ、日本にあるなんて……いやー実に感動しました。」


「ありがとうございます。そこでです、ここからが本題なのですが、労働人口を300人にという目標です。一つ目は、出稼ぎに出ている稼ぎ頭をUターンさせるということ。こちらは現状より収入が上がることが必要となるかと思います。」

「明日場課長、それはお約束できにくいのですが……」
焦った丸山さんが口を挟んだ。

「はいっ、そうですよね、もちろん収入というのは世帯収入をということで…すみません、もう少し聞いてもらっていいですか?」
「それでです、夫一人が働くのではなく、夫婦そしてその親世代、要は高齢者までぐるっとみんなで社会を回して豊かになる社会が作れないかと考えたわけです。」
「これは、小守町として御社様と手を取り、共存共栄の仕組み作りと、貧困、少子化、高齢者問題などのあらゆる社会問題を解決するモデルケースになり得るのではないか、というご提案でもあります。」


食品メーカーの社長も担当者の丸山さんも首を傾げ、口をあんぐりしていた。



「急な展開で、驚かれたと思います。私共、小守町でも御多分に洩れず、人口減少を大変杞憂しており、先ほどお話しいたしました『出稼ぎ』問題についても、住人の苦労を減らす方法はないものかと、日々模索しておりました次第です。」
「そんな中、今回このようなお話をいただき重ねて感謝申し上げます。」

「我々は、この先2年間で『結』の施設を充実させこちらも、24時間体制で稼働させようと言う案が上っております。
工場勤務に際して子供の預け先で困らぬような受け入れ体制が整えることで、若い夫婦共に工場で働くことができる。
高齢者は工場または『結』の施設で働くことができる。畑で作ったものを『結』に売って工場勤務者のための弁当を作ってもいい。」
「このように御社の工場建設が決まった場合には、新しい社会モデルとして『大きな実家』『大きな家族』として小守町自体も稼働できるのではないかと考えたという訳です。」

「もちろん町外からの移住も大歓迎です。空き家プロジェクトが昨年から稼働しておりまして、こちらもUターンで戻ってきた建築やリフォームを学んだ若者数人と役場が手を取り、古家を改築し入居者を募集しております。
この活動を基盤に据えて、多くの移住者の受け入れ体制も整えていきます」

明日場は一気にここまでを話した。

3人の顔を見た。
困惑はしているものの、なんだかわからないワクワクするものに胸を打たれた様子の3人の顔がそこにはあった。

明日場と町長、そして丸山さんの3人の目線は社長の開口一番の言葉に集中していた。

「いやー明日場くん、素晴らしいプレゼンですな。内容も素晴らしい画期的なものです。こちらにおいておくのが勿体無いくらいの人材です。
転職の予定がありましたらぜひ弊社へお願いしたいものです、ハハハッ」
「なるほど、求人の面を懸念していましたが、新しい社会のモデルケースになる大きな事業まで発展するとは、全く感心しました。
いやー本当にこの件はここでしか試すことができない貴重なものだと思います。
今の日本の社会問題にも大きく切り込むことができる壮大な実験になるやもしれませんな、ハハハッ」

「わかりました、前向きに検討させていただきます。この件を役員会議でプレゼンしていただくことは可能かな?その際は改めて連絡させていただくよ」

こう言って社長と丸山さんは帰って行った。


その日の夜は、町長や役場の仲間が集まり、すでに工場建設が決まったかのような飲み会が行われた。
明日場自身も思いの丈は概ね伝えられた手応えを感じていた。
準備を手伝った明日場の部下の榊原や、他の同僚たちにそれはもう鼻高々、明日場の提案の様子を熱く語る町長の顔は赤く高揚していた。それはお酒のせいだけではなかった。
この夜の酒は、明日場にとっても格別だった。
この提案は役場の全員のいや、小守町全体の希望になる。
まだ内内の話だが、噂が広がるのはあっという間だった。



インタビュー


数日後、食品メーカーの丸山さんから正式に役員会議での説明依頼が来た。
準備は万端だ。
なんと部下の榊原を筆頭に町民課メンバーで、町民へのインタビュー動画を作成していた。
このことは明日場には秘密裏に行われていた。榊原が「明日場課長を驚かせよう」と同僚達に声をかけ、動いていたそうだ。
町民がどれほど工場誘致に期待しているかを、声にして食品マーカーのお偉いさんにぜひ聞いてほしい……町民課のメンバーも、町の人たちも居ても立ってもいられずに、署名にしようか、いやそれでは届かなだろうと、あれやこれや模索して、数人のインタビュー動画を撮るということになったそうだ。

数日の間に良くまとめたものだと、町長も明日場も感心した。
町内紹介が最初に流れ、その後に町民代表の3組のインタビューが続くというものだった。



インタビュー1番目は、食品メーカーの社長訪問の際に明日場が話にあげた明日場の同級生の田村だ。田村は隣の県に出稼ぎに行っている。
田村の勤め先である自動車部品工場の寮内で、インタビューが行われていた。

「それではインタビューを始めます。こちらは小守町の田村さんです。
田村さんはこちらの自乗車部品工場に出稼ぎに来られています。
本日はそちらの寮の許可を頂き田村さんの居室でインタビューをさせていただくこととなりました。それでは田村さん、よろしくお願いします。」
榊原の勢いのあるインタビューが始まった。

「ではまず、出稼ぎは何年目になりますか?それと、ご不便はありますか?」

「はい、8年目です。
不便というか辛いことなんだけど、一番は家族と離れとることです。
子供達の成長を近くで見れんことや、学校の行事も参加できんのでそれが辛いです。家の田んぼや畑仕事も親と嫁に任せっぱなしで、申し訳なく思ってます。」

「収入の面はどうでしょうか?」

「今は15万から20万くらい仕送りしてます。最初の方は13万位でした。
うちは父親が働いてくれてるもんで、助かってます。
でも定年が近いもんで、その後のことはどうするか悩んでいます。
嫁も働き者なもんで働き口があったら働きたいと言っています。」

寮の居室は狭く簡素な様子が映像から伝わり、家族のために節約をしている様子が一目瞭然だった。


2番目は若いママさん3人組だ。
「みなさんこんにちは。皆さんはお仕事はされていますか?」

A「私は婦人会の手伝いをしています。餅や赤飯を作って隣町の道の駅で売っています。子供が3人いるもんで子供らは『結』の施設にみてもらっています。
『結』は交代制だから毎日婦人会の手伝いってわけにはいかないけど、それでも助かってます。」

B「私は母の介護があるもんで、毎日婦人会の手伝いには行けないけど、お母さんが朝から『結』に行けるときは、婦人会で作ったものを道の駅まで運ばさせてもらってます。
後、この辺の人はみんな、田んぼと畑があるもんで、できない時は頼んだりしながら助け合ってやってます。」

C「私は夫婦で『結』で働いています。
旦那の親が『結』の施設長で、以前は住み込みで働いていましたが、今は私たち夫婦と交代でしてます。と言っても家が隣なので何かあった時は、すぐ助けてもらってます。
どの子供も学校から『結』に帰ってきます。ご飯も食べます。親が病気したり入院したりした時は、『結』に泊まることもあります。」

「ありがとうございます。皆さんは今以上に仕事がしたいと思いますか?」

A「はい、もちろんです。働き口があれば喜んで働く人はたくさんいますよ。
私も婦人会の手伝いして、田んぼと畑して家で内職もしてますが、まだまだ働けます。」

B「私も働きたいです。旦那が出稼ぎに行ってるから、戻ってきてくれたら介護も交代でできるし、『結』があるから安心して働けると思います。」

C「『結』は私の家のもん以外にもたくさんの人が関わってくれます。町のみんなの助けにもっとなれると思います。」

3人の若い仲良しママさん達は、迸る気持ちを抑えきれないと言った勢いで、思いの丈を熱く語ってくれた。
三番目のCのママ松井さんは明日場の親戚にあたる人だ。松井さんの義理の両親はずっと『結の施設』を守ってきてくれた人だ。松井さんのご主人は明日場のいとこで同級生。
最初にインタビューを受けた田村と松井さんのご主人と明日場は、3人でずっとつるんでいた仲間だ。


最後は明日場の父、産婦人科の院長だった。

「明日場院長、どうぞ、よろしくお願いします。」
「小守町といえば『結』の施設、と言ったイメージが町民はみんな持っていますが、『結』の施設を作った経緯を教えてください。」

「あーはい、私が病院を始めた頃はみんな、田んぼだー畑だーと今よりも忙しくしていて、産後の肥立ちが良くないのに働くお母さんが多かったんですね。
赤ちゃんも栄養不足で病気する子が多くてね。もちろんお母さんもね。
それで、産後ゆっくりできる場所があったらいいんじゃないかと思って、始めたんです。」

「今では、町民みんなの憩いの場所になっていますよね」

「そうだねー、町のみんなのおかげですよ。『結』はもっと発展できると思っていますよ。この町ならそれができると思います。」

どっしりとした安定感のあるインタービューだった。



プレゼン


小守町役場の明日場と部下の榊原は、食品メーカーの本社に呼ばれ訪問していた。そう、プレゼンの日なのだ。
榊原は緊張と東京が初めてだったこともあり、雰囲気に呑まれ何度も嗚咽を繰り返していた。

明日場自身は、不思議と緊張していなかった。
まるで、この場所で話すことが昔から決まっていたかのように、落ち着いた心持ちだった。

食品メーカの本社は、東京の中心部に大きな自社ビルが聳え立っている。
入り口に立った明日場と榊原はその高さに驚き、聳え立つそのビルを見上げていた。

受付を済ませると、担当だというとても美人の女性秘書が迎えにきてくれた。
その秘書に案内され、エレベーターは52階に到着した。52階の窓から見える東京の景色は、光り輝きとても眩しかった。

大会議室に入るよう、美人の秘書に声をかけられた。
榊原はその美人秘書を見た直後から、先程までの嗚咽は何処へやら、急にシャキッとしてスタスタ歩き出していた。
その様子を見て明日場はニヤニヤせずにいられなかった。役場のみんなに話してやろうと思った。と同時に背筋が伸び、何かしらのスイッチが入った。

会議室の大きなドアが開いた。

そこはとても広い空間が広がっており、燃えるような真紅の絨毯が目を引いた。
楕円の円卓は上部のライトを跳ね返すほど艶めいていた。
そこに20人以上の貫禄のある初老の役員であろう方々が振り返り、設えの良い革張りの回転椅子に座り、一斉に明日場達に目線を送ってきた。
その中に、小守町に訪問してくれた社長の姿があったが、他の方々に比べると控えめなように感じた。

会議室奥の壇上に担当の丸山さんがいて、明日場達はそちらへ行くように美人秘書に案内された。
壇上に上がると真紅色の絨毯が一掃に映え、身が引き締まった。
役員なる方々の前には、明日場が出した資料以外のものがあるのが見えた。
他の候補地のプレゼンも行われていたんだと、その時察した。
「うちは何番目なんだろう……」と一瞬、思ったが、「やれることに集中しよう」とすぐに切り替えた。


丸山さんが明日場達の紹介をしてくれている間に、プレゼン資料の投影のセッティングを行なった。
「えー、新規プロジェクトBの丸山です。本日はよろしくお願いいたします。
えーお手元にある資料のBをご覧いただけますでしょうか。
今回の新規工場建築に際しまして、いちばんの有力候補であります「小守町」のご説明をさせていただきます。」
この言葉が丸山さんの役員の方々へのアピールだったとしても、明日場と榊原は心躍ったことは間違いなかったし、明日場に関しては「丸山さんとこの先も一緒に仕事がしたい」と思わずにはいられなかった。

丸山さんは続けた。
「今回は建設予定地であります小守町役場より、町民課明日場課長と榊原係長にお越しいただきました。
候補地であります小守町は、求人数確保の点で少々問題点がございましたが、その件に際し小守町からのご提案をすでにいただいております。
そのご提案があまりに素晴らしく、今回は小守町役場より町民課の明日場課長と榊原係長のお二人に素晴らしいご提案を賜りたいと存じます。
ではまず小守町の概要を私よりお伝えさせていただきます……」と丸山さんによる役員向けの説明が行われた。
その後に「では、先ほどお伝えしましたいちばんの懸念材料であります求人数の確保の件に関しまして、小守町役場明日場課長よりご提案を賜りたいと存じます。よろしくお願いいたします。」

緊張感の中、明日場にマイクが渡された。円卓の視線が一斉に明日場に集まった。

「ただいまご紹介に預かりました、小守町役場町民課の明日場と申します。
皆様、本日はこのような機会をいただきましたこと、誠に感謝申し上げます。
本日は我が「小守町」に工場建設が決定しました場合、人員確保が懸念材料となっているとお伺いしましたので我が町の内情と、我が町「小守町」ならではのシステムで求人数を確保する妙案をご提案させていただきたいと思います。」

「おー」っと声が上がった。

明日場はまず、町の現状を包み隠さず話した。

  • 手付かずの山々に囲まれ、空気も水も類を見ないほど美しいものがあるということ。

  • これまで陸の孤島と呼ばれており交通の便かったが、隣町まで高速道路が伸びてくるので、運搬に際し、好条件になるということ。

  • このように陸の孤島と呼ばれていたため、土地が近隣よりも安価であるため、今後も同じように企業からの打診があることは否めないということ。

  • 御多分に洩れず高齢化が進んでいるが、林業・農業など現在でも働く高齢者が多いということ。

  • 主要産業がなく、働き口を探して出稼ぎに出ているものが多くいること。

  • トンネルが通る前は、荷物を背負って峠越えをしていたような過酷な環境下で暮らしてきたため、元来働き者が多いということ。

このように町の写真や古い時代の資料、水質調査や近隣との土地価格の比較の資料まで足早に見せた。

明日場が「ここからが本題なのですが……」というと、資料に目を通していた役員達は一斉に顔を上げた。

「我が町「小守町」には「結」という助け合いのシステムが根強くございます。
この「結」という言葉が「助け合い」を意味する言葉ということはご存知かと思いますが、我が町にはその名前そのままの『結』という名の施設がございます。」
「この『結の施設』の位置づけは我が町では「大きな家族」のような認識で、町民の多くが利用する「大きな実家」のような役割を果たしています。」
「現在この施設の運営につきましては、隣接します産婦人科が行っております。
当初は、産後1ヶ月程度滞在して体調の安定を目的として作られました。
町内は元よりこの考えに賛同する妊婦さんが、遠くは県外より来られるケースもあります。」
「この町の人は子供が産まれると大変喜ぶのですが、多分、皆さんの想像以上の喜び様です」っと子供の誕生を祝い「結」に集まる町民の様子のスライドが映し出されると、驚きの声が漏れた。

「先ほどもお伝えした様に、主要産業がこれと言ってなく、「人が財産」というスローガンを掲げるほどに、人を大切にする文化が色濃くあります。」
「話がそれましたが、この『結の施設』の役割をもっと拡大させ、御社の工場体制に合わせ24時間運営させる案を検討しております。」
「小守町では産まれたばかりの乳幼児の頃から、この『結』に通う親子がほとんどです。
小学校に通う子供達も学校から帰る場所はこの『結の施設』、親の帰りが遅い子にはご飯も食べさせます。
子供のことに関しても小さい頃から、交代で預け預かりの経験をしてきているので、24時間体制に移行することになっても、親子とも心理的ハードルは高くないと考えています。」
「介護につきましても、現在は『結の施設』でデイサービスを行っておりますが、こちらも新しく建設を検討していることをお伝えします。もちろん24時間体制で稼働することになる予定でございます。」

「長くなりましたが私がここで申し上げたいことは、小守町は水よし・空気よし・人よし。チャンスさえあればこの町でもっともっと働きたいと思っている町民が多く存在しており、今回の様な計画が実現化した折には、町民・町役場総動員でお引き受けさせていただく準備はできていることを、皆様にお伝えさせていただきたいです。」

小さく歓声が上がり、パラパラと拍手が起こった。
恰幅の良い役員の一人が何か訝しげな顔をしているのが気になった。

「最後に、こちらを見ていただいてもよろしいですか?ここにいる榊原主導で町民にインタビューをさせていただきました。3組の町民の声をお聞きください。」

映像が流れた。榊原は感極まって涙を流した。明日場はみんなに伝えることがまた一つ増えたと思った。



美人秘書


東京での夜は丸山さんのご好意で、懇親会を開いてもらった。
おしゃれな街、おしゃれなお店、そして美しい美人秘書!
そう、丸山さんがあの美人秘書の上野さんを呼んでいてくれたのだ。

榊原はもう顔から湯気が出そうなくらい赤くなり、ど緊張していた。

連れて行かれたお店は創作和食の本当におしゃれなお店で、話しやすい様にと個室を用意してくださっていた。

案内される小道の足元に灯籠が行儀よく並んでいて、榊原のあからんだ顔が目立たなくなっていた。

個室の席に着くと、美人秘書の上野さんが
「素晴らしいプレゼンでした、あんなに素晴らしいプレゼンは初めて見ました。」
意気揚々に明日場に向かって語った。

「あー、ありがとうございます。」残念そうな榊原が見えてしまったので、悪い気がして、そっけない言葉を返してしまった。それに上野さんの意外な感想にとても驚いていた。

「いやー実は、本来上野はあの場にいてはいけなかったのですが、私が小守町のプレゼンんはすごいから是非そのまま聞いていったらと、先に声をかけいたんですよ。」と丸山さんからこれまた意外な言葉がかかった。

聞くと上野さんはもともと、丸山さんの様に営業で各地を回っていて、工場誘致を勝ち取りたいという夢を持っていたという。
残念なことに部署異動となり、現在秘書をしているそうだ。

東京の人は綺麗な人が多いが、上野さんは女優さんの様にひときは美しかった。榊原が鼻息を荒くするのも仕方がない、まっ、社会勉強だな…と明日場はこれまたニヤニヤしてしまうのだった。

上野さんは見かけによらず熱い女性だった。自分がやってきた業績を話してくれたが、その美しさを武器にすることを心底嫌っていて、営業当時は短髪でノーメイクだったそうだ。
だとしても目を引くだろうと明日場を思った。

「でも、なんで私のプレゼンを上野さんに聞かせたのですか?」と明日場は丸山さんに聞いた。すると意外な答えが帰ったきた。

「小守町を最初に教えてくれたのは、この上野なんです。」
「えーっ」明日場と榊原は声を同じに驚いた。

榊原が俄然元気になり、「えーなんでですか?なんで小守町を知っていたんですか?」と食い気味に聞いた。

上野さんはニヤリと笑って「私、小守町の出身なんです。」
「えーっ」明日場と榊原は最も大きな声を同時に出し、そのことにとてつもなく驚いた。

「と言っても、産まれただけなんですが……」上野さんの言葉に思い当たった明日場と榊原と上野さんの3人は目を合わせ、上野さんの眉がピクッと可愛く動き、息を吸い込んだ無言のイッセーの後に
「結ーー」
と3人同時に言った。隣で丸山さんはニコニコ笑っていた。

その直後、上野さんは名刺を見せてくれた。
それを見てまた驚いた。

【上野 ゆい】

ひらがなではあるが、【ゆい】という名前がついていた。

驚きを隠せない二人に上野は事情を話した。

上野は27歳。母親が銀座で働いていた時に、お客さんとの間にできた子だったそうだ。
上野の母親は身寄りもなく借金もあって、どんどん大きくなっていくお腹にどうしたら良いか分からず困り果てている時、小守町の『結の施設』のことが書かれた小さな新聞記事を見つけたらしい。
そうして、なけなしのお金でどうにか小守町に辿り着き、出産、その後『結の施設』にお世話になったそうだ。

その話を聞いて、明日場は思い出したことがあった。
明日場が小学校2年生か3年生の頃、「結」にきていた妊婦さんが物語から出てきたお姫様の様に綺麗な人だと、町中噂になっていた。
明日場自身も普段は病院の手伝いなどしたことはなかったが、なんとなく気になってこっそり病室まで見に行ったことがあったのだ。
今回、上野さんに話を聞くまでは、そのことはすっかり忘れていた。
とすると、あの時のお姫様の様な妊婦さんが上野さんのお母さんで、産まれた赤ちゃんがゆいさんということになるのだろう。

「すごいご縁です。こんなことあるんですね。自分も27歳です。
もちろん小守町で産まれています。もしかしたら同じ時期に入院してたかもですね」と榊原がここぞとばかりにアピールしていた。

「そうなんですね。それもすごい偶然……」と榊原のアピールは、上野さんにあっさりスルーされてしまった。

「今、お話を聞いてその時のことを思い出しました。もしあの時の可愛い赤ちゃんが上野さんだとしたら、私、27年前にお会いしていると思います。もちろんお母様にも。」
「えーっ」今度は上野さんが驚いた。

「明日場課長の実家、小守町唯一の産婦人科病院なんです。
『結』の隣にあるんですよね。」と相槌を求めながら榊原が解説してくれた。
「えーー、そんなんですか?」また上野さんが驚きの声をあげた。

「はい、そうなんですよ。失礼ですが、上野さんのお母様はお綺麗な方ではありませんか?」
「ふふっ、はい、娘の私が言うのもおかしいですが、日本人離れした顔立ちをしていて周りから褒められることが多いですね。」
「上野さんも大変お綺麗でいらっしゃるので、そうかと思いました。
上野さんのお母様が小守町に来られた時、小さな町ですので「女優さんが極秘出産に来た」とか「どこかの国のお姫様が、秘密で子供を産みに来た」とか大変な噂が流れたんです。
あまりにお美しくて、町の人たちは一目見たさに病院や『結』にたくさん集まってきていたことを思い出しました。」

「えーそうだったんですか……なんか、すみません。」
「いえそんな、とんでもないです、私も病院の息子の特権を駆使して、お綺麗だと噂のお母様をこっそり見に行ったことを思い出しました。」

「明日場課長、課長も子供の頃にはそんなことをしたんですね、意外です。」榊原が冷静に言った。
「ハハッ、そんなことをしたのはその時一回こっきりですよ。そもそも外遊びをして泥だらけの少年は、産婦人科には不釣り合いですのであまり入れてもらえませんでしたから……」
「でもその時は、見に行ったんですね。」と丸山さんから突っ込まれた。
「いやー、お恥ずかしい。町の皆さんには内緒にしておいてくださいね。」

「私の母の話も会社には話していないことなので、ここだけの話でお願いしますね。」

その後、ゆいさんを出産したお母さまがどうなったのか……知りたかったが、プライベートなことなので、聞くことはしなかった。でも、町の人たちは知っているだろうとも思っていた。

明日場のプレゼンで『結』の話が出た時、とても感動したと、上野さんは大きな瞳を潤ませながら語ってくれた。
産後に母親が病院から『結の施設』に移った時、町の人たちが変わるがわる【ゆいさん】を抱っこしてくれるものだから、ゆっくり休めたと言っていたそうだ。
そのおかげで上野さんは、人見知りが全くなく育ったといつもいつも話してくれていたそうだ。
町の皆さんが本当に良くしてくれて、ご飯もとても美味しくて、ずっとここで暮らしたいと心から思ったと何度も何度も話してくれたそうだ。
もしそうしてくれていたら、ゆいさんと榊原は同級生になり、もしかしたら恋に落ちていたかもしれない……と思って明日場はまた少しニヤッとした。




結果を待つ日々


東京でのプレゼンの日より、もう何日経つだろう。なかなか連絡がこない。町民と
役場全体、特に町長は胃が痛い毎日を過ごしていた。

町長の胃が痛いのは、工場誘致の他にもその原因がいくつかあることを、明日場をはじめ、役場職員、町民全員理解している。
理由の一つは、町長選が近づいてきていると言うことがある。
前町長との一騎打ちを勝ち抜き、小守町長の座について現在、2期目。
次の選挙では、町議会委員長が町長選挙に出馬すると言う噂があり、気が気ではない。この町議会委員長は前町長の甥にあたる人で、少々厄介な人なのだ。

胃が痛くなるにはもう一つの理由があって、町長の息子二人は町外に就職してしまっており、町長の跡を継ぐ者がいないと言うことと、町長の奥さんから今回の工場建設の話は、息子たち夫婦を呼び戻す良いきっかけになるので必ずまとめるようにと、きつくきつく言われているのだった。
奥さんは、息子夫婦がそばにいないので、孫の顔をなかなか見れずに寂しいと日頃から言っている。

役場内でも、明日場や榊原に食品メーカーにその後の様子を聞いたほうがいいのではないかとか、連絡が来ないのは箸にも棒にも引っ掛からなかったのではないかとかとか、いや、話が進んでいてそれをまとめているのではないかなど、憶測が飛び交い、町民からの問い合わせに対応するために通常業務もままならないような状態になっていた。

明日場自身は「人事を尽くして天命を待つ」心持ちでいたので、焦ってはいなかった。それに実は丸山さんからも、少しづつ進展状況の連絡をいただいていたので、どちらに転んでもいいように準備は進めていた。
東京での丸山さんの印象通り、いつも良いことを言ってくださるので、半分聴きつつ、全てを鵜呑みにしないようにしていた。
このことを、誰にも伝えなかったのも、みんなの期待を煽ることも、期待を萎めることもしたくなかったからであった。
毎日会う人会う人に、連絡は来たか、結果は出たかと次から次へと聞かれるので、少々煩わしくもあったが、嬉しくもあった。
そのうちに終わることはわかっていたので、曖昧に答えて、やり過ごしていたのだった。

忙しく町民課の業務に励んでいたところ、役場ではあまり見かけない顔が受付にあった。あまりにそこに似つかわしくなかったので、一瞬、誰かわからなかったが、
明日場の父の顔がそこにあった。
待合所にいる人たち次から次に声をかけられ、なかなか前に進めない様子だったが、町民みんなから感謝され、握手を求められ、健康相談をされ、大きくなった子供や孫の話を聞く父に顔は、穏やかだった。

明日場が父の存在に気づき近づくと、「おーー」と歓声のような声と拍手が上がった。明日場自身はかなり動揺したが、明日場の父は手を挙げて感性と拍手に応えていた。
「父さん、どうしたの?」
「あぁ、仕事中にすまん、ちょっといいか……」
少し訳ありそうな様子だったのでドキリとしたが、それを隠して応接室に案内した。

「『結』のことなんだが……」
と神妙な面持ちで明日場の父は話を切り出した。
「あーん、『結』がどうした?」
「あぁ、『結の施設』を施設長夫妻に渡そうかと思っている」
「えーっと、施設長の松井おじさんに?」
「あぁ、そうだ。お前はどう思うか?」
明日場にとって父がそんなことを考えていたことを全く知らなかったし、もちろん初耳だったので驚いたが、それと同時にそうすべきだとも思った。

松井のおじさんは、立ち上げの時から『結の施設』を支えてきたすごい人だ。
父が産婦人科を建てる時から手伝っていてくれたそうで、『結の施設』のような場所を作りたいと父が夢物語を話した時、「それは素晴らしい、すぐに作るべきだ。」と本当にすぐに動き出してくれた。
こんな素晴らしい場所を作るのだからと、病院の横にある空き地の地主に掛け合い、安く土地を提供してもらう交渉をしてくれた上に、その後も、ずっと『結の施設』を切り盛りしてくれている。
『結の施設』が『結の施設』たる所以は、すべて松井さん夫婦のおかげだと言っても過言ではないと思っている。

誰に対しても平等で、いつも満面の笑顔で、真冬でも汗をかきながら、常に誰かのために動いている。
じっとしているところを見たことがないくらい、本当によく働く人だ。
松井のおばさんもそうだ。いつもいつも何かしている。受付で世間話をしている時でも、編み物をしたり、繕い物をしたり、とにかくよく働く夫婦だ。
『結の施設』がいろいろな機能を増えていったのにも、この夫婦のそこ知れないサービス精神があるからだ。

この町には旅館がなかった。
赤ちゃんを産んだ後、1ヶ月くらい養生するための施設としてスタートしたので、個室やお風呂、大きな厨房が最初からあった。
そこで部屋を空けているのは勿体無いと、宿泊施設の併設になった。
また田んぼの時期など、帰りの遅い親を子供が一人で帰りを待っている、と聞くとすぐ、放課後自由に集まって親の帰りを待つ場所を作り、ご飯まで食べさせた。
幼稚園や保育園ができる前は、乳幼児とお母さんが集まって一緒に交流できる場所を提供したり、介護が必要になった老人のための今で言うディサービスを行うような場所も作ったり、とにかく困っている人がいたら手助けしたい……そんな思いが強い人たちなのだ。


「父さん、いいと思うよ。でもなんで俺に聞きにわざわざ役場まで来たの?」
明日場がそうだずねると
「いやーお前が帰ってきた時、病院と『結の施設』は好きにしていいと伝えただろう。あの時は、こんなに(元気に)なれるとと思ってなかったから、遺言のようなつもりで伝えていたんだが、この町の状況も変わってきたからな……」
「そうだね、元気になって良かったよ。」
「いやー、すまなかったな、お前も東京でやりたいことやってたのにな……」
父は、息子を地元に引き戻したことをずっとこんな風に思っていたのだと……それを申し訳なく思っていたと……その思いがひしひしと明日場に伝わってきた。

「父さん、違うんだ。俺こそ、婦人科医にならずに申し訳なかったと思っている……そうすべきなのは分かっていたけど、「医者にならなくてもいい」と言ってくれた父さんの言葉に甘えたんだ……いや、父さんを言葉を利用したんだと思う。ごめん……」



「医者にならなくてもいい」と父が言ったのは、ペットの犬が死んだ後だった。
母親が幼い明日場少年に向かって「医者になったらそんなことしょっちゅうあるんだから、メソメソしてる場合じゃないわよ。」と言ったことがあった。
慰めの気持ちで発した言葉だったのだろうとは思うのだが、どうしても受け止められなかった。
「しょっちゅう」
この母の言葉とペットの死が幼心に深く傷をつけたのだ。
明日場少年のそれまでぼんやりと持っていた「婦人科医になる」という夢は、その時、命の重さに押し潰されたのだった。
そして明日場少年は、父と夕食を食べる時を見計らって、言った。
「医者になりたくない」っと……

母は慌てて色々と取り繕っていたが、明日場自身、母がなんと言ったのか覚えてはいなかった。
しかし、父の一言は忘れもしない……
「医者にならなくてもいい」

理由も聞かず、父はそう言った。
この時は自分の才能のなさを父は見限った、「見捨てられた」と思った。



「それはいいんだ……
私が医者になろうと思ったのは、生まれたばかりに妹が死んだ時だ。この話は前したことがあったよな。
その時のその悲しさにお袋は耐え切れなくて、病気がちになってしまったんだ。
私は冷たくなっていく妹に何もしてやれなかった。
お袋にも元気になってもらおうと子供なりに色々やってみたが、何も変わらなかった。無力だと思ったよ。」
「だからこれから産まれてくる命を守れるようになりたいと思ったんだ。
お母さんたちもな。ただそれだけなんだ。他には何もないよ。」
「私は、お陰で思うように生きてきた。自分の思うように……だからお前に強制するつもりはなかったよ。こんな風にこの町に帰ってきてくれてそれだけでありがたいと思っているんだ……」
父はゆっくりとしかし強い思いで気持ちを伝えてきていた。

「ありがとう、そう思っていてくれるんだったら、俺も思いっきりやるよ。
俺のやりたいことをただそれだけを一生懸命にやるよ。やっと見つけたんだ。
東京ではやりがいがなんなのか、よく分からなかった。
でも、今それを感じている。この町に生まれて、父さんの子に生まれてとても誇らいい。俺はすごい人の子供なんだと、改めて思ったよ。」
「婦人科医にはなれなかったけど、『生活を守る』『やりがいや生きがいを守る』それなら俺にもできそうだ。父さん、喜んでくれるかな?」高揚気味に明日場は、普段は聞けない、でも一番聞きたいことを思い切って聞いた。

「あぁ、もちろんだ。私こそ誇らしいよ、私の息子に今、町中が夢中だ。
小守町の未来がかかっている。お前ならやり遂げると思っているよ。」
その言葉を聞いて、これまで30数年抱えてきた胸の支えがスーッと消えていく気がした。

その後は、『結の施設』のことについて父と話した。
父は、『結の施設』は町が管理してもいいと思っていたが、それでは今まで本当に一生懸命にやってきてくれた松井夫妻の気持ちに対して申し訳なく、何か恩返しがしたいと常々思っていて、今後『結の施設』が拡大していくであろうこのタイミングに、松井夫妻に譲渡しようと決めたのだ。
しかし、息子である明日場が小守町に帰ってきた際、「好きにしていい」と言っていた手前、許可をもらいに来たのだった。
もちろん明日場自身は、父の考えに賛同した。
それにいとこが跡取りとして、『結の施設』で働いてくれている。
こんなに頼もしいことはない。松井さん夫婦、親子のおかげで、今回の計画も進めることができていることに、改めて深く腑に落ち、感謝が溢れた。



結の施設


そんなある日、食品メーカーの丸山さんより正式な連絡が入った。
建設予定地の最終視察に、常務をはじめ役員数名が来町すると言う内容だった。

来町予定は一週間後だ。

各方面に連絡を済ませ、準備を始めることになった。
町長は胃の痛みが軽減したと、明日場に感謝の言葉を言った。

明日場はまず、工場建設予定地を部下の榊原と見にいった。
案の定、梅雨後の好天気で雑草が伸び放題になっていた。
広大な敷地の草刈りは難儀だが、避けては通ることができない……
明日場は榊原にこの件を任せようと思った。
榊原も「任せてください」と何か秘策でもあるかのように胸を叩いてみせた。

次は『結の施設』だ。
訪問すると、松井夫妻と息子夫妻、そして明日場の父の5人が待っていた。

『結の施設』の入るなり、「いやいや、困るよ、俺はもらえないよ」と松井のおじさんが明日場の元に駆け寄ってきた。
父との話が少し進んでいたのだと理解した。
「おじさん、父さんから話は聞いているよ。俺も同じ気持ちだよ。
それに、工場誘致のために大きくしようとしている施設が担当者の父親のものっていうのも、なんか気まずいでしょ。
父さんからこの話を聞いた時に、最高のタイミングなんじゃないかと思ったんだよ。
今まで、ここに心血を注いできたのはおじさんとおばさん、これからは息子夫婦にバトンタッチすることもできる。
何もかもがこのタイミングに揃ったんじゃないかな。」
明日場は晴々した気持ちだった。

「いやいやいや、そんなこと言ったってさ、何をどうしたら良いもんか……」
松井家はおじさんおばさんに加えて、息子夫婦まで動揺して焦って4人でオロオロしていた。
詳しい話は後日、ということになって父は病院へ戻っていた。
その時も「院長、なんてお礼を言ったらいいもんか……」
と恐縮しきりだったおじさんに、
「お礼を言いたいのはこちらですよ」
と穏やかに言った父の口調が、幼い明日場に
「医者にならなくてもいい」と言ったそれと似ている気がして、
あの時父は「見捨てた」のではなく、尊重してくれたのか……となんとなく感じて嬉しかった。

父が病院に帰った後、最終視察のための打ち合わせをさせてもらった。
「基本的には普段通りで構わないです。役員の方が話を聞きたいとおっしゃっているので、そういうことがあるかもしれません。飾らずに、いつもの感じで大丈夫です。その方がいいと思っています。」そう明日場が話すと、
おばさんが「人を集めた方がええんかのう」と聞かれて、「なんもせんでも集まるじゃろ」と息子が言うと笑いが起きた。


一週間が過ぎるのは早い。
任せていた草刈りのミッションを榊原は、なんとやってのけていた。
榊原のアイディアというか大胆さには驚かされた。
広大な草刈りを任せては見たけれど、多分手前の方しかできないだろう……と侮っていた。
だが榊原は、ほとんど全部の敷地を、それもきれいに刈ったのだ。
榊原のアイディアはというと、町長の許可を取って町内放送で町民に呼びかけたのだ。驚いた。
最終視察とはいえ、まだ決定には至っておらず、本来であればシークレットというスタンスであるべきものだったのだが、
彼が考えた「最終視察」というものに対しての考えは、
「きちんと敷地全体が見渡せて、将来像が想像できるものであるべきで、草がボウボウに生えた場所に新築の家を建てたいと普通の人でも思わないだろうから、綺麗にしてみてもらいたい」というものだった。

この言葉で町長に町内放送での呼びかけの許可をもらったそうだ。
明日場から見たら、純粋というか単純というか、怖いもの知らずというか……でも、若いということは、荒削りで無謀だが、大胆で良いな、と思った。
でも、今後は相談してもらうように釘を刺しておかなければ……とも思った。


いよいよ最終視察の日がやってきた。
今日の来町者は、役員の方が4名と前回来られた社長と丸山さんと他2名の計8名だ。
宿泊者名簿には、2名2部屋と記載があった。

昼過ぎの時間になって、ハイヤーが4台、小守町役場の入り口に停まった。

降りてきた役員の方々は、さすがの貫禄。町役場に緊張が走った。
町長が出迎えたが、汗が止まらぬ様子、そして胃が痛そうだった。
来町した役員の中に、東京の本社の会議室で不服そうな顔をしていた恰幅の良い人がいた。
このことに気付いた明日場も胃が痛たくなりそうだった。


本日帰られる方々の飛行機の時間の関係で滞在感があまり取れないということで、町長室での挨拶もそこそこにすぐに視察に向かうことになった。

榊原が運転する車に明日場と町長が乗り込み、もう一台の車には資料や日傘、冷たいお茶など暑さ対策を考えたものを積み込んだ車を用意していた。
榊原が運転する車に乗り込むなり、
「課長、来てましたね。」
「えー?」と明日場が答えると
「えー、見えなかったんですか?上野さんですよ、上野ゆいさん、気づかなかったんですか?」
「え⁈」
明日場は気付いていなかった。女性がいるのは見えたが、一人だったように思っていた。役員秘書であろうその女性は、柔らかな淡いベージュのスーツを着ていて、髪もふわっと巻いているように見えたが、他にも女性がいたとは気づかなかった。
まさか、そのふわっとした女性が上野さんだったのか……
前の印象とあまりにも違いすぎで、明日場は少し混乱していたが、気持ちを切り替え、建設予定地での説明資料に目を通した。


現地に到着すると榊原指導で綺麗に刈られた敷地がわかりやすく広がっていた。
役員の方々に、敷地の面積、アクセス、土壌検査の結果、水源の説明など一通り行った。ふわっとした女性秘書がついているスレンダーな役員の方が、質問した。
「ここだけ、草が生えないのですか?それとも除草剤か何か撒いたのですか?」

我々は驚いた。どのように返答したら良いか迷うほどに動揺したが、ここは誠意の見せ所と思い、
「いいえ、除草剤などは撒いていません。私の部下の榊原が町民の皆さんに声をかけて、みんなで草刈りをしたんです。」と伝えた。
「おー、それはご苦労なことでしたね、敷地の様子がよくわかります。ありがとうございます。」と頭を下げた。
ふわっとした女性秘書が、「まぁ常務……」と言ってスレンダーな役員の頭に日傘を差し出した。
その後ろで、恰幅の良い役員の方々は日傘を断り、汗をかきながら役場職員の差し出した麦茶を一気飲みしていた。

その恰幅が良い方の後ろに紺色のパンツスーツの短髪の女性がいるのが見えた。
スラっとしたたり姿は、細すぎて見えなかったが、間違いなく上野さんだった。
少し遠慮がちにお偉いさん方の後ろで、キョロキョロと辺りを見渡していた。

宿泊が2名になったいたのは、丸山さんと上野さんなのかな?と一瞬思ったが、今はそれどころではなかった。


次に町内、特に豊かな水源近くまで案内したかったのだが、時間が許さなかった。
そこですぐに『結の施設』案内となった。
スレンダーな役員の方は、予定があるということで、ふわっとした女性秘書と早々に帰路につかれた。
お見送りもそこそこに、『結の施設』へ向かう。

建設予定地からは15分〜20分くらいかかる。
その道すがら、なんだか町が明るい気がした。
見ると、道路沿いに花を飾っている家が多くあった。
もしかしたら、今日のために街を掃除し、花を飾ってくれたのかもしれない……そう思うと明日場は、目頭が熱くなった。


『結の施設』に到着した。
多くの人が来客を出迎えるために、玄関に並んで待っていてくれた。
拍手で迎えられた役員の方々のほとんどは和かだったが、訝しげな顔で町民を見ている役員の方が一人と、キョロキョロと町民や『結の施設』を見渡す上野さんがいた。

施設長の松井さんに一通り案内してもらった後に、東京で行ったプレゼン時に流したインタビューに登場してくれたママさん3人と、明日場の父を招き入れた。

役員の一人が
「この町の良いところはどこですか?」と聞いた。
「はい、陸の孤島と呼ばれていたくらいに、ここは行き来が大変なところでした。だから、この自然があると思っています。こんなに綺麗な自然や水は、小守町にしかないと思っています。」
ママさんの一人が、堂々と答えた。

「なるほど、ありがとうございます。では、この小守町は働き者が多いと聞きましたが、どう思いますか?では、あなた。」役員は他のママさんを指名して聞いた。
「あっはい、えーっと、そうですね、えーっと、働き者が多いです。
みんな何かしています。
田んぼに畑仕事、近所の田植えを手伝うのなんかは当たり前で、大人も子供もみんな自分がやれることを探して協力するっていうようなもんです。
家でも内職してる人ばっかりいるし、男の人も出稼ぎに行ったり、木工細工を夜遅くまで作って道の駅で売ってます。トンネルがない時は、ばあちゃんもじいちゃんも峠を越えて物を売りに行ってたって言ってました。働かなきゃ生きて来れなかったって……」
このママさんは緊張していたけど、町の声として、しっかり伝わったんじゃないかとみんな思っていた。

役員の人たちは何やらヒソヒソと話して、もう一人のママさんに聞いた。最後に聞かれたのは施設長の息子のお嫁さんだ。
「この施設は、町民皆さんの拠り所と伺いましたが、何がそんなに良いのか、我々は初めて来たのでよくわかっていません。教えてもらっても良いですか?」
「あーはい、私はここで、夫と夫の両親と交代で施設の管理をしています。
家も隣にあるので、何かあったら父や母が来てくれるので心配ないです。
ここは、そこにある産婦人科の妊婦さんが、産前産後に安心して養生するために作られたと聞きました。
さっきもこの町の人は働き者だと言ってましたけど、赤ちゃんを産んでも休まないですぐ働くもんだから、体壊す女の人が昔は多かったって。
赤ちゃんも産婦人科の病院ができるまでは、峠を越えなきゃだったから、助からない子がいたって聞きました。
それで、ここにいる院長先生が病院を建ててくれて、でも、病院だけじゃその、なかなか助けるの難しくて、それでこの『結』を作ったですよね。
とにかくここは病人が出ると代わり番こで病人を抱えて隣町まで連れて行くような感じで、なんていうか……人っていうか命の大切さが本当によーく身に染みてわかってる町だと思います。
だからなのか、赤ちゃんが産まれると、町中喜んで、代わり番こで見に来ますよ。産んだ後1ヶ月くらいはここに居てもらうんですけど、毎日誰かが見に来て、赤ちゃん連れて行くもんだから、赤ちゃんのお母さんが心配するくらいな時もあります。
あっ、そして、それだけじゃ勿体無いからって、施設長が旅館したり児童館したり、赤ちゃんクラブしたり年寄りの運動教室したり、とにかくなんでもやってます。」
いやー喋りすぎた、とばかりに施設長の義理娘は他のママさん仲間の後ろに隠れるように下がっていったが、この生の声も素晴らしかった。

だんだん時間がなくなってきたが、訝しげな顔をしてずっと聞いていた恰幅の良い役員が、最後にこんな質問をしてきた。
「いやー何だか良い話ばかりで、逆に心配になりますね。
本当なのかと思っちゃいますよ。
うちの工場ができたとして、本当に働き手がそんなにきますかね。
いくら働き者が多いと言っても、働ける人数なんて限られてるでしょう。
大丈夫なんですかね。工場は作ったが、働き手がいないんじゃ、話にならんでしょう。
このママさんたちにたくさん子供を産んでもらったって、働けるまでには時間がかかるしね〜。
どうですか、この町の課長さんがいうことを信じて良いもんですかね、うちの会社も社運をかけた大きなプロジェクトなんですよ。どうですか?」

誰も答えられなかった。もちろん明日場自身が答えられることではなかった。取り繕えば、嘘のようになる。それも嫌だった。

その時、明日場の父である院長が立ち上がった。

「すみません、私も少しお時間をいただいて良いでしょうか。」
「私はこの町の婦人科病院の院長の明日場と申します。そこにおります、町民課の明日場の父でございます。この施設は私と施設長の松井さん家族と共に作り上げました。
今回、工場建設の話があると聞きまして、町中喜んでいます。
働き手の問題でご心配されているようですが、この『結の施設』をキーに御社の3交代制の勤務体系に対応することは可能だと考えています。
工場建設の話に期待は膨らんで、決定前ではありますが、この『結の施設』を拡大発展する計画が進行しています。
高速道路が隣町まで伸びたことで、御社のようにこの小守町に目をつけてくださる企業さんは他にもたくさんあると思っています。
こんなに水や環境の良い場所も珍しいですからね。食品メーカーだけでなく製薬会社からも声がかかるでしょう。
これはあくまで憶測ですよ。私は内情は分かりませんからね。
しかし、そうなった時は本当に人の取り合いが起こるかもしれませんね。
私たちとしましては、みんなで豊かになっていきたい。小守町だけではなく近隣の町もみんなで豊かになって行くのが理想です。
人は必ず集まります。出稼ぎに出ているものも多いので、この町で仕事ができるのであれば、家族が揃って暮らせます。
それが本当の幸いでしょう。
いかがでしょうか。」



語られた誕生秘話

明日場の父である産婦人科医院長の助言のおかげでその場は丸く治り、食品メーカー役員の方々は帰って行った。
まぁ、時間もなかったのだが、満足して帰ったというよりも、「焦りを感じていた」という方が正しいかもしれない。
明日場の父の言った「この町に目をつけれくれる企業も他にある」「人の取り合いになる」この言葉で皆、「ギョッ」とした顔をしていたから間違いない。
交通の便が劇的に良くなって、土地が安く、水や環境が綺麗で働く意欲が旺盛な町民が多くいる。こんな場所は日本中探してもなかなかないだろう、父の言う通りに早く決めた方が得策だと考えたに違いない、と明日場は思ったし、父に偉大さにまたもや感服だった。

町に残ったのは、食品メーカーの丸山さんと、上野ゆいさんだった。
東京での出来事を明日場は父に話していた。
役員の見送りが終わった後、明日場の父が上野さんに声をかけた。
「上野さんだね。」
「はい、その節はお世話になりました。」そう上野さんが言うと、
「はははっ」と明日場の父は高らかに笑った。
「あの時取り上げた赤ちゃんに、そんな風に言われるとは、時の流れは早いものだ……」
「あ、すみません、私、覚えていなくて……でも、なぜだか懐かしい気がしています。」
「そうか……お母さんは元気にしてるかね」
「はい、それが……」
「私が小さい頃は働きづめで、大変そうでした。朝も昼も夜も家にいなくて、お母さんは寝ない人だとずっと思っていたくらいです。」
「ハハハッ、そうか、そうだな、ここにきた時も何か自分にできないかって、大きなお腹をしてみんなに聞いて回ってたなぁ〜なぁ〜」と明日場の父は、松井さんの奥さんに聞いた。
「そうですよ、ただでさえ、綺麗な人が来たと、街の人が大勢集まってきてるから、騒動になると困ると思って、部屋にいるようにっていうんだけど、『いいや、寝てるのは申し訳ない、院長に恩返ししなくちゃバチが当たる』ってとにかくじっとしてなかったね。
「ハハハッ、そうだった、そうだった」と明日場の父が笑うと
「院長、笑い事じゃないよ、大きなお腹で厨房に来て、みんなにご飯を作るって聞かなくて、地元のなんだったかね、秋田の……」
「きりたんぽ」
「そうそう、暑い時期にみんなで鍋囲んで、汗かきながら食べたんだよ、それがモントに、そりゃ美味しくて、汁一滴も残らないくらい、ぜーんぶ食べたんだよ。」
「院長に食べさせるって言ったけど、汁一滴も残らなかった……笑った笑った、みんな集まった人らでよーく笑ったなー」
「本当に本当に……綺麗で可愛らしくて、明るい人だったね……」

「そーうなんですか、すいません、本当、母はそういう人です。じっとしてたらいいのに、それ、無理みたいで、困ってる人がいるとすーぐ助けちゃうんです。いつの間にか知らないお姉さんとかが家にいて、一緒に暮らしたりしてました。狭いアパートなんですけどね……」
「ハハハッ、そうかそうか……あー懐かしいなー。それで、今はお元気にされているかい?」院長が聞くと
「はい、今は海外で産まれてくる赤ちゃんとお母さんを助ける活動をしているんです。」
「えー」っと一同驚いた。
「母は私が小さい頃に猛勉強をして、夜間学校に通って看護師の資格を取りました。それから看護師として働いている時に、海外で妊婦さんと新生児をサポートしている団体がいることを知って、居ても立ってもいられなくなって子連れでもいいと言ってくれるところを探し出して、一緒に海外に出ました。私が10歳くらいの頃ですから今思うと、母の行動力には驚かされます。そんな感じなので、世界中あちこち行きました。英語もろくに話せない中、とにかく、ジェットコースターのような毎日でした。」
「そうですか、すごいなー、お元気で活躍されているのですね。」
「はい、同じ活動をしてきた医師と結婚して、今でも2人であちこち飛び回っています。」
「そうですか、その医師は産婦人科医ですか?」
「そうです。産婦人科の医師です。」
「そうですか、ハハハッ」また父が高らかに笑った。みると、施設長の松井さん夫妻も笑っていた。
「どうしたの?」と明日場が聞くと
笑いながら松井さんが答えてくれた。
「ゆいさんのお母さんがあなたを産んでここにいる間に、言ってたんだ、『私、産婦人科のお医者さんと結婚して、私みたいな人を助ける』って。」
「えっ、私の名前……」と驚いた上野さんに
「うん、ここで、決めたんだよ、あなたの名前。
あなたのお母さんが……だから私たち、忘れないの。」そんな風に言った松井さんの奥さんは、目にいっぱい涙を溜めていた。
「あなたのお母さんね、院長先生に本当に感謝しきっていたのよ。『命の恩人だ』ってね、もう本当に何度も何度もそう言っていたよ。恋心があったかもしれないね。院長先生が来る時は綺麗な顔がピンク色に染まって、何とも言えないくらい美しかったから。」
「『院長先生に恩返しをするにはどうしたらいいか』って私に真剣な顔で聞くもんだから、『元気で頑張ることだよ』って言ったのさ。そしたら『私も私みたいな人を助けれられる人になりたい』って言って『私はお医者さんにはなれないから、産婦人科の先生と結婚して、赤ちゃんとお母さんをたくさん助ける』って、ものすごい勢いで張り切っていたよ。」
それを聞いて一同大笑いをした。
「それ、目に浮かびます。母はそう言う人です。単純で、思い立ったら即行動、そんな人です。」
「今でも?今でもそんな感じなの?」松井さんの奥さんが聞いた。
「はい、いつもそうです。じっとしていられない、明るい母です。」
「そうね、本当に良かった……
でもね、最初にここに連絡してきた頃のお母さんは、そうじゃなかったよ。何度も何度も電話くれてね、何度も何度も電話口で泣き崩れていたよ。本当に産んでいいのかって、育てられるのか、産まれてくる子は幸せなんだろうかってね……
お腹はどんどん大きくなっていくし、夜の仕事と、お金もなかったみたいで、本当に雁字搦めでボロボロじゃったんよ。」
「本当だな、お前、何度も何度も電話で話してたな。
ここにきた時は、本当に驚いたよな。ここに着いた時、タクシー代が足らんで持ってた時計やら指輪やら渡してくるもんだからタクシーの運転手が困って、わしんとこ泣きついてきたもんな。」
それを聞いて笑いと、驚きの声が同時に上がった。
「そうなんですか、すみません。そんな状況で母は、どうやって私を産んだんですか?」そう聞いた上野さんの顔は赤らんでいた。
「それは知らんけど、ここに着いた時、タクシーの運転手と擦った揉んだしてるもんだからちょっとした騒動になって、人だかりができたんよ。なんとかそこは治って、タクシーからお母さんが降りてきたら、まぁ、なんとも綺麗な人だったもんで、そこにいた人ら、びっくり仰天で、腰抜かした人らもいたな。」
それを聞いて笑いと、驚きの声が再び同時に上がった。
「えーもう、なんか恥ずかしい。色々と本当にすいません。」耳まで真っ赤になった上野さんが何度も頭を下げた。
「そんな話はまだまだあるさ、とりあえず泊まる部屋に荷物を置いてきたらいい。あとでたっぷり聞かせてやるさ。」
また笑いが起き、上野さんは天を仰いだ。
その様子を明日場と丸山さんは微笑ましく見ていた。


ゆいの母

明日場は一度役場に戻り、仕事を終わらせ『結の施設』に戻ってきた。
そして驚いて笑った。
「始まってますね!」
施設内にはたくさんの人がいて、ワイワイガヤガヤ、宴会が始まっていたからだ。

食品メーカーの丸山さんが明日場に気づいて手を振った。
「お疲れ様です。すごいことになっていますよ。」と笑顔で言った目線の先には、色んな人から話を聞いて、涙ぐんだり、真っ赤になったり、大笑いしたりしている上野ゆいさんがいた。
ゆいさんも明日場に気づき、
「明日場課長、お疲れ様です。ありがとうございます。」と言った。
「あっ、お疲れ様です。大変なことになってますね、大丈夫ですか?」と聞くと
「本当に、すごいことになっています。うちの丸山が小守町の人はすごい、と言っていた意味がわかるような気がします。」
「えー、丸山さんがそんなことを言っていたんですか?」と丸山さんを見ると
「言いました。自分が来た時ですら、誰かがお酒を持ってきてくれて、いつも宴会になっていましたから……」と笑いながら頭を掻いていた。
明日場は「あり得るな」と言って一緒に笑った。

「明日場課長、私が今日泊まっている部屋は、私が産まれた時に母がいた部屋なんですって、すごくないですか?
27年ぶりにその部屋に今日泊まるんです!」
上野は、興奮気味に本当に嬉しそうに語った。
「その部屋は街が一望できる部屋で、母は、窓からいつも街を眺めていたそうなんです。
町の人たちが部屋の下の方に集まってきて、母が窓から顔を出すのを待っていたそうなんです。部屋のカーテンが開くと女の人たちは母の部屋に来てオムツ変えてくれたり、洗濯物取りに来てくれたり、食べ物を持ってきてくれたり、ひっきりなしに来てくれていて、あんまり来るもんだから看護師さんたちに怒られたんですって。」
「あっ、母が言ってたことを思い出しました。『映画スターみたいだった』って手を振ったり、握手したりしてたんだって、こうやって。」っと言ってゆっくり優雅に手を振る様子を再現して見せてくれ他と同時に、大笑いが起こった。
その興奮気味に話すゆいさんを見ていると、ある光景を思い出した。

学校に行く途中、『結の施設』に人だかりができていて、みんな上を向いていて、「うわー」っと言う歓声と共に、上を向いて手を振っている、そんな光景を思い出した。
学校でも「お手振り」が流行っていた。教室の窓からさっきゆいさんがしたように、ゆっくりと優雅に手を振る動作が子供達の間でブームになって、しばらくの間、教室でも誰かしらがやっていたと思う。
「あの時流行った『お手振り』は、ゆいさんのお母さんがいた時のものだったんだ」と明日場は思った。
明日場は、ゆいさんのお母さんが入院している時、病室を覗きに行ったのを見つかってしまい叱られてからは、噂の美人妊婦さんには興味がなくなっていたので、「お手振り」がゆいさんのお母さんのことだと全く結びついていなかった。

大勢集まった町の人たちは、やれ自分がオムツ交換したとか、やれ自分が最初に日光浴させたとか、寝かせるのが上手かったのは自分だとか、好き勝手に言い放題で、盛り上がっていた。

仕事がひと段落した明日場院長がやってきた。
「おー」と拍手が起きてゆいさんの隣に通された。

ゆいさんからお酌してもらう院長は、なんとも嬉しそうで、産婦人科の医師になったら、こんな幸せな瞬間があるんだなーと、父の姿を見ながら明日場はぼんやり思っていた。

「院長先生、母と私を助けてくれて本当にありがとうございます。」
「あの……」と神妙な顔で院長を見上げた。
「出産の費用ってどうなったんですか?
さっき母は、こちらに来るタクシー代も持っていなかったって……
それに、こちらの施設にずいぶんお世話になったようで……あまり裕福ではなかったので、私がいうのもなんですが、どうしたんだろう……と思ってしまいました。」

にっこり笑った院長は
「本当にお母さんに似てますね、そういう義理堅いところもそっくりだ。そんなこと、ゆいさんが気にしなくてもいいんだよ。」
「いやーでも……」と申し訳なさそうに俯いたゆいさんは、「実は……」
と話し始めた。
「実は、うちの母、サービスしてもらったりおまけしてもらったり、そんなことがしょっちゅうある人で、『お金はいいよ』とか『おまけしとくよ』とか言われると、天にも昇るくらいいい気持ちになるって言って、一切断りもせずぜーんぶもらっちゃう様な人なんです。
アパートの家賃なんかも払えないくらい大変な時期があって、追い出されるかと思ったら、大家さんが夜間学校卒業してお給金もらえる様になったら少しづつ払ってくれたらいいからって……そう言われて、うちの母はやったーって思ったって言って、本当にそうしてもらったんです。
病院で働く様になってから少しづつ返してたんだけど、大家さんが倒れたのを母が見つけて看病したもんだから、そのお礼にって、滞納した家賃全部チャラにしてもらったこともあったんです。
信じられないです。本当に……私、そのことでいじめられたりしてて、子供の頃は本当に恥ずかしかった……」

「そうですか、それは、それは……よかった」そう院長が言うと
「よくないですよ、色気振りまいてサービスしてもらってるとか言われて、もう、本当に嫌だったんです。なんか情けなくて……」
「あー、悪かったね、すまんすまん……私がよかったと言ったのは、ゆいさんのお母さんは甘えることができない人だったから、それができていると言うことが嬉しかったんだよ。」院長がそういうと
「へー?」っと驚いて、ゆいさんは口をあんぐり開けた。
「母は、世界一甘え上手な人ですよ。甘えっぱなしですよ、いろんな人から助けてもらって、『あっ、ありがとね』ってこんな感じで軽く受け流していますよ、いつも……」
「ハハハッそうなんだね、それは頼もしい!そうか……君を産んだからそうなったのかもしれないね。」そう院長に言われて、ゆいさんはまた口をあんぐり開けた。
「えっ、母は、昔はそうじゃなかったんですか?」
「そうだね、とにかく恩は返すものだと強く思っていてね、1何かしてもらうと10でも100でもお返ししなきゃいけないと思い込んでいた人だよ。
君を産む前に、そうやっていろんな人に騙されて、働いても働いても借金が減らないようにさせられてたみたいだったよ。
だから君を産んだ後は、損な人生はやめるんだっと言っていた。「得」はしなくていい、親切を気持ちよくもらえる人になるんだって言っていた。」
その話を聞いて、ゆいさんはじーっと考え込んでからいった。
「院長先生、母は、どうしてそんなふうに思う様に変わったんですか?」
「これを見たらわかるだろ……」院長は結でワイワイ盛り上がっている本当に幸せそうな小守町のみんなを指さして誇らしげにそういった。

ある人は、お酒がもうないと言って自宅に取りに帰ろうとしていた、
ある人は、思い出話に感極まって泣いてる人の背中を摩り続けていた、
ある人は、お重に詰めたご馳走を、みんなに食べてもらおうとしていた、
ある人は、ガタガタするテーブルの足を直そうと道具箱を取りに行っていた、
ある人は、空いたお皿やグラスを下げて、食器類を片付けしていた、
ある人は、来ていた子供達の子守りを引き受けて、一緒におもちゃで遊んでいた……
みんな、誰かのために喜んで動いていたのだ。

それに対して、その親切を遠慮して断る人はおらず、「ありがと、ありがと」と当たり前のように受け取っていて、でもそれは当たり前ではなくて、
「やってもらったからやる」とう言う安っぽいものでもなくて、
そこにいる人たちが、何も言葉を発しなくてもそれぞれ自分がやるべきこと、やつたら誰かが喜ぶ様なことを見つけて、自然に統制されているかのように動いている。

そこには、心地よい空気だけが流れていた。



さっきから「すいません」と言っているのが自分だけであったことに「ハッ」と気づき、そういえば、母も「すいません」とあまり言わない人だったことを思い出した。

「なんなんですか、ここは?」ついこんな言葉が口をついて出てしまい、ゆいさんはぱっと口を押さえた。

「君のお母さんも、最初はそう言っていましたよ。
どうやってお返ししていいかわからないとね。次から次にみんながやってきて、それぞれ思いつくままにお母さんが喜びそうなことをやるから、困惑して恐縮して、もう大丈夫だから……と断っていましたよ。
でも、そんなことでやめる人たちじゃないからね、申し訳ないからと断っても断っても、次の日になれば、また別の人がやってきて、お母さんの喜びそうなことをやってくれたり、持ってきてくれたりする。だから君のお母さんも『なんなんですか、ここは』と私に言ったんだ。親子だなー。」

「すっすみません……」
「いや、いいんだ、ここの人たちが変わっているからな……
いや、ここにいる人たちにとっては普通なんだよ。『親切にしている』と言う気持ちもないのかもしれない。ただ、感情のありのまま、そのままに行動に移しているだけなんだと思うよ。気にしないで、楽しんでくださいね。君に会えて嬉しかったです。お母さんによろしく。」
そう言って院長は、ゆいさんの肩を「ぽんっ」と叩き、病院に戻って行った。


小守町の人

昨夜は遅くまで盛り上がった。飲みすぎた……と思って目覚めたが、不思議と二日酔いはしていなかった。
母が生まれたての自分と過ごしたこの部屋……
古いが、綺麗に掃除が行き届いている。
当時の母と同じように、ベッドから起き上がり、部屋のカーテンを開けた……
その時……
「わー」「開いた開いたー」と言う声がした。
下を見ると、昨日一緒に盛り上がった町の方々が、ゆいさんが起きるのを今か今かと待ち構えていたのだ。
驚いた、とても驚いた……下で待っている人たちは、大きく手を振って
「おーい」「おはようー」「遅いぞー」などと笑いながら叫んでいる……
恥ずかしかったが、手を振り返した。
皆さんが爆笑したのを見て、一緒に爆笑した。
なんだか母に成り変わった様な気がして、くすぐったい気がした。

笑っていると、部屋のドアが「トントン」とノックされた。
寝起きのパジャマのままだったが、そのままの格好でドアを開けた。あまり抵抗はなかった。親戚のうちに泊まったことはないが、「親戚のうちに泊まったらこんな感じかな〜」と一瞬想い、「クスッ」と笑った。

「おはようー」
「おそようだよ!」
「ハハハッ」
こんな賑やかな感じで、3人の女性が「入っていい?」と聞きながらその部屋に入ってきた。
「もう入ってるじゃないですか!」と言うと、また爆笑が起きた。

「ゆいさん、朝ごはんできてますよ。」そう言ったのは施設長の義嫁だ。
「はい、ありがとう。」
「今日は、小守町を観光案内ですからね、準備ができたら下に来てくださいね。はいこれ、お水、この町自慢の、水ですよ。」
そう言い残して、3人は部屋を出て行った。
「ありがとう……」と受け取り、水差しに入ったその水を見ると、冷えていて、クリアで、とても美味しそうに見えた。
飲むとその通りだった。
飲みすぎてカラカラの体に、すーっと入ってくる。角がなく、甘く、そしてなんとも優しい味がした。
「うわっ、美味しい」と思わず声が漏れ出た。
そして、この町の人たちみたいな味だなーと思った。

支度を整え食堂に向かうと、丸山さんと榊原さんが待っていた。
「おはようございます。」
今日は榊原さんが小守町観光を案内してくれるようだった。
「あの、明日場課長は?」とゆいさんが聞いた。
「課長は後で合流しますよ、小守町観光はこの榊原にお任せください。」と胸に手を当て、貴族男子の様に畏まって頭を下げた。それを見た町の人たちは、また爆笑していた。

昨夜もそうだったが、よく笑い、よく泣き、よく感動する人たちだとゆいは想った。

小守町は、想像以上に手付かずの自然が広がっていて、ぐるっと囲まれている山々は、決して優しい風貌ではなく、この夏の暑さと、冬の厳しさとをもたらしているそうだ。その寒暖差の恩恵で、木々は育ち、作物もよく育つと言うことだった。
その全ては豊かな水源が鍵を持っている。
この町には、確認されているだけで50を超える水源があり、全世帯の水道はこの豊かな水を使用していると言うことだった。
日本名水に選ばれている水源もいくつかあって、今日ゆいが飲んだ水もその一つだそうだ。
「朝のお水、本当に美味しかったです。昨夜のお酒もいつもより美味しいと思ったんですけど、お水が美味しかったんですね。」
「二日酔いしなかったでしょ。」と丸山が言うと
「そうなのよ、朝スッキリ目が覚めて、全然二日酔いしてなくて驚いた。」
「そうなんだよねー、不思議と!水の効果かなー、ほんとに不思議だね。」
「あっ、そういえば丸山さん、前にその話してましたね、二日酔いしないんだって!」
「おっ!、上野が俺の話覚えててくれたー、初めてだ!」
2人の軽快な会話に榊原が、
「え?なんですか?ゆいさんは丸山さんの話、いつも覚えていないんですか?」榊原はなんとも嬉しそうな声で2人に聞いた。
「いいえ、そんなことないですぅー」とあっかんべーの様な顔を丸山にしたが、丸山は、
「そうなんですよ、こいつ俺の話聞いてなくて、『えー、そんなこと言いましたっけ?』っていつも言うんです。今日はほんとに珍しい……小守町のことだからですかね……」
そう言ってゆいに笑いかけていた。
2人の関係が気になる榊原は、
「お二人は仲がいいですよね、同期ですか?」とわざと聞いた。
「いえ、丸山、先輩です」と丸山を持ち上げるかの様に滑舌の良い口調でゆいが言った。それを聞いて丸山は
「はい、私が上野の先輩です。
彼女が新入社員で私の部署に入ってきた時からタッグを組んで仕事をしてきた仲です。」
「そっそっそうなんですね……」少し焦った榊原が詰まりながらなんとか答えた。

榊原は昨夜、「結」の施設に来ていたが、ゆいさんの周りにはたくさんの人がいて、全く話ができなかった。すごくそれを残念に思っていて、落ち込んでいたのだが、今日の小守町観光を明日場課長から任命されて、急に元気になって張り切りだした。
榊原は、2人の関係がずっと気になっていて、勇気を出して聞いてみたと言うわけだった。

ゆいは、そんな2人の気持ちはお構いなしで、
「丸山先輩、この小守町のお水、売り出したら売れませんかね。会社辞めて、一儲けしますか?」となんとも色気のない話をして、1人で盛り上がっていた。

山道をずいぶん登ってきた。
木々の合間を抜け、山道を進んでいく。
急に開けた場所に出たと思ったら、そこは、少し整備されている駐車場があった。車を停め、柵のところまで歩くとそこには、小守町を一望できるスペースになっていた。

車から急ぎ降りたゆいから「うわー」と声が漏れ、彼女のジャケットが風に瞬き、2人の男たちは見惚れた。
景色の美しさと彼女の美しさが相まって、まるでCMの様だった。

「すっごく綺麗ー、うわー、気持ちいい〜。」
そう言ったと思うと、クルッと振り返って、
「榊原さんはいいですね、こんな綺麗な場所に暮らせて……、うわーほんとに気持ちがいい〜」そう言ったゆいさんはまた、クルッと振り返って、言いかけた榊原の言葉を風の音がかき消したことに気づかなかった。

その様子を見て、丸山さんは、眉と肩を顰めた。
これまでも長らく、同じことをされてきているので、榊原の気持ちがよくわかるのだった。

整備された駐車場から少し山を登っていく。水源の一つを見せたいと榊原が考えたからだ。
しかし、ゆいは高くはないがヒールを履いていた。
そのことに気づかず、「こちらです。すぐそこですから……」とどんどん先に歩いて行って、都会暮らしの2人には多少きつい道のりだった。

4.5分ほど歩いただろうか……
水が湧いている水源に到着した。
そこは静かに水が湧き出ている様子が、みてとれた。
水は澄んでいて、汗をかいた3人には最高のご馳走になるはずだった。
しかし、榊原が水を掬い取るための柄杓を車に忘れてきてしまったのだった。

手では届かない。水源に降りるには高さがあり危険が伴いそうだ……
絶望的な榊原をよそ目にゆいはキョロキョロした。
思った通り、近くの大きな木の木陰に枝に吊るされた柄杓が、キラキラと風に揺れていた。
「榊原さん、ありましたよ、ほらあそこ!」
そう言って指差した先にある金属製の柄杓は、凹みがあったり傷がついていたりはするが、柄の部分は長いものに取り替えてたのか、普通のものよりかなり長かった。
ゆいが指差した先を見て、榊原の顔色も、正常な範囲に戻っていった。

早速柄の長い柄杓を取りに行く。
その長い柄には「小守の水は子守水」と書かれていた。

無事に湧きたての水を飲むことができ、3人は「結」の施設に戻ってきた。

「結」では明日場が待っていた。

明日場に気づいたゆいが駆け寄ってきた。

「明日場課長、ありがとうございます。榊原さんに水源まで案内してもらいました。」
そう笑顔で言うと、明日場は「えっ!」と驚いた。
足元を見ると、ゆいと丸山の皮の靴が泥で汚れていた。
「足場の悪いところを、すいませんでした。水は飲めましたか?」
「いえ、数分でしたので、大丈夫でした。水源は、とても綺麗で感動しました。」
とゆいが言うと
「課長、すいません……靴のこともすいません……」と恐縮した榊原が明日場と丸山さんとゆいに向かって謝った。
「何かあった?」と明日場が聞くと
「水源に行くのに柄杓を忘れてしまって……」
「あらら…そうか…枝にぶらかがっている柄杓、わかった?」
「はい、ゆいさんが見つけてくれました!」と急に元気になった榊原が言った。

「えっ、ゆいさんが見つけてくれたんですか?」
「はい、なんだかありそうな気がして……辺りを見回したらやっぱりありました!」
「ん?柄杓がありそうな気がしたんですか?」と少し驚いた明日場が聞くとゆいは「はい、この町の方だったら、どなたかがそうされるんじゃないかと思って!」と答えた。周りにいた人たちも、笑顔になって、
「ゆいさん、よくわかってるじゃない!やっぱり小守町出身だけのことはあるね!」と笑顔が広がった。

飛行機の時間があるので、盛大な見送りに後ろ髪をひかれながら、ゆいと丸山さんは帰っていった。




少子高齢化問題のない町

2020年、小守町は人口が増え「小守市」になっていた。
小守市全体で大小、規模は違えども5社の工場や3社研究所が現在も稼働している。

最初食品メーカの工場が建ってから、20年の歳月が過ぎていた。

もちろんこの工場も、現在も24時間稼働していて、今でもこの工場が小守市で一番大きな工場である。

20年前、小守町初の工場誘致に奔走した明日場は、数年前に現在の小守市の市長になった。
全国的にも若い市長の誕生とニュースになったくらいだ。
その短いニュースの中でも明日場はしっかり、小守市の子育てシステムについて、
「この小守市では、24時間保育システムがあります。工場や研究施設がたくさんありますので、求人もたくさんあります。その工場の稼働時間に合わせて24時間保育を実施しています。働く皆さんが安心出来るように、この土地に昔からある「結」の精神で、市民の皆さんをお支えします。子育てとお仕事で大変なお父さん、お母さん、ぜひ小守市へ移住をしてきてくだすので、その稼働時間に合わせて24時間保育を実施しています。働く皆さんが安心出来るように、この土地に昔からある「結」の精神で、市民の皆さんをお支えします。子育てとお仕事で大変なお父さん、お母さん、ぜひ小守市へ移住をしてきてください。」
と力強く全国へ訴えていた。


20年前に小守町の「結」の施設を中心として、24時間体制で働く人をサポートする仕組みが作られた。

当時の目標であった工場で働く人員300人確保は、工場の規模を段階的に増やしていく中で、十分集めることができた。


その要因は、やはり「結」の施設のあり方を変化させたことが一番の要因だった。

最初に、明日場の父の産婦人科を解体し、「小守YUIセンター」をオープンさせた。
「結」の施設があった土地には、24時間稼働の「KOMORI家族の家」がオープン。
同時進行で、隣接地に小守町総合病院の建設を行なった。明日場の父は産婦人科医を引退したが、この総合病院の中に入っている。

この3つの施設の意味は大きかった。
「小守YUIセンター」と「KOMORI家族の家」は元々「結」の施設を管理していた松井一家が引き続き管理してくれている。
この2つは「結」の施設であれもこれもと一緒くたにしていた業務をシンプルに整理し、食べる・寝る・生活するこのような「生きる」に関することは「KOMORI家族の家」それ以外を「小守YUIセンター」と言う区分になった。とは言っても隣同士にある施設なので、以前ほどではないが境界線は曖昧なものがあった。

この計画は小守町主体で行われた。
「結」の施設は明日場の父が個人的に始めたことだったが、公共事業にすることで、永続的なものになると町民のほとんどが賛成してくれたからだ。

明日場の父は、「結」の施設を管理していた松井夫妻に渡すことを決めたいたのだが、このように公共事業となることになり、土地を小守町に寄付した。このことはもちろん松井夫妻も了承していて、
「私たちはここで働くことができたら、それでいいんです。」と新体制になっても変わらず、そこで働いてくれていた。


20年の時の流れの中で、小守市には新しく移住してくる人がとても多かった。
このことは地方のそれも小さな自治体の中で全国的にも珍しく、閉校しせざるを得ないほど人口が減っていたことが嘘のように、小学校が2つと中学校が1つ増え、元々分校しかなかった高校が、新たにできたのだった。
明日場の父の頃から、子育てに関して良いイメージが根付いていたようで、
「小守町は子守町」のスローガンを掲げ、移住者を募集したところ、移住者の子供だけで500人を超えたのだった。
その中には、片親で子育てをしている家庭も多かった。
シングルマザー・シングルファザー・孫を育てる祖父祖母世代もいた。

20年まえまでは少子高齢化まっしぐらで、その流れを止めることは難しいと思われていた。
若い人は当たり前のように外に出て働かねければならない状況だった。

それが、あの食品メーカーからの工場建設の話から、流れが変わった。
仕事がなく流出していた働き手が、逆に呼び戻される、そんな事態になったからだ。
出稼ぎ文化が色濃かったが、それも今では無くなった。
逆に、近隣の街から小守市に出稼ぎに来るような状況だ。
出稼ぎに来る人たちも、家族を呼んで小守市で一緒に暮らす、そんな事例も珍しくはなかった。

高齢者も多かったがまだまだ働ける人が多く、送迎バスの運転手をしたり、病院や施設・工場や研究所の清掃をしたり若い人には負けていなかった。

小守市では、移住者にアンケートをしている。
その中の質問でこのようなものがある。
「小守町(小守市)に移住を決めた一番の理由はなんですか?」
この質問の答えナンバーワンは「24時間保育システムがある」だ。
ちなみにナンバーツーは「求人が多いこと」だった。
このことからも分かるように、子育て世代の移住が最も多く、人口は鰻登りだった。

アンケートにはこのような質問が最後にある。
「移住した後、小守町(小守市)に求めること、望むことがありますか?」
「子育て世代の税金を安くしてほしい」とか「住宅費を負担してほしい」とかこのような要望もありますが、
「子供が家に帰ってくるのではなく、親が子供乗るところに帰ってくるそんな施設があるといい」と言う内容の答えが、ちらほら出てきていた。
その理由として、「子供がせっかく『KOMORI家族の家』に慣れた頃に迎えに行くと「帰りたくない」と泣かれ、今度は預けに行こうとすると家に居たいと泣かれる…こんなことの繰り返しで、私も『KOMORI家族の家』に住めたらいいのにと思った」と言う内容だ。

このような内容の話は、「KOMORI家族の家」ができた当初から、聞こえてきていたのは事実だ。
しかしこの当時は、新体制になったばかりで、新しいことの着手する余裕は小守町にはなかった……


本物の「家族の家」

明日場が市長になった数年前に、ある事件が起きた。
小守市に移住してきて孫を育てていた岡田さんが亡くなった……

岡田さんは50代半ばの頃に娘さんを病気で亡くし、その後、娘さんの幼い息子を一人で育てていた。
ご自身もシングルマザーで娘さんを育てたが、娘さんも同じ状況になり、親子三代
小さなアパートに身を寄せて暮らしていた最中の出来事だった。
岡田さんは健康ではあったが、仕事はパートでいつ解雇されてもおかしくないと言う不安の中、残された孫をどうやって育てていいかと途方に暮れていた。
そんな時に、明日場が若い市長誕生と騒がれ、ニュースに取り上げられて
明日場市長が話した
「この小守市では、24時間保育システムがあります。工場や研究施設がたくさんありますので、求人もたくさんあります。その工場の稼働時間に合わせて24時間保育を実施しています。働く皆さんが安心出来るように、この土地に昔からある「結」の精神で、市民の皆さんをお支えします。子育てとお仕事で大変なお父さん、お母さん、ぜひ小守市へ移住をしてきてくだすので、その稼働時間に合わせて24時間保育を実施しています。働く皆さんが安心出来るように、この土地に昔からある「結」の精神で、市民の皆さんをお支えします。子育てとお仕事で大変なお父さん、お母さん、ぜひ小守市へ移住をしてきてください。」
この言葉を聞き、すぐに移住した一人だった。

岡田さんは、工場で働いていた。
まだ幼い孫は、「KOMORI家族の家」が大好きでいつも帰りたくないと大泣きしていた。
岡田さんは、一生懸命に働いた。
自分が娘を育てている時は朝から晩まで働きづめで、「何もしてやれなかった」と後悔ばかり口にしていた。だからこそ、
「孫には安心して暮らせる状況を与えられたら……それが唯一の望みだ」と言っていた。
岡田さんの望み通りに、孫である男の子はすくすく育った。
夜勤や連勤が多かったので、何日か連続で預けることも少なくなかった。
やっとの思いで孫を迎えに行くと、「帰りたくない」と大泣きされる……これは無くなる直前まで続いていた……

岡田さんは仕事中に心筋梗塞を起こし、突然亡くなってしまった。
残された孫息子。
誰もそのことを伝えることが出来ずにいた。
岡田さんは、小守市に移住してきた時、身寄りがなく保証人の問題があった。
そこが懸念材料であったが、本人の強い希望と、家賃などの保証協会の協力を得て保証人問題はなんとかクリアできての移住だった。
そこは保証できたが、
孫息子の引き取り手の話まではできていなかった。
孫息子の父親についても、妊娠がわかった頃には行方不明になっていて、出産の許可を取らずに産んだので、岡田さんの娘は「未婚の母」だったそうだ。

このような話は、施設の管理を任されている松井夫妻が詳しく聞いていたようだった。
「岡田さんに何かあった時、孫息子はどうするの?」と松井さんの奥さんが聞いたことがあるそうだ。
「その時はここで育ててほしい」と言ったという。

岡田さんや「KOMORI家族の家」に関わる全ての人が、亡くなった岡田さんの願いを叶えてやりたくて、あちらこちら多方面に掛け合っていた。
しかし、親権者の庇護の元暮らすことが出来ない場合は、児童養護施設へ行かざる得なかった。

お葬式を終え、孫息子を預ける日、迎えに来る時間が迫ってきた。
松井さんの奥さんは落ち着かなかった。
「何かできることはないか」と最後まで動いていた。
孫息子の好きなものをお弁当に詰め、よく遊んでいたおもちゃをピカピカに磨き、岡田さんと一緒に写った写真を額に入れた。

そして手紙を書いた。
「ここはあなたの実家です。困ったことがあったらいつでも連絡をちょうだいね。あなたのお母さんもあなたのおばあちゃんも、「KOMORI家族の家」のみんなもあなたが大好きです。いつもあなたのことを思っています。ここで過ごしたことを忘れないで、周りのみんなを元気づけるお兄さんになってね」
手紙は写真を入れた額の中に潜ませた。

明日場の父の頃から今でも小守市でずっと続けている、望まない妊娠による里親へバトンタッチは、多くの親子をつなぐことが出来て来ていた。
しかし、必ずしも100%うまく行くと言うわけではなかった。
育てられなくなった子供は、児童養護施設へ預けられることもある。
残念なことだが、手立てがなかった。


現れた改革者

そんなある日、すごい人が小守市にやってきた。
髪はグレイヘアで、小粋に後ろでまとめ、痩せていて日焼けしているが快活な雰囲気を醸し出す初老の女性、ゆいの母だった。
長年の海外での活動に終止符を打ち、日本に帰国したその足で、ご主人である産婦人科医師と二人で小守市を訪ねて来たのだった。
ただ、小守市を訪ねて来たのではない……
娘である「ゆい」を訪ねて来たのだ。

そう、ゆいは小守市に住んでいる。
小守市で何をしているかというと……
天然水を販売する事業を立ち上げ、ここに工場を建てたのだ。
ゆいは「上野ゆい」から「丸山ゆい」になっていた。
食品メーカーの丸山さんと結婚したのた。
しかし、天然水販売の事業はゆい一人で始めた。
なかなか軌道に乗らなくて、悪戦苦闘している時、丸山さんが工場へ転勤になり、こちらへに異動してきたのだった。
苦しんでいる元後輩の良き相談相手となっていた丸山さんだったが、見るに見かねて自分も退職し、二人で本腰を入れて天然水事業に注力した。
そんな男気にやっとゆいが気付き、その後交際がスタート、数年後にやっと結婚した。
今では、全国区となったその天然水の名前は「ゆいの町小守町の子守水」あの柄杓の柄に書かれたそのままを天然水の名前にして売り出した。
発売当初は、この名前でなかなか売れなかった。
そんなことでめげるゆいではなかった。
一生懸命発信をし、自らも広告塔になりこの小守町をそして「子守水」を知ってもらおうと、努力し続けた。
その結果、少しづつ広がっていき、大手ウォーターサーバーと契約することができ、「選べる天然水シリーズ」のラインナップに入れてもらうことが出来たのだ。
結婚出産・事業拡大、色々な経験をここ小守町でしで来た、そんなゆいにゆいの母は会いに来たのだ。
新婚旅行で母の滞在している国に行った時に会って、丸山さんを初めて母に合わせた。その時ぶりなので15年ぶりくらいだろうか……とにかく久しぶりの再会だった。

ゆいの母は、小守市に到着してまず、「結」の施設があったところまでタクシーに行ってもらった。
道すがら、ご主人である産婦人科医にそのとの話をしていた。
「ほらあそこを見て、いろいろ変わっているわね……」
「この辺りでもう、タクシー代が足りないって気がついて、猛烈に焦っていたのよ、この辺よ!!」
「もう何回も聞いているから、よくわかっているよ、わかった、わかった」
車内は若いカップルが乗っているかのように楽しげだった。

タクシーが止まった。
「今度はちゃんと払えるわ!運転手さん、ありがとうございました。」と言ってお金を支払い、タクシーから降りた。
大きなトランクを二つ抱え、元「結」の施設、現「KOMORI家族の家」の前だった。
「うわー全然変わってるー」と言いながらくるっと360度回転した。
その後、「こんにちわ」と言いながら「KOMORI家族の家」に入って行った。

受付奥から「はーい」と返事があり松井さんの奥さんが出てきた。
その途端……
「マリちゃん?」と言ってその場で動けなくなった。
「松井ママ……マリです。お元気でしたか?」と言ってゆいの母が駆け寄り呆然としていた松井さんの奥さんにハグをした。
松井さんの奥さんの顔を見た時には、もうすでに大粒の涙が溢れていて、なんと
「うわーん」と言いながら泣いていたのだ。
「松井ママ、大丈夫ですか?泣かないで、お会いできてとても嬉しいです……」と言いながらゆいの母も泣いた。
その声を聞きつけて、人が集まって来た。
ざわざわしている中で、「え?マリちゃん?」と言う人がポツリポツリいて、その人たちは皆、年配者だった。
「松井ママ、お元気でしたか?松井のお父さんもお子さんたちもお元気でしたか?」
「うん、うん、みんな元気でまだ働いているよ、息子夫婦もここを手伝っているよ。」
「えーそうなんですか?あの頃まだ、小学生だった男の子ですよね!」
「もう50過ぎたおじさんよ、孫もいるよ、相変わらず賑やかだよ。マリちゃん、ゆいちゃんにはもうあったのかい?」
「いいえ、ここで今タクシーから降りました。今度は、ちゃんとお金払いましたよ。」
そう言うと、大笑いが起きた。
「松井ママ、彼が私の旦那様です。一緒に世界中を回って、赤ちゃんとお母さんをたくさん助けて来ましたよ。あの時の約束、私、守りましたよ。」
そう言って二人はまた泣いていた。

誰かが呼んできてくれて、施設長の松井さんが大慌てでやってきた。
「おーい、マリちゃん、おーい」
ゆいの母は振り向いて「松井のおとうさーん」と駆け出し、施設長にもハグをした。
もうみんな70を過ぎた老人ばかりだったが、48年前にタイムスリップしたようにキラキラしていた。

施設長との感動の再会を果たし、松井さんの奥さんに案内されて来たのは、
児童館だった。
そこにはゆいの下の娘が学校帰りに遊んでいた。
「キラリちゃん」そう呼ぶと振り返ったその子は、目がクリクリ大きくてショートカットの活発そうな女の子だった。
その子が、松井さんの奥さんに呼ばれてこちらに来る、
それと同時くらいに廊下を誰かが走ってくる足音が聞こえた。
振り向くと「お母さんーーー」と叫ぶゆいだった。
近づくや否やゆいはゆいの母に抱きついた。
「お母さん、なぜ家に方へ真っ直ぐ来なかったの?待っていたのよ。」
と言いながらうずくめた顔を上げた。
「あら、ごめんなさい。リベンジしなきゃいけねいことがあったから、ね」と言って松井さんの奥さんと自分の旦那様にウインクをした。
「えっ、なに?秘密なの?あっ、キラリ、こっちにおいで……はい、3番目のキラリです。キラリ、キラリのおばあちゃんだよ、ご挨拶して。」
そう言われてゆいの娘は、
「丸山キラリです。8歳です。よろしくお願いします。」と上手にご挨拶をした。
「初めまして、あなたのお母さんのお母さんのマリママです。マリママって呼んでね。こちらは私の旦那様、ヨッシーって呼んでね。」
「はははっ、私はヨッシーパパでもいいんだが、ヨッシーです、よろしくね、キラリちゃん!」
「マリママ、ヨッシー、パパ?よろしくね」
そう言って笑うキラリちゃんの顔は、幼い頃のゆいにそっくりでまた涙が出てしまっていた。

「お母さん、とりあえず騒動になる前に、一度うちに来て。子供達にも会わせたいし旦那も待ってる。工場も見て欲しいし」
そう言われて、引きずられるようにゆいの家へ連れて行かれた。

案の定もう噂は広がっていて、ゆいが子供たちを紹介して工場を案内する頃には、ゆいの元へはたくさんの連絡が入り出していた。

施設長の奥さんからも「小守YUIセンター」で歓迎会をしたいからみんなできてと連絡が入った。

「小守YUIセンター」に到着すると、明日場の父が出迎えてくれた。
足が弱り車椅子での出迎えだったが、今でも色々な人の相談を受けるなど、小守にはなくてはならない人だった。ゆいの母は静かに明日場の父の前にひざまづき、手を握った。そして、ハグをし、感謝を伝えた。
その後に「この人が私の旦那様です。」と紹介した。
ゆいの母の旦那様も同じようにハグをして、感謝を伝えた。

明日場の父が言った。
「こちらこそ、ありがとう。君は私の誇りだよ。君のお手伝いができたことを本当に誇りに思う。ありがとう。ご主人にも感謝します。たくさんの命を助けてくださって、ありがとうございます。」
そう言うと3人で抱き合ってお互いを称え合った。


一通り泣き笑いの挨拶が終わって、この街の現状がゆいの母にもわかって来た。
ちょっと前に亡くなった岡田さんの話も聞いて、「どうにかできなかったの?」と松井さんの奥さんに聞いたところ、号泣してしまい、「私のせい、なにもしてやれなかったの……」とかなり自分を責めているようで、ゆいの母も辛かった。

ゆいの母たち夫婦は、数日間小守市に滞在した後、ご主人の実家の方へ住む予定になっていた。
がしかし、ゆいの母は何か引っ掛かっていた。自分の人生の最後の仕事はここにあるような気がしていた。
ゆいの母の旦那様も彼女がそう思っていることに気がついていて、
「ここで君が見出したやるべきことに集中することも別るないんじゃない?!」と言ってくれた。
「じゃぁ、また私に付き合ってくれる?これが最後のお願いになるかもしれない……」そう言って、遠くを見つめた。



大きな糸口

昨夜、ゆいの母と旦那様が話した内容を、次の朝、ゆいたち家族に話した。
「マリママたちは、しばらく小守に住むことにしました。ここでやるべきことが見つかったから……家が見つかるまでお世話になっていいかしら?」
「えーっ!」ゆいの家族は驚いたが、歓迎した。
「で、何をやるの?」とゆいが聞いた。
「子供たちを守るのよ」とゆいの母は言ってウインクをした。
それを見た丸山さんは、「ふふっ」と笑って「よく似ていますね。」と言った。

ゆい達に話したその足で、ゆいの母夫婦は市長に会いに行った。
幸に時間がありその日のうちに話すことができた。

「市長、お父様には大変お世話になったんですよ。その節はありがとうございました。」
「ゆいさんのお母様、私はお母様にお会いしたことがあるのですよ。」
そう言うと一瞬、驚いたが、「看護師さんにね、院長の息子さんが覗きに来ていたと聞いた覚えがあります。その時でですか?」
「はははっ、そうです、その時です。あまりに美しい人が入院しているから見てこいと同級生に急かされ、野球をした後の泥だらけの格好でそーっと病院に忍び込みました。お顔を一瞬見た時、看護婦長に摘み出されてしまいましたがね!
一瞬でしたが、お美しい女の人が可愛らしい赤ちゃんに子守歌を歌っているのがわかりました。」
「あの頃は、少しは綺麗でしたがね!」そう謙遜するゆいの母に明日場は
「今でも神々しいです。ご活躍を伺っております。日本のマザーテレサですよ。」
「まぁ、ありがとうございます。こんなにお褒めいただき感無量です。そこで、日本のマザーテレサと言っていただき、本当にそうなろうかと思いまして、今日伺いました。」
「ん?どう言うことですか?」
「はい、施設の松井さんの奥さんに亡くなった「岡田さん」の話を聞きました。孫息子さんが児童養護施設に預けられたと……、そこで日本の児童養護施設をもっと開放的な間口の広いものにできないかと考えたのです。
この小守の「KOMORI家族の家」は大きなポテンシャルを持っていると思うんです。
「結」はみんなの実家なんですよね。
子育てにおいて、もっと柔軟な考えの元に間口を広げていく事はできないでしょうか……」
「何か、お考えがあるのですね。」
「はい、子供は親が育てるものという枠を外して、みんなで育てるという風に舵を切っていくことはできないでしょうか……」
明日場は、一瞬黙った。
実は同じことを考えていたからだ。
共働きで忙しく、子供との時間が取れない家族が増えていて、少子化問題、虐待、ネグレスト、目を伏せたくなる事件がニュースで流れる度に、この街がこの街である意味がある。しかし、この街だけで留めてはいけない、しかし、どうしたら良いかわからない……こんな風に思考がぐるぐるしていたのだった。
このことをゆいさんの母であるマリさんに話すと、
「そこです。そこなんですよ。
世界を見て来た私たちだからこそ、やれることや助言できることがあります。
手をお貸しいただけませんか?」

何がどうなるか全くわからなかったが、何かが大きく動き出した気がした。
そして必ずそれは日本を、世界を動かすような大きい変化を生み出す……そんな予感をせずにはいられなかった。

つづく










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