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それほどの人間なんですか?

Twitterをログアウトしてる。
依存症のようなものだからまたしばらくしたらログインしてしまうんだろうけど。

SNSはとにかく疲れてしまうよね。
私はあるアカウントはアルファと呼ばれる部類なんだろうけど、それはそれで疲れてしまうし、
リアルのアカウントはアカウントでみんなが楽しそうにしてる様子と自分を比べて病んじゃう。

でもSNSを見ないってもう生活の一部が制限されてるみたいで苦痛にすら感じる。
Instagramの24時間で消えるストーリーなんかは特に。見なきゃって、見逃してしまうことが惜しくなる。

彼氏と別れたいって言ってた友達に「でもインスタは楽しそうじゃん」って言ったら
「あれは良いところしか切り取ってないもん」って言われたことがあった。

“彼氏いるし仲良いけど内心は別れたいと思ってる、それでもSNSにアップする内容は彼氏を愛し、愛される自分”
別にそれって悪いことでもなんでもないし、みんなやってんじゃん。

そういう人達と虚言美容垢と呼ばれる人たちの区別が私の中ではすごく曖昧。
自分が見せたいものを見せたかった、って点において。
創作か脚色の違いなのかな、ああもうわからないけど。

実際ブスだって炎上したことがあるから他人がブスブス言われてるのを見るのがつらい。
私は自分が言われる側になるまでそのつらさが本当の意味ではわからなかった。(実際今まで実生活で言われてきたこととは比べ物にならないほどの恐怖、自己嫌悪、デジタルタトゥーを掘ってしまったという後悔などの波が押し寄せてきて脳も心臓も胃もキュッと冷えている感じ)

まあ言っちゃえば人生で起こること全て、起きてないことは理解や共感はできても本当の意味での当事者の心境にはなれないものだけど。

芸能人がブスって言われて泣いてた、先輩お笑い芸人にブスって言われた女芸人がそれをあしらってた、みたいなことは賞賛して同情してこんな世の中変えていきたいとか世の中が変わってきてるって意見ばっかりなのに、現実は叩けるブスが現れたらブスだブスだって書き込む。
実際は会ったこともない他人にブスって言うのが平気な人の気持ちがわからない。多分その層は被っていると思う。
良くも悪くも他人の容姿とそれをジャッジすることに敏感な証だと思うから。

でも自分が言われる分にはわかってるからキレられない。だってブスでデブなのは事実だし。それでキレたら逆ギレになっちゃうじゃん。ああ本当はキレたいしキレなきゃいけないのに。もう何もかもがだめだ。可愛い女の子は大好き、だけど可愛くなくても女の子は最高だって本心から思ってるし、見た目がどうでもマインドだし、でも結局見た目じゃんって思うし。見た目が良ければ許されること、見た目が悪いと許されるないこと、そもそも許すとは何目線なのか、世間目線なのか、普通なんてないと思って生きてきたから何にもわからない。女の子、ってだけで可愛いじゃダメなのかな。でもそんなこと言ってる自分はその“女の子”の中に入れてなくて、自分で決めた自分の中での“女の子”にすらお前は入っちゃダメだって頭の中で声がする。
自分を肯定できてないのに他人を肯定できるのか。そんな肯定に価値はあるのか。

「あなた他人の悩みに答えるほどのスペックなんですか?」って言われた。本当にその通りだよ。毎日何通も何通もラブレターを読んではわからなかった、私は答えなんてわからないし本当に答えがほしくて綴ってくれてるのかなんてわからないし、何もかもがわからなかったけど、でもそれでも私はただ本当単純に返信を見た人が気持ちが軽くなってほしかった。それだけだった。でも本当に他人の悩みに答えれるような人間じゃないのに。

わかってる、本当は自分を肯定しなきゃいけないことくらい、ずっとずっと前からわかってる。でもできない。できなければ他人を肯定する資格なんてあるのかな。もうわからない。

っていうのとかSNS見てると考え込んじゃう〜という話でした
読んでくれてありがとう!!!!