恋愛の話なんかじゃない

ある出来事が起きたとき私は錯乱して毎日泣いて関わっている人間全員に話した。
結局救われなかった。

相談するという行為は結局他者を通して自分の中で納得できる答えを見つけたいからする行為だと思う。
誰も、本当の本当の本当の正解を教えてほしいだなんて結局は思ってないんだよ。
だって本当の本当の本当のことなんて誰にもわからないんだもん。
だから宗教がある。心が救われれば本当の本当の本当のことなんて関係ないのだ。救われたいことだけが本当なんだよ。

私は相談することをやめた。誰に答えを求めても本当のことなんて誰にもわからないことだけが本当だから。本当のことなんて何もわからない、だけどこれが本当じゃないことだけはわかる。さっそく矛盾してる。

DMやラブレターで相談されて私なりに返信する。10回に1回「自分の言葉不足で申し訳ないけど、こういう状況だったからあなたの
推測は間違っている」という返信が来る。

私は軽い悲しみを覚える。私は私なりに真剣に考えたのだけど、と。その悲しみだって幻覚みたいなものなんだよ。結局私は終わってる。

私は人生において一番答えが知りたいことを相談することをやめた。誰も答えなんて知らないから。私を安心させようと落ち着かせようとする人達の暖かさを手放して、一人で答えのない痛みを引き受けることにした。

あの出来事から一年経った。毎日泣いてお酒飲んで薬飲んで錯乱して素面に戻ったときは記憶のない自分のしたことの断片だけが残っていたような日々は過ぎ去って、私はただ、無気力にそのことを思い出さないようにすらする。忘れることこそ自分の幸せに繋がるのだと。
でも結局そんなことも自分の中で見つけた安心できる道にしか過ぎず、本当のことではない。

やろうと思えば無理矢理にでも答えを引き出すことも出来るだろう。それがたとえ“意味なんてなかった”という自分が納得できない答えでもなんでも。
でもそれは私にとって自分で自分の腕を切るみたいなものだ。
あの出来事で私は自分の半分を失ったのに、その上腕まで切って泣いて何になるのだろう。
その失った半分が徐々に埋まっているのを感じる。だけどもう一生元には戻らないだろう。なかったことにはできないんだから。

早く忘れたい、忘れちゃいけない、いつも結局そんな思考に行き着く。何で、何でそんなこと、なんていうことを考えるのはもうやめた。私は私のためだけに考えている。結局最初から私は私のことだけしか考えてなかった。

全部、なにもかもごめんね
わからなくてごめんなさい。バカみたいに振る舞ってごめんなさい。本当はわかっていたのに、わかっているつもりなのに、それでもわかりたくなかったしわかりたくない。本当にごめんね。
気持ち悪いエゴだけなの。私にあるのはずっと気持ち悪いエゴだけ。それをずっと押し付けて押し付けて押し付けて押し付けて押し付けた。ごめんね、本当にごめんね。謝ることすらエゴでしかない。こんな言葉なんの意味もない。全部の言葉になんの意味もない。それでも書いて言葉をぶつけたいのは私が私のことしか考えてない証拠だよね。
痛みを引き受けたことすら自己満足で、結局は他人に私の聖域を汚されたくなくなったからなの。私の聖域に対して私は他人に問うてた、これは本当に私が思っているものなのか。答えなんて一目瞭然なのに。

結果だけが全てだよ。行動だけが全てだよ。
そんなことわかっててもわからないことにしたい。
私だけがわかって他の人にはわかんないでいてほしい。でもちょっとはわかってほしい。なんて見事に気持ち悪いエゴなんだろう。

誰がなんと言おうと、とっても綺麗なものだった。世界で一番綺麗だった。私ですらそれを否定してしまうときもあるけど、誰がなんと言おうと、とっても綺麗なものだった。
それだけが私を支えてくれる。
なかったことになんてできないし、しないよ。